第五章その1
学園祭の朝。校舎は浮き立つような熱気に包まれていた。
飾りつけられた廊下を、生徒たちが行き交い、教室からは笑い声や呼び込みの声が響く。
けれど、翔流の視線は人混みの中を探し続けていた。
陽菜の姿は、どこにもない。
一日目だけではなかった。二日目の最終日を迎えても、そのまた翌日も、彼女は教室の席を空けたままだった。
「…ちょっと、行ってくる」
そう言って、翔流は担任に彼女の住所を聞き、足を運ぶことにした。
向かう理由は手に持つ鞄――先日の騒動で陽菜が忘れていったものだ。
だが実際は、それだけではなかった。
(…怖い思いしたんだ…。無理もない。でもあいつ、どうしてるかな)
理由を言葉にできず、ただそう思う気持ちが背中を押していた。
陽菜の家は高校から30分ほど歩いた山のふもと、里山と呼ばれるような地域にあった。
彼女の家へ進む道半ばに舗装路は砂利の細道に変わり、軽自動車くらいしか通れないほどの狭さになる。
道の両側には小川が流れ、初夏には左右に広がる田んぼへと、冷たい水をもたらすのだろう。
蛙の声に案内されるように、翔流は目指すべき家に辿り着いた。
門をくぐると、庭先で老人が鍬を手にしていた。
秋の夕暮れ、梨の木の下で土を耕す姿は、どこか静かな佇まいを感じさせた。
翔流は声をかける。
「すみません。春日さんのお宅は…」
その声に顔をあげ、にこやかに頷いた陽菜の祖父は、最初に見かけた印象よりも若々しく、涼し気な雰囲気を醸し出していた。
「おや、陽菜の友達かね?」
「はい。陽菜さんと同じクラスです」
翔流は後ろ手に持っていた陽菜の鞄を差し出しながら
「これ、彼女の忘れ物です。それで…」
自分でも言うべき言葉に迷っていた。
住所までわざわざ聞いて来て、ただ鞄を届けるだけで良いのか?
(…いや、理由なんてうまく説明出来ないけど…)
とにかく気にかかって仕方なかった。
だから彼は、笑みを作って軽く誤魔化す。
「ここ数日来ないから…。体調悪いんですか?」
老人は鞄を受け取り、そっと撫でながら言った。
「ああ、少し体を崩してな。今も寝ているはずだよ」
翔流は胸の奥にわずかな安堵を覚えた。
(…大事じゃなかったならいいか)
「とにかく今は寝かせてやってくれるかな?どうも精神的にも弱ってるみたいでね。決して弱い子じゃないんだが、なんていうかな…」
老人はふと視線を庭の先に向け、呟くように続けた。
「あの子はね、何でも自分のせいだと思い込む癖があるんだ。母親のことも……アケノトガじゃあるまいに」
「…え?」
祖父の視線の先、朱山を眺めていた翔流は聞き慣れない言葉に小さく首を傾げる。
だが老人ははっとしたように顔を上げ、すぐに明るい笑みを作る。
「でも、君が来てくれたのはきっと喜ぶよ。最近は明るい顔をしていたんだ。きっと君が支えになってくれていたんだろうね。」
「そんな……自分は」
翔流は言葉を濁した。だが老人の声音には確かな感謝が滲んでいた。
そして、庭の縁側に腰を下ろすよう促され、よく冷えた梨を振る舞われた。
水気を含んだ甘さが喉を潤し、夕暮れの風が庭を吹き抜ける。
どこか取り繕うような祖父の笑顔と、梨の冷たさが、翔流の胸に奇妙な余韻を残した。
帰り道。
茜色が群青に沈み、街灯が一つ、また一つと灯っていく。
翔流はポケットに手を入れ、先ほどの言葉を反芻した。
(アケノトガ…?明けの戸が…?夜が明ける兆し?でも、そんな明るいものじゃない雰囲気だったけど…)
歩調を緩め、ふっと息を吐く。
(わかんねー。井細田辺りに相談してみるか)
無意識に頭を掻きながらも、普段から何かとうんちくを披露する彼ならもしかして?と翔流の脳裏に友人の姿が浮かぶ。
なにか大事なことを聞いたような気がしたが、それがなにか掴みきれないまま。
道が舗装路になったころには、夜の帳が彼を飲み込んで行く。
空に広がる星空が、朱山の稜線に分かたれるのを見ながら、陽菜はどんな顔して鞄を受け取るだろう?と、ただそんな事を考えていた。




