第二幕 第八章
――また、この夢だ。
花畑の中、背中を向けて歩く白いワンピース姿の少女。
今まで何度見てきたろう、この夢。
朝になれば忘れていて、この夢に入ると思い出す、彼女。
でも、今日はようやく肩に手が届きそうだ。
彼女の横顔の輪郭が見える。
君は誰? 何故君を見るとこんな不思議な気持ちになるんだ。
嬉しいような、悲しいような。
それでいて満たされている、この気持ち。
まだ醒めないでくれ…。
*
また、この夢。
…久しぶりだな。いつ以来だろ。
目の前まで追いついた彼女の肩に、今。手が、届いた。
振り向く彼女。
この顔は…。
なんでこんなに胸が痛むんだ…。
その日から、夢が変わった。
*
子供の頃の夢だ。
悠眞と2人、泥だらけになりながら河原で遊んでいた時の夢。
そこに…。
あの子だ。
河原で遊ぶ俺達を遠くから見ていた幼い彼女に、俺が話しかける。
そっか、網を貸してあげたんだ。
はにかむ彼女。
「明日も居る?」
そう聞く彼女に、「もちろん」と応える。
それから、3人で毎日のように遊んでいた。
*
また夢だ。
明晰夢だっけ。夢だって自覚してる夢。
でも、まるで映像を見てるみたいに自分の意識では動けないし、話したいことも話せない。
けれど、彼女と一緒にいる夢を見るのを、どこか楽しみにしてる自分もいた。
どうやら今日は彼女の誕生日みたいだ。
俺は駅前のおもちゃ屋で買ったウサギのぬいぐるみを彼女に渡す。
「これ、お誕生日だから。こういうの好きじゃないかと思ってさ。」
そう言いながら手渡したぬいぐるみを、彼女は嬉しそうに抱きしめていた。
*
あぁ、またこの夢だ。
この日は朝から、悠眞と約束してたんだ。
神社裏に見つけた洞窟を探検に行こうって。
悠眞と合流して、神社への石段を登る。
鳥居をくぐって境内をぐるっと裏へ。
あそこに……洞窟……。
そこには彼女が倒れていた。
慌てて抱きかかえると熱がある。
悠眞は大人を呼ぶって走って行った。
……この夢、前にも見た気がするな。
*
今日の夢はいつもと違っていた。
同じように明晰夢なのに、俺の手じゃなかった。
知らない部屋。女の子の部屋みたいだ。
ベッドに転がる彼女の枕元には、あのウサギ。
何か辛い気持ちを、ウサギを抱きしめて誤魔化している。
ドアを開けて女性が入ってくる。
お腹の大きな女性だった。
頭を撫でられたが、余計に寂しくなった。
「お姉ちゃんになるんだから我慢しなきゃ」
そんな感情を感じた。
その時、部屋の空気が変わった。
重いような、寒いような。
部屋のガラスが突然割れた。
女性はお腹を庇いながら、ベッドに座るこっちに手を伸ばそうとして、転んだ。
*
次に見た夢は、また自分じゃなかった。
なんだろう。辛い気持ちしかなかった。
入院していた女性に会いに行く。
やつれた顔のその人は、お腹が小さくなっている。
女性は呆然とした顔で、こちらを見てくれない。
更に辛い気持ちになる。
「もう……やだ……」
女の子の声で、そう聞こえた。
目をつぶって下を向くと、女性は居なくなっていた。
ただ、窓が大きく開いていて、そこから風が吹き込み、
カーテンが大きな音を立てていた。
*
またあの夢か。
最近見てなかったのにな。
車に乗って彼女が遠くに行く。
寂しがり屋の彼女の傍に居てあげられなくなるのは、ちょっと不安だった。
彼女は車窓から振り向くと、泣きそうな顔で手を振った。
「会いに行くから――」
そう叫んだ。
*
久しぶりに、あの夢を見た。
ここは…。
懐かしいな。朱高だ。
桜吹雪の中、悠眞と一緒に彼女を見かけた。
大人になって、綺麗になっていた。
すぐにはわからなかった。
いつも花のような笑顔だった君が、無表情に俯いていたから。
でも、その後に同じクラスになったのは、ちょっと嬉しかった。
…こんなこと、あったっけ?
*
夢はそれから毎日のように続いた。
教室で彼女に声を掛けると、彼女は戸惑ったように笑いながら、
それでも嬉しそうな顔を向けてくれた。
ある日、彼女に声をかけたら、いきなり教室のガラスが割れた。
俺は彼女を引き寄せて、抱きかかえてガラスから守っていた。
彼女は青い顔をしていた。怖かったんだろうな。
*
俺は夢の中で彼女を追っていた。
全力疾走だった。
風を切る音が聞こえる。
彼女は道の真ん中に差し掛かった。
猛スピードの車が迫る。
俺は既に全力だったけど、もう跳ぶように彼女の所へ急いだ。
あとちょっと、間に合ってくれ。
車は速かった。
もうちょっと、届いてくれ!
