第六章その9
城内地区の細い路地を抜けると、石神家の屋敷が現れる。
白壁と黒瓦。門の上には風に擦れる竹の音。
かつて武家屋敷だった名残を留めながらも、庭には小さな花壇があり、どこか家庭的な温もりを感じさせる。
縁側の端に干された座布団、干し柿の吊るされた軒先。
悠眞は一瞬足を止め、その風景に懐かしさを覚えた。
(織江の家は、昔から変わらないな)
玄関を開けると、ふんわりと煎茶と畳の香りが混じる。
出迎えたのは織江の母――柔らかな色の着物に、ゆるくまとめた髪。
年齢を重ねても穏やかで、どこか少女の面影を残していた。
「まあ、これは龍城さま。ようこそお越しくださいました」
「突然お邪魔してすみません。織江さんの具合はいかがですか」
「ええ、おかげさまで。もう熱も下がって、今日は朝から起きて歩きたがっていましたの」
「歩きたがって?」
「ええ、“もう退屈だ”って」
母は苦笑しながら答えた。その言葉に悠眞も思わず微笑む。
織江らしい。几帳面で気丈で、でもどこか落ち着きがない。
そうか、こういうところは――翔流に少し似ている。
ふと、悠眞の脳裏に友人の顔が浮かぶ。
どこか飄々としていて、本心は掴みづらい。けれど他人を放っておけない優しさを持つ男。
その表情はいつもどこか笑っていて、困っているときほど明るく振る舞う。
(……似てるな、あいつと)
胸の奥でそう呟きながら、悠眞は小さく息を吐いた。
気丈に見えて、実は人の痛みに敏い――織江も翔流も、きっと同じ種類の人間なのだろう。
「どうぞ、お上がりください」
廊下を進むと、障子越しに光が滲む。
その先の部屋には、折り紙の花や書道の半紙が整然と並んでいた。几帳面な性格がよく出ている。
けれど、その片隅には読みかけの小説とチョコレートの包み紙が置かれていて、思わず笑みが零れた。
「織江、龍城さまが来てくださったわよ」
襖が開くと、布団の上で織江がこちらを向いた。
寝癖の残る髪を慌てて直しながら、顔を赤くして言う。
「は、はるくん!?…来てくれたんだ」
「体調、もう大丈夫か?」
「うん。もう全然。お母さんがまだ寝てなさいって言うから、仕方なく」
軽く頬を膨らませるその様子に、悠眞は小さく笑う。
「無理するなよ」
「……わかってる」
そう言いながらも、彼の笑みを見て織江は少しだけ安心したように目を伏せた。
「この前のこと、ありがとう。私、きっと怖がってたんだと思う」
「当然だ。あんなの誰でも怖い」
「でも、はるくんが居てくれたから――平気だった」
照れくさそうに呟く声は、まるで風鈴の音のように小さく柔らかかった。
やがて、部屋の外から母の声がした。
「龍城さま、お茶をお持ちしますね」
「いえ、お気遣いなく。もうそろそろ失礼します」
悠眞が立ち上がると、母は廊下の向こうから静かに近づいてきた。
その手には湯気の立つ湯呑。
「いえ、ほんの少しでも。…この通り、元気になってくれて」
微笑みながら、彼女は障子の向こうを見た。織江は布団の上で、少し不満そうに頬を膨らませている。
「……わかりますか? あの子、私にはよくわがままを言うんですよ」
母の言葉に、悠眞は少し驚いて笑った。
「織江さんが、ですか?」
「ええ。口では素直じゃないけれど、あの子は本当によく泣くんです。夜中にこっそり泣いて、朝には何事もなかったような顔をするんですよ」
母は優しく微笑みながらも、その目に一瞬の影が走る。
「私、あの子に“剣なんてやめなさい”って言っていました。でも……違っていたみたいですね」
悠眞は真剣な眼差しで母を見る。
「違っていた、とは?」
「剣は、あなたと一緒にいる時間なんです。あの子にとっては」
母は少し恥ずかしそうに笑った。
「言葉少なくとも、貴方たちは沢山の会話をしているように見えました」
悠眞は一瞬黙り、やがて静かに頷く。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえると、うれしいです」
「こちらこそ。どうか、これからもよろしくお願いいたしますね」
その言葉に悠眞は丁寧に礼をして、屋敷を後にした。
庭では秋の風が吹き抜け、柿の実がゆっくりと揺れている。
ふと縁側の向こうを見ると、障子の隙間から織江が小さく手を振っていた。
悠眞は短く笑って頷き、門を出る。
(織江についてたアレは、もう完全に消えた。無事でいて、微笑んでくれるなら、それでいい)
夕暮れの光の中、彼の背中は静かに伸びていた。
落ち葉がひとひら、道の上に舞い落ちる。
その足音は、まるで決意のように淡く響いていた。




