第六章 その7
展示室の空気は、紙と木の匂いに満ちていた。
秋の陽が窓越しに差し込み、朱山の稜線をゆっくりと照らしていく。
翔流と美音は並んで机に向かっていた。
紙の束が山のように積まれ、二人の間に静かな緊張が漂っている。
翔流は、古文書の頁をめくりながら目を細める。
細筆で書かれた文字は墨が薄れ、ところどころ虫食い。
それでも彼は、行間を読むようにして目を走らせていった。
こういう地道な作業は嫌いではない。
けれど、何か――胸の奥が落ち着かない。
この土地のことを調べれば調べるほど、
目には見えない何かに“見られている”ような感覚が増していく。
「…これ、鎌倉期の写本ですね」
美音の声が静寂をやさしく割った。
その声が空気に溶けるたび、彼の意識が地面へ引き戻される。
ふと、指先がざらりとした紙肌に触れた。
ほかの巻よりも古い。
墨の色が赤黒く、どこか生々しい。
「――“龍頭山ニアリテ、朱ノ…”」
翔流が無意識に声を出した。
美音の動きが止まる。
「…いま、なんて言いました?」
「これ…“朱ノ咎”って読めませんか?」
美音が隣に身を寄せる。
髪の香りが一瞬、翔流の頬をかすめた。
彼の視線の先、古文書の一角に確かに記されていた。
朱ノ咎
その二文字だけ、ほかよりも濃く、滲んで見えた。
光の加減か、それとも――。
「ホントだ…」
美音が息を詰め、指先で文字をなぞる。
「この墨…鉄分が多い赤墨です。硫化水銀や鉄分など、原料によって赤墨にも種類がありますが、これは赤黒い色を出すために使われた古いものですね」
翔流は、ぞくりと背筋に寒気を覚えた。
それが冷たいのか熱いのか、自分でもわからない。
美音が慎重に古文書を広げ、二人で読み進める。
掠れた筆跡の中から、辛うじて判読できる文が浮かび上がる。
> 「――ソノ血、朱ヲ為シ、咎ト成ル。
地ニ留マリ、ヒトヲ惑ワス。」
「……“朱をなし、咎となる”。
“地に留まり、人を惑わす”……?」
翔流は低く繰り返す。
口にした瞬間、背後の空気がわずかに揺れたように感じる。
美音は、少し色のついたリップをしている唇に指を当てながら思案する。
「朱……血の色。
咎……罪や災い。
つまり、“血が地に留まり、罪となる”ってこと……?」
翔流は、昨日聞いた龍の話を思い出していた。
首を落とされ、血が流れ、
その地が山となった――。
「……じゃあ、この“咎”って……」
「龍の血の名残かもしれません」
美音の声が震える。
「斬られた首が山になり、その血が“咎”として残った。
封じられた何か――怨念のような…」
窓の外で風が唸り、ガラスを叩いた。
その音に翔流が顔を上げる。
――朱山が、ゆらりと光を返した。
陽炎のように揺れて見える。
けれど、すぐに静止する。
「…“朱の咎”」
翔流は低く呟いた。
その声が空気を震わせる。
自分の声なのに、どこか遠くから響くような感覚。
美音は彼を見つめ、微かに微笑んだ。
「…やっぱり、あなたが見つける気がしてました」
翔流は眉をひそめる。
「俺が?」
美音は答えない。
ただ、長いまつ毛の影が頬に落ち、
赤茶の髪が窓の光を受けてゆらりと揺れた。
外では風が止み、
朱山の稜線だけが夕陽に染まって燃えていた。




