第三章 その5
突如として響く男の咆哮が、花火の音をもかき消した。
的屋風のその男は人混みや屋台に構わず、何もかも蹴り倒し、踏み越えながら山車に向かっていく。
「危ない!」「逃げろ!」
怒号と悲鳴が入り乱れ、人々は押し合いへし合いで四方に散っていく。倒れた屋台の鉄板が地に響き、甘い綿菓子や焼きそばの匂いが土埃と混じり合った。
子どもの泣き声。誰かを呼ぶ母親の叫び。
祭りの鮮やかな光が一瞬で混乱に呑みこまれていく。
「やめろっ!」
翔流は反射的に走り出していた。男の肩を掴もうとした瞬間、山車が大きく軋んだ。
信じがたいことに男は一人で山車を持ち上げ、倒そうとしているのだ。木材が悲鳴を上げ、ゆっくりと倒れこむ。
「嘘だろっ……!」
倒れ跳ね上がる山車の車輪により地面に叩きつけられた翔流は、腕で顔を庇う。
花火に彩られながら舞い上がる砂埃の向こうで、小さな影が必死に泣き、叫んでいた。
夜空には変わらず大輪が咲き、不安げな人々の顔を照らし出す。
(こんなの……おかしい!みんな祭りを楽しんでいただけなのに!なんで…!)
翔流は歯を食いしばり、横倒しにされた山車へと身を投じた。
とても持ち上がるはずのない重さ。けれど――全身の奥から、燃えるような力が溢れ出す。
「うおおおおおっ……!」
花火の閃光に照らされ、筋が裂けるような痛みに耐えながら、山車がほんの僅かに浮き上がる。
その一瞬の隙間に手を差し入れ、子どもの体を引き抜いた。
泣き声が腕の中に戻ってきた瞬間、翔流は膝から崩れ落ちた。
(俺…どうやったんだ?)
息が荒く、全身が震える。自分がやったことを信じられない。
周囲の大人たちが駆け寄り、ようやく救助が広がる。救急車のサイレンが遠くから近づき、動かなくなった的屋の男は警官に囲まれている様子だ。
混乱の渦の中で翔流はただ呆然と夜空を仰いだ。
花火は何事もなかったかのように咲き、散り、夜を鮮やかに彩っている。
――同じ夜、花火の光の下で。
陽菜は庭先に立ち、花火を見上げていた。
まばゆい光が夜空に大輪を咲かせ、遅れて届く重い響きが胸を震わせる。
まるで家の真上で開いたかのように、視界いっぱいに色彩が広がった。
金は星屑の雨となり、赤は燃える想いのように、蒼は澄んだ祈りのように宵闇を染めていく。
光の粒が降りかかる錯覚に、陽菜は思わず手を伸ばした。
指先に触れられるはずもないのに、すくい上げようとするように。
「…わあ!」
声が自然に零れ、頬がほころぶ。
その笑顔は紅に照らされ、蒼に包まれ、金に彩られ、花火よりも鮮やかに輝いていた。
知らず知らずにこんなふうに笑った自分に、胸がくすぐったくなる。
「翔流くんと、一緒に見られたらいいのになぁ……」
小さな呟きに、自分で頬が熱くなるのを感じ、浴衣の袖で口元を隠した。
――せめて夢の中ででも、この光を隣で――。
ひときわ大きな大輪が夜空を裂き、彼女の笑顔を照らした。
それは盛夏の一夜に咲いた夢のように、儚くも眩しい時間だった。




