第二章 その1
今後は章を分け、出来次第更新していくつもりです
春日家は朱山市の西端、外輪山の裾野に寄り添うように建つ古い木造の家だ。
背後には明神ヶ岳へと連なる山並みが広がり、夕刻には稜線が紅く霞み、まるで空へ滲む炎のように見える。
畑は緩やかな傾斜に沿って拓かれており、祖父が手を入れるたび黒土が柔らかく返され、初夏の作物が青々と伸びていた。
じゃがいもの白い花が群れて咲き、湿った風に揺れて小さく震えている。
放課後、陽菜は制服のまま濡れ縁に腰を下ろし、祖母が持ってきた麦茶を両手で受け取った。氷がからりと音を立て、夏の匂いを含んだ風と一緒に涼やかさを届けてくれる。
「ありがとう」小さく礼を言って、グラスに頬を寄せる。祖母は微笑みを浮かべて台所へ戻っていった。
やがて夕餉の卓には、氷で冷やされた素麺と、浅漬けのきゅうり、焼きたての鯵の干物が並んだ。
「ほら、これも入れてごらん」
祖母は小さな壺から梅干しを取り出し、陽菜のつゆ椀に落とした。
箸でほぐすと、つゆに淡い紅が広がり、酸っぱい香りがふわりと立つ。
「……すっぱ!」思わず声をあげ、笑みがこぼれる。
祖母は目を細めて頷き、「庭の梅で漬けたんだよ。去年はよく実がついたからね」と嬉しそうに言った。
陽菜は小さく「へえ……」と返し、もう一口すする。笑顔は長くは続かないけれど、そのひとときだけは年相応の少女の顔をしていた。
食後、濡れ縁に戻ると、陽菜の視線は自然と朱山の稜線へと向かう。紅く霞む峰々を仰ぐと、胸の奥に重いものが沈んでいった。
――自分のせいで、家族は壊れてしまった。
声に出すことはない。だがその思いは、心の奥底にしつこく絡みついていた。
ふと、古びた兎のぬいぐるみに手を伸ばす。耳が垂れ、縫い目もほつれかけているが、それは幼いころ翔流が誕生日にくれた大切な宝物だった。あの日、少年は少し照れたように笑って言った。
――「陽菜、こういうの好きじゃないかと思ってさ」
陽菜は兎をぎゅっと抱き寄せ、頬をすり寄せる。誰にも見せない仕草。目を閉じれば翔流の笑顔が浮かび、心の奥にあたたかさと、言葉にできない切なさが交じり合って広がっていった。