突然、彼女の手前で車はフロントから潰れるように壊れると、速度を落とした。
俺は彼女を抱き寄せて車から守れたが、車はそのまま歩道に突っ込んだ。
子供の悲鳴が聞こえた。
彼女は震えて、やはり蒼白な顔色だった。
「ダメなの」
そう言って彼女は走り去った。
*
夢を、見た。
学校を休んでいた彼女に忘れ物を届けに行く夢。
生憎彼女は居なかった。
爺さんと話した。
母親のことも自分のせいだと考えている、と言っていた。
それから。
「朱の咎じゃあるまいし」と。
そうか、咎。
ガラスが割れたのは――あれはそういうことか。
でも、車は…。
あそこまで強い咎は見たことがない。
だとしたら、彼女はあんな強い咎を抑えていたのか。
…そんな事、普通の人間に出来るものなのか?
*
そこから、また同じような夢が続いた。
朝、彼女を迎えに行く夢。
家から出る彼女はいつも同じだった。
未舗装の道を下り、河原を歩く。
「川はどこに繋がっているの?」と聞かれ、
「海だよ」と答える。
河原に咲く秋桜を2人で眺め、学校へ向かう。
幸せな光景に見えるのに、どこか寂しかった。
何日か、同じ夢を見た。
*
ある日、お祭りに行こうと誘った。
彼女はとびきりの笑顔で「約束だよ」と繰り返した。
嬉しかった。そして、少し悲しかった。
それからも同じ登校の夢が続いたが、
彼女の受け答えが段々と曖昧になっていった。
でも、夢から醒める前には必ず――
「お祭り、楽しみだね」
そう言っていた。
*
夢の中では祭囃子が聞こえていた。
この日は朱山神社の例大祭だった。
少しだけめかし込んで、髪を整えて彼女に会いに行った。
2人で縁日を歩き、彼女は綿菓子を食べていた。
夜なのに人だかり。
そうだ、この日はいつもの単線電車も朝まで通しで営業する。
朱山が一番賑わう日だ。
花火見に行こうって、2人は境内へ登る。
参道もずっと屋台が並んでいる。
どこも夢の中みたいにキラキラしている。
……まぁ、これは夢なんだから当たり前か。
彼女が何かを言いかける。
「あのね、わたしね。ずっとね――」
俺はなんとなく言いたいことを察しながら、言葉を待っていた。
風が、吹いた。
いや、風なんてもんじゃなかった。突風?つむじ風?
屋台をなぎ倒し、提灯が真横に揺られ、飛ばされる。
俺は彼女を安全な所に、と思ったが、彼女はひとり、参道を上へと走って行った。
「わたしがここにいたらダメなんだ」と、そう言い残して。
俺は彼女を追った。
行き場所はなんとなくわかった。
あの洞窟の手前に、彼女は居た。
入り口を塞いでいた祠は壊れていた。
彼女と言葉を交わし、彼女を抱きしめると、彼女は口元から血を流した。
抱きしめた手にも、血が。
血は胸元から溢れたもので、彼女の胸には深い傷があった。
――カチャッ
血に塗れた包丁が地面に落ちる。
包丁にはどこかの屋台の名前が刻まれていた。
…どうして?
俺は何でも出来るから、助けてあげられるのに。
そう、思った。
俺は彼女に口づけをした。
彼女の唇には、熱があまりなかった。
命の味だ――そう思った。
彼女は微笑んで、俺の髪を撫でた。
自らの血のついたその手で。
あぁ、だから俺の髪は朱くなったんだ。
今更に気づいた。
彼女は「ずっとそばに居てね」と言いながら、光の粒の中、ふっと消えてしまった。
陽菜? 俺は辺りを見渡した。
陽菜。
そうだよ、陽菜じゃないか。
「もう、離さないでね」
陽菜の声が、どこからか聞こえた気がした。
陽菜、俺の――
目を醒ますと、まだ夜明け前。
酷く汗をかいていて、身体中が熱い。
まだ寒いこの時期に、布団までびっしょりと濡れるほどに汗をかいていた。
頭が熱を持っている――そう感じた。
陽菜。
汗で重くなったシャツを脱ぎながら浴室に向かう。
閉じ込められていた陽菜のことが、熱と一緒に帰ってきたんだな。
熱いシャワーを浴びながら、そう思った。
そして気づいた。
目を覚ましても夢のことを、陽菜のことを忘れていないことに。
*
――その頃。
朱山中腹の崖の下。
祠の前で、一人の巫女が膝をついていた。
赤い布に包まれた小さな命を抱き上げ、震える声で呟く。
「あぁ、私の赤ちゃん。こんなところに居たのね――」
彼女は頬を濡らしながら微笑む。
「昨日までお腹にいたのに、急にいなくなるはずがないものね…」
それはどこか現実を拒むような言葉ではあったが、彼女の涙が貯まった瞳には、喪ったものを取り戻したかのように光に満ちていた。
その腕の中で、赤子がかすかに声を上げた。
彼女は境内を回り、鳥居の前へと歩き出す。
夜の名残が境内に漂う中、溶けゆく朱の光の中で――
石段をゆっくりと降りるその姿は、まるで本当の母子のものだった。




