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朱の山  作者: 晦ツルギ
第三幕

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第三幕 第一章 その4

クールグレーメタリックのインプレッサが、闇を切り裂くように疾走していた。

コーナリングのたびにタイヤからは僅かなスキール音。だが、クルマは狙ったラインを寸分違わず、加速しながらコーナーを立ち上がっていく。

今となっては旧車に分類される初期型の最終バージョン。走行距離もゆうに10万キロを越えていた。

だがその磨き上げられたボディは、点在する街灯を受けるたびにくっきりと光を反射する。

県道から逸れるとさらに山も深まり、やがて気休め程度の間隔に据えられていた街灯も姿を消した。

暗い山際の道を、LEDバルブに換えたばかりのヘッドライトから眩い白い光だけが貫いていた。


「ちょっと、いくらなんでもスピード出しすぎじゃないかしら?」

美音は穏やかに言った。眉ひとつ動かさない声音は、翔流を信じ切っている者の確認にも似ていた。

翔流は一瞬だけ助手席に視線を送ると軽く微笑みながら

「平気平気。前にラリーやってる店でね、ちょっとバイトしたときに走らせ方も教わったんだよ」

「相変わらずの交友関係と物覚えの早さよね。出来ないことはないの?」

翔流は暫しの逡巡を挟み、口を開く。

「…人並みに年取ることくらいかな」


翔流は軽く笑いながらハンドルを握り直した。

「美音さん、後ろの箱、取れる?」

「これ?」美音はシートのレバーを引いて背もたれをわずかに倒し、ベルトのテンションを抜いて体ごと振り向き、後部座席の黒いケースを手繰り寄せた。

「うん、それ。あ、この先キツいコーナーみたいだから気をつけて。曲がりきったらでいいから、開けて中の物、出しといてくれよ」

ヘアピンが迫る。翔流はステアリングを右へほんのわずかに当て、すぐ左――小さく振り子を作る。荷重が移った刹那、車体がタイヤ数本分だけ横を向き、四輪が同時に路面を掴んだまま姿勢を決める。フロントがインを刺し、リアが追いつくのに合わせてアクセルを踏み込む。クルマは勢いを保ったたまま立ち上がりラインに乗り、加速態勢に入る。


振り向いて後部座席に手を伸ばしていた美音は、なかば荷物にしがみつく形でクルマが曲がり終えるのを待った。

「え、えー!? こんな体勢のときに、そんな派手な曲がり方しなくても…」

「ごめーん!今はもっとコンパクトに滑らせて曲がる走りが主流らしいんだよね。昔、これで覚えたっきりでさ。そろそろまた教わりに行かなきゃな」

「ねぇ、もう平気?」

「しばらくはストレートだから、今なら大丈夫」

翔流の声を合図に、美音はその黒い革張りのケースの留め具を外す。


「…これって」

白木の鞘に納められた短刀――白鞘の小太刀が現れる。

「そ。悠眞の家から借りてる。咎の封印地なら、必要になるかも知れない」

「こんな楽器みたいな容れ物で持ち歩いてたのね。でも、出来るの?悠眞くんみたいに」

「直系ほどじゃないけど、俺も同じ一族だしね。それに一度、悠眞が咎を斬るとこ見たことあるから」

「そう…。出番ないといいけれど」

「まったくだ」

翔流は笑いながら、シフトアップする。エンジンが唸り、暗い山道の先に再びヘアピンコーナーが近づく。


翔流の操るインプレッサはコーナーと逆方向にノーズを向けると、再び派手なスカンジナビアンフリックを決めながらコーナーを立ち上がる。

視界が開ける。夜風がガラスを流れ、街の灯りが遠くに滲む。山裾の霧の向こうで、赤い光がゆらりと揺れた。

「あ…。もう燃えてるのね…」

翔流が頷く。

「やれやれ、始まっちまってたか。よりによって今日の今日とはね」

「悠眞くんの勘も凄いわね」

「龍城案件は厄介だねぇ」

アクセルを踏み込む。エンジンが吠え、銀灰色クールグレーの車体が夜の坂道を駆け上がった。山の稜線が、燃えるような朱を帯び、煙は向かって左の谷側へ流れている。山から吹きおろす夜の山風だった。


やがて炎の熱がフロントガラス越しにも感じられる距離に迫る。社の屋根はすでに崩れ、木材が火の舌に喰われていた。翔流はエアコンを内気循環に切り替え、軽くステアを当てつつクラッチを切り、サイドブレーキを一気に引く。車体が軋む音とともにクルマは狭い道幅の中で半回転し、下り方向に頭を向けて停車する。

「まだ火勢が強い。まともに呼吸できるかもわかんねーし、美音さんはここに居てくれ。いざとなったらこれ運転して逃げてくれよ」

「わかった。でも、わたしはここで見届けるの」

翔流は少しだけ笑って、肩をすくめた。

「――見届けるって言うならさ。せめて、煙に巻かれそうになったら、少しだけ動かしてくれよ。俺のクルマ、火事にやられないように助けてやってよね」

美音は静かに微笑んだ。

「…わかった。じゃあ、クルマを守るついでに、あなたのことも助けてあげる」

「そりゃあ心強い」

翔流は軽く頷き、ドアを開けて炎と煙の中へ身を沈めた。夜気に混じる焦げた匂いが顔を掠め、ズボンのベルトに差し込んだ白鞘が薄く鳴る。

パチパチと火花の弾ける音、焼けた木材から立ちのぼる白い煙。その中に僅かに油めいた匂いが混じる――。

「やれやれ、ガソリンスタンド以外で嗅ぐのはゴメンだな」

その中を、まるで散歩でもしているかのように自然に歩きながら、彼は燃える社の周りをぐるりと進んでいく。


焼け崩れた鳥居の向こう、炎の中に人影があった。男がひとり、焔の縁に立ち尽くしている。焦げたジャンパー、煤けた頬。両手はだらりと垂れ、揺らめく火に照らされていた。


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