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朱の山  作者: 晦ツルギ
第三幕

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第三幕 第一章 その2

ショーケースの中はまるで宝石箱のようだった。色とりどりのケーキが整然と並び、見るものを自然と笑顔に変えた。

翔流はその中からいちばん目を引く果物のタルトと、他にもいくつかのケーキを選ぶと、会計を済ませる。綺麗に箱に詰められていくケーキを横目に、あらためて店内を見回す。

駅前に新しく出来た洋菓子店。昨日、郷土資料館で聞いたばかりの店だ。

その小さな店内は早くもクリスマスの飾りつけにきらめき、焼き菓子の棚には小さなサンタとトナカイが楽しげに並ぶ。レジの横には、その日のケーキの予約を促すポップが貼られていた。

「お持ち歩きはどれくらいですか?」

ふいにかけられた言葉に、彼は視線を天井に泳がせ、考えるようにひと息。すると、ちょうどショーケースがブーンと低く唸る。

「一時間くらい、かな」

店員がレジの画面を見て慌てて笑う。

「えっと、あ…。すみません、もうお会計通しちゃってて…。よろしければ今回はサービスで保冷剤をお付けします」

まだ開店間もない新店らしい、些細な手違いだった。

「それなら、追加でこのクッキーを貰おうかな。そこに保冷剤の金額も入れといてよ」

店員はホッとしたように小さく息を吐く。


品物を持って店を出ると、クルマに乗り込み、助手席に荷物を置く。

11月とはいえ昼過ぎの陽射しは暖かく、外の陽だまりに停めていたインプレッサからは冷房が吹き出してくる。

「保冷剤入れてもらって正解だったな」


車載のデジタル時計をちらっと確認する。

「お茶の時間にはちょいとばかり早いか…」

助手席の箱のリボンが、送風口からの冷気に揺れてかすかに触れ合う音を立てる。蓋にひと粒の水滴が転がっていく。

翔流はインプレッサのクラッチを繋ぐと目的地を決めずに走り出す。

クルマの向くままに市街地を走り抜け、川沿いの道へ出ると速度を落とし、のんびりと走らせる。

低い水平対向エンジンの排気音が響きながら、クルマはゆっくりと進んでいく。

やがて、見覚えのある河原が遠くに見えてくる。


風が、秋桜を揺らしていた。

花びらを運びながら川面を渡るたび、ひらひらと光を散らして、空の中に溶けていく。


翔流はクルマを止めてそれを眺めていた。

風の音、川の流れる音しか聞こえない。

世界がひととき、呼吸を忘れているようだった。


「陽菜、好きだったよな。秋桜」


その名を口にした途端、胸の奥に締めつけられるような痛みが走る。

一体、何度この花の時期を迎えたろう。

そのたびにこうして、風の中でこの花を見つめていた。

けれど、時は流れても心は少しも前に進まない。

(いや、進まないのは心だけじゃない。この、身体も)

自分が映り込んだミラーを忌々しげに跳ね上げると、彼はドアを開け、河原に降りた。


秋草の匂いが鼻腔をくすぐり、秋の陽射しが水面に淡く滲んでいる。

遠くからは単線電車が走る音が聞こえてきた。


しばらくの間、ただただ立ち尽くし、やがて静かにクルマへ戻る。

ドアを閉め、ポケットから六連星の刻まれたキーを取り出し、クラッチを切るとエンジンをかけた。

静かだった水辺に場違いな排気音が響き渡る。

翔流はクラッチを切ったままシフトレバーに手を伸ばす。


その時、ふとルームミラーに映った。

土手の上――制服姿の少女が、こちらを見ていた。

陽を背にして、顔は見えない。

けれど、その佇まいに息を呑む。


反射的に振り向く。

風だけがそこにいた。


「…やれやれ」

乾いた笑いを漏らし、翔流は頭を掻いた。

「ここに来るとそばにいるように感じるんだろーな」

そう言い聞かせながら、もう一度ミラーを覗く。

やはり、誰も映っていなかった。


翔流はあらためてクラッチを切り、シフトレバーを操作する。

クラッチを繋ぎ走り出したクルマの後ろには、ただ、秋桜が風に手を振っていた。





風に揺れる秋桜の中に、ひとりの少女が立っていた。

土手を降り、水面のすぐそばに。

淡い茶色の髪を肩で揃え、白いブラウスに朱高の制服のスカート。

茶色の革靴がぬかるんだ砂に沈み、湿った砂の冷たさが靴底越しに伝わった。


秋桜を揺らす風に、髪がなびく。

陽に透けたその淡い茶色の髪は、ほんのりと朱く流れていた。

少女は耳のあたりでその髪を押さえると

「今日の秋桜もとってもきれい…」と、そっと呟く。


その笑みは、まるで幼い子のように小さく、儚かった。


ふと、風がやむ。

遠ざかっていく排気音だけが、川面に薄く残っている。

少女は、風が運ぶことをやめ足もとに落ちた花びらを、そっと指先で拾い上げた。


そこへふいに風が戻り、その花びらを連れていく。

秋の陽にきらめきながら舞い上がるさまを、微笑んで見送った

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