第四章 その4
文化祭前日。教室は活気と喧噪に包まれていた。
机の上には布切れやハサミ、使いかけの絵の具が散乱し、誰もが作業に追われている。
陽菜は窓際の席で針を進めていた。
白布を幽霊の衣装に仕立て上げる手元は迷いなく、縫い目は細かく整っている。
「春日さん、これすごいな」
後ろからクラスメイトが覗き込み、感嘆の声を漏らす。
陽菜は小さく赤面し、「いえ……」と俯いた。
――その時だった。
机の端に置いた衣装がふいに滑り落ち、床に広がった。
慌てて拾い上げた陽菜の視線が、一瞬で凍りつく。
白布の裾に、汚れた足跡が残っていた。
「……っ」
呼吸が浅くなる。
昨日のことが頭をよぎる。
放課後、なかなか見つからなかった鞄は下駄箱の外に投げ出されていた。
砂と足跡にまみれ、持ち手の布は歪んでいた。必死で拭き取って家に持ち帰ったが、胸のざわめきは消えなかった。
(……やっぱり…わざとなんだ…)
顔を上げると、穴部紗季が無表情のまま机の横を通り過ぎていくところだった。
「ごめん、邪魔しちゃった?」
淡々とした声。だが、その瞳には悪びれた色がない。
「……大丈夫、です」
唇が震えた。声がかすれ、自分でも聞き取れないほどだった。
昨日の鞄、そしてこの態度――
線がつながった瞬間、陽菜の心は崩れ落ちる。
視界が滲み、針も糸も見えなくなる。
立ち上がった陽菜は、鞄を抱えたまま教室を飛び出した。
「春日さん? どうしたの?」
誰かの声が追ってきたが、耳に入らない。
廊下を駆け抜ける途中、前から歩いてきた翔流とぶつかりそうになった。
「おっと……陽菜?」
翔流の声を聞いた瞬間、陽菜がぱっと顔を上げる。
その瞳には涙がいっぱいに溜まり、今にも零れ落ちそうに揺れていた。
翔流が息を呑む間もなく、陽菜は視線を逸らし、慌てて俯いた。
涙を見られまいとするかのように顔を伏せ、そのまま翔流の脇をすり抜けて走り去った。
伸ばしかけた手も届かぬまま、翔流は呆然と立ち止まる。
焼き付いたのは――あの一瞬の、張り裂けそうな表情。
角を曲がって姿が消えるまで、翔流は動けずにいた。




