第五章その3
秋晴れの朝、体育館の天井から吊られた校旗がゆるやかに揺れていた。
剣道部の交流戦――他校との対外試合。観客席には他校の生徒や保護者が詰めかけ、道場とは違う緊張感が張り詰めている。
「次、石神!」
顧問の声に、織江は深く息を吸った。
昨日の夜、布団の中で何度も繰り返した。
――負けない。今度こそ勝つ。
けれど、握った竹刀の手には微かな震えがあった。
(大丈夫。昨日のことなんか、忘れなさい)
母の声が脳裏をよぎる。
“女の子は剣なんか振り回してないで”――あの言葉が、今もどこかで棘のように刺さっている。
床に正座し、相手と向かい合う。
礼。蹲踞。構え。
観客のざわめきが遠のき、世界が一点に収束する。
開始の笛。
「面っ!」
織江は一気に間合いを詰め、渾身の一撃を放つ。
乾いた打突音が響く。
だが、相手は巧みに竹刀を捌き、体を滑らせて織江の攻めを受け流した。
(焦らない……落ち着いて)
息を整える。次の瞬間、相手が一歩踏み込み、鋭い小手。
竹刀がぶつかる。腕に痺れるような痛みが走った。
二本目。
立て直したつもりが、体は思うように動かない。
昨日の悠眞との試合が、脳裏に焼きついて離れない。
彼の静けさ、揺るがぬ姿勢――あの時の“届かない感覚”がまた蘇る。
(どうして……どうして届かないの)
「胴っ!」
視界の端を光が走り、次の瞬間、打突が決まった。
笛が鳴る。終了。
織江はその場に膝をつき、竹刀を支えに小さく息を吐いた。
勝負が決まった瞬間、心の奥で何かが音を立てて崩れた。
――負けた。
観客席から拍手が沸き起こる。
けれどその音は、遠い世界の出来事のように聞こえた。
「石神、大丈夫か?」
仲間の声に、織江は笑顔を作る。
「うん……ちょっと外の空気、吸ってくる」
彼女は竹刀を手に、静かに体育館を出た。
胸の奥には、焼けるような敗北の痛みだけが残っていた。




