第四章 その6
読んでいただけて嬉しいです。
わかりにくい文章多かったらすみません。
翔流の前を駆け抜け、下駄箱を過ぎた頃。陽菜の目にはじわりと熱が広がった。
彼女は涙を堪え、唇を噛む。
昇降口を飛び出すと、夕暮れの風が頬を打つ。
赤みを帯びた空は沈みかけ、校庭の影が暗く長く伸びていた。
視界の端には子どもたちの遊ぶ笑い声が遠ざかっていく。
陽菜は鞄を胸に抱きしめ、ただひたすら走った。
堪えていた涙が、走るたびに揺れるまつげから零れ落ちる。
熱い雫が頬を伝い、風に冷やされていく。
視界が滲み、地面の白線も、道端の木々も歪んで見えた。
舗道を蹴り、横断歩道の白線が目に飛び込む。涙で曇った視界に、近づく車のライトが滲んで揺れた。その光に照らされる自分の影が、震えるように長く伸びていった。
クラクションが陽菜の耳を裂き、地面が震えるほどのエンジン音が迫ってくる。
ヘッドライトが正面から突き刺さり、白光が全身をさらし出す。
超過速度のまま突っ込んでくる車は、減速しようには距離が近すぎた。
(――あ…)
鼓動が喉を突き上げ、肺が縮み上がる。
時間が引き延ばされたかのように、一瞬一瞬が切り取られる。
ライトに照らされる陽菜の影が長く伸び、鉄の塊が瞳に迫ってくる。
フロントのエンブレム、歪んで映る街灯の光―細部まで異様なほど鮮明に焼き付いた。
その時だった。
轟音とともに、車体の前方がぐしゃりと押し潰された。
まるで目に見えぬなにかに叩きつけられたかのように。
異様な力で軌道を逸らされた車は、タイヤを悲鳴のように軋ませながら横滑りし、歩道へ突っ込んでいった。
「陽菜!」
翔流が駆け寄り、咄嗟に彼女を抱き寄せる。細い肩を掴み、顔を胸に押し当てる。――見なくていい、と言わんばかりに。
視界の外から、子どもの泣き声と大人たちの叫びが押し寄せてくる。
焦げたゴムの匂いが鼻を刺し、空気がざわついた。
翔流の脳裏に、祭りの夜の光景が甦る。
――あの時。男が巨大な山車を、ありえない力で持ち上げ、横倒しにした。
常識をはるかに超えた異様な一瞬が、鮮やかに蘇る。
「…あれと…同じ…?いや…でも」
震える声が喉から零れ落ち、冷たい汗が背を伝った。
あの時の男は明らかに自らの身体で持ち上げていたが…
今のは何かが触れた様子もなく、ただ車が弾け飛んだように見えた。
…陽菜を守った?いや、だが俺が抱えなければ彼女は結局ぶつかって居たかも知れない。
何が起きたんだ?彼は陽菜を包みこんだまま、状況を把握しきれずに居た。
翔流の胸に顔を抱かれていた陽菜の肩は小刻みに震えていた。
怖かったのだろう。無理もない…。と、そっと頭に手を回そうとしたその瞬間、彼女は強く翔流を押し返した。
「陽菜…?」
潤んだ瞳が一瞬だけ翔流を映すと、すぐに俯ききつく目を閉じる。
翔流の目に映る涙を貯めた陽菜の顔。その表情は恐怖と罪悪感とで真っ青に染まっていた。
「…だめ…なの…」
かすれた声でそう言い残すと、陽菜は踵を返し、足元に落とした鞄にも気づかず走り去っていった。
翔流は呆然と立ち尽くし、闇に消えていく背中を追おうと足を踏み出そうとする。
だが、子どもの泣き声が翔流を現実に引き戻した。
腕に残る陽菜のぬくもりを逃さないように、彼は胸の前に拳を握りしめながら、それでも後ろを振り返ると歩道の事故現場に向かう。
(なにかしら…俺にもやれることがあるはずだろ)
やがて騒ぎが収まり、救急車が怪我人を乗せ走り去るのを見届けると、翔流は地面に目を落とした。
そこには、陽菜の鞄がぽつんと取り残されていた。
手に取るとほんのりと彼女の温もりが残っている気がして、つい口をつく。
「…明日、渡せばいいよな」
誰に聞かせるでもない声が、宵闇に溶けていった。




