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朱の山  作者: 晦ツルギ
第三幕

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第三幕 第一章 その3

夕陽が西の窓を染め、展示室の床を金色に照らしていた。閉館を告げる館内放送が終わると、風祭美音は机の上の資料をまとめ、翔流は隣で古文書の目録を閉じた。

外は風が強い。木々のざわめきが館の壁をくぐって、ほのかに紙の匂いと混ざり合う。遠くでサイレンの音が聞こえた。最近、この街では火事が続いている。その大半は不審火とされている。

資料館にも役所からの注意喚起が回ってきており、それはカウンターにも掲示してあった。


「やっぱりもう秋も深いのね。釣瓶落としって感じ」

美音は鍵をまとめながら、窓の外の空を見上げる。

「確かに。もうじき年末かぁ。今年は日本の年越しだし、蕎麦とか食おうかな」

翔流は両手を頭の後ろで組み、伸びをしながら軽く笑う。

「そうね。今年はゆっくりしたらいいわ…あら?」

駐車場にヘッドライトの光が差し込む。一台の車が入ってきて、エンジンをかけたまま停まった。


しばらくして、ドアが開く。

「失礼する。閉館後なのは承知だが、少し急ぎの用件だ」

低い声。立っていたのは背の高い男だった。スーツの上からでもわかるその引き締まった身体からは、日頃の鍛錬がうかがえる。黒髪を後ろへ梳き上げたオールバック。その眼差しには強い意志が宿っていた。


翔流が目を瞬かせる。

「ん?」

ドアから現れた顔を見て、彼の表情が一気に明るくなった。

「お?なんだ悠眞か?久しぶりだな」

「…翔流?お前、帰ってたのか」

「そ、おひさしー」

龍城悠眞たつき はるまは同級生で遠縁だ。

その彼の、変わらない眼差しと引き締まった体躯は会わないでいた長い年月をあまり感じさせなかった。


懐かしさが、秋の空気を揺らした。だが悠眞の表情は変わらず固い。

「帰ったのなら、何故顔を出さない」

鋭い眼光で翔流に問う。

「おぉ、怖っ。いやいや、もう家族持ちのとこにさ、こんなよくわからんヤツが行っても…な?」

「織江に気を使う必要はない」

「言い切ったよ。亭主関白ぅー」

「それに黎拓れいたはどういうわけかお前を気に入っているしな」

「まー、そりゃあ人徳でしょう」「精神年齢が近いからじゃないのか?」


翔流が茶化しながら大袈裟に肩をすくめたそのとき、奥から美音が顔を出した。

「あら、悠眞くん。お久しぶりね」

「あ…、え?風祭…さん?」

「はい?」

悠眞は暫し美音を見つめる。その視線に、美音は小首を傾げた。


「あー!こいつ、美音がそのままだからびっくりしてんだよ。初めて見たー!理解が追いつかない顔の悠眞!」

「翔流!お前はそうやってすぐ茶化す」

「ははっ、やっぱ似た者同士だねぇ、俺ら」

美音はそんな二人を見て、くすりと微笑んだ。

「ふふっ…ホント、変わらないのね、ふたりとも」


柔らかな笑いがひと呼吸の間を作る。館内の時計がカチ、カチと音を立て、外の風がまた窓を鳴らした。

「まぁまぁ。コーヒー淹れたから、飲みながらにしましょ?そちらのソファへどうぞ」

「美音さん、クッキーあったよね?小腹空いた」

「あれはわたしのとっておきだからダメよ」

「まるで夫婦だな。いや、俺と織江よりも夫婦それらしい」

「ちっげーよ!そもそも美音さんは保護者だぜ?美音ママだよ」

「あ!あー!久しぶりに“ママ”言ったな!翔流くんにはお茶請けなし!」

「失言だったな、これは夫婦じゃなく夫婦漫才だ」


笑いながらも、悠眞はそのやり取りの中でふと真顔に戻った。静かに外套を脱ぎ、テーブルの上に資料の束を置く。重い紙の音が、笑いの余韻を断ち切るように響いた。

「…用件なんだが」

「はいはい、聞いてますよっと」

翔流がソファに深く腰を下ろし、美音がカップをそっと置いた。悠眞は一拍置いて、低く言葉を続ける。

「近頃の不審火、知ってるな?」

「まぁ、ニュースでちらっと。市の注意喚起もあったしね」

「どうも、焼け方の差が激しい」

美音の目が細まる。「というと?」

「朱山関連、いや、朱山にある社跡だけが、跡形もなく焼けている」


翔流が眉をひそめる。館内の蛍光灯がわずかにチリ、と鳴った。

「…まさか、朱の咎の痕跡?」

美音の問いに、悠眞は重く頷きながら

「あぁ。焼かれたのは、過去に咎憑きが出たとされる土地ばかりだ」

「…つまり、“咎”を狙ってるってことか?」

翔流が低く呟く。

「恐らくは、な。俺の方でも調べたが、共通点は他に考えられん」

翔流は苦く笑い、肩を回す。

「やれやれ。龍城さんが来るとロクな話じゃないな」

「お前が軽く見すぎるんだ」

「いや、重く見たって事態は変わんねぇだろ?」

「…お前は昔からそうだ」

「褒め言葉と受け取っとくよ」

ふたりの軽口が交わされるたび、美音はコーヒーをひと口含みながら小さく息をついた。

「ホント、やっぱりちっとも変わらないわね。二人とも」


悠眞はテーブルに黄ばみかけた古地図を広げ、指先で朱山一帯をなぞった。社跡が描き込まれた、おそらくは龍城の家に伝わる物だろう。

「残る候補は二つ――旧天狗沢の祠と天神社跡だ。どちらも咎憑きがあったが、まだ残っている場所だ。次はどちらかだろう」

翔流が顎をさする。

「つまり、俺らで分かれての二正面作戦ってワケね。じゃあ、俺は南、つまり天神社だな」

「ええ。山沿いの道は通行止めみたいだから、車で行けるのはそこまでね」美音が手帳を閉じ、頷いた。

朱山の地図を挟んで三人の影が重なる。外の風が強くなり、窓の向こうの稜線が赤黒く染まっていた。


「…わかったわ。まずは現場の確認ね」

「え!美音さんも来る気!?」

翔流は驚きながら美音の顔を見つめる

「え?」

美音は当たり前でしょ、と言いたげな顔で翔流を見つめる。

その視線に、翔流は断るべきかと逡巡するが、ふと幼い頃の記憶が頭によぎる。あの時も、今のように悠眞が一緒にいた。

(あの時、一緒に行こうって言ってたら陽菜は…)

彼は軽く眉を寄せ、頭を掻くとため息とともに

「ったく、言い出したら聞かねーだろうしなぁ」


翔流が立ち上がり、コートを羽織る。

「悠眞、どうせなら途中まで一緒に乗ってくか?」

「いや、俺はここから直接北を回る。お前らは南を頼む」

「そんじゃ、またあとで。“不審火退治”、と洒落込もうか」

「…お前は本当に変わらんな」


扉を開くと、夜風が吹き込む。美音の髪が揺れ、ふわっと花のような甘い香りが漂う。

すでに外はすっかりと暗く、秋の匂いを帯びた風が三人の間をすり抜けていく。

翔流はクルマの鍵を指先で回しながら、駐車場の奥へ向かっていった。


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