最終章 ロゼッタの記憶と世界の真実
石板に触れた瞬間――悠真の視界は、眩い光に包まれた。
次の瞬間、彼は見知らぬ場所に立っていた。真っ白な空間。音も風もなく、すべてが停止したような無重力の中に、ただ一人、彼の前に現れた存在があった。
それは、ローブをまとった女性だった。
褐色の肌、金の瞳、言葉のない微笑み。その姿は、絵画から抜け出したように神秘的で、同時にどこか懐かしい気配を纏っていた。
「……君は?」
問いかけに、女性は言葉ではなく“概念”で答えた。
《私は“始まりの言葉”。かつて世界が一つであった時代の、最初の翻訳者――ロゼッタ》
(ロゼッタ……やっぱり、伝説じゃなかったのか)
女性は静かに頷く。
《あなたは我が後継者。時を越えて“言葉の系譜”を受け継ぐ者。だからこそ、この石板はあなたに応えた》
「けど……俺、ただの学者だ。剣も魔法も使えない。こんな力、背負えるのかどうか……」
《あなたは“理解”する力を持つ。それは剣よりも強く、魔法よりも深く、世界を結び直す鍵となる》
ロゼッタは手を差し伸べた。悠真が触れると、彼の内側に何かが流れ込んでくる。
それは“記憶”だった。
数千年前――言葉の塔を築いた文明があった。彼らは魔法ではなく、言語で世界を制御していた。呪文ではなく“命令文”で風を動かし、契約の“文章”で精霊を縛り、“音声”で時空を操っていた。
やがてその力は暴走し、世界の均衡は崩れた。
混乱の中、ひとつの派閥が現れた。
――“語らざる者たち”。
彼らは、言語による支配そのものを否定し、言葉を捨て、沈黙の力で世界を封じようとした。
それを止めたのが、当時の言語の守護者“ロゼッタ”だった。
彼女は七つの鍵で世界の根源言語を封じ、分散させ、民族ごとに言葉を分けてゆくことで、均衡を保った。
《だが、その封印は永遠ではない。記憶は風化し、言葉は再びひとつになろうとしている。あなたは選ばれた。未来を選ぶ者として》
悠真は深く息を吸い込んだ。
「俺が、“語られる者”になるのか。それとも、“沈黙を選ぶ者”になるのか……」
《選択はあなたに委ねられた。あなたの言葉が、世界の運命を決める》
* * *
「……ユウマ様!!」
目を開けた瞬間、アレシアの声が真っ先に飛び込んできた。
彼は、記憶の間――ロゼッタの部屋の中心で、崩れ落ちるように膝をついていた。
「大丈夫ですか!? 急に倒れて……」
「……ああ、大丈夫。……見たんだ。ロゼッタの記憶。世界の成り立ちを」
悠真はゆっくり立ち上がり、石板の前に立った。
「この石板は、ただの遺物じゃない。これは……この世界のコアだ。すべての言葉がここから始まり、ここへ戻る」
兵士たち、文官たちが息を呑む。
「世界は、“再び言語を一つに戻す”方向へ進もうとしてる。もし、それを誤れば……語らざる者たちが目を覚まし、言葉を封じようとするだろう」
「それを……止める方法は?」
「言葉を、正しく使うこと。“力”としてじゃなく、“つながり”として」
悠真は手を伸ばし、石板の最下部に新たな“文章”を刻んだ。
それは、彼が初めてこの世界で発した言葉――
「こんにちは。僕の名前は、藤原悠真です」
その瞬間、石板が柔らかく光り、世界中の空に淡い波動が広がった。
遠く離れた国の人々が、ふと「異国の言葉が聞き取れる」ようになり、言語の壁が揺らぎ始める。
それは、小さな波紋だったが――確かに、世界を変え始めていた。
* * *
帰還後、悠真は王国の“翻訳官”として任命され、言語教育、古代文字の復元、外交通訳などに多忙を極めるようになった。
しかし彼自身は、変わらずに探求を続けていた。
「言葉ってのは……意味じゃない。“想い”だよな」
書庫の片隅でつぶやいたとき、背後から声がした。
「それが、あなたの答えですか?」
アレシア姫だった。もう、以前のような形式ばった態度ではない。
「世界を繋ぎ直す鍵は、やはりあなたでしたね。……でも、これからは、言葉だけでなく……心も、伝えていきませんか?」
「え、それって、もしかして――」
「ふふっ。答えは、あなたの“翻訳”に任せます」
照れながらも、悠真は心から笑った。
(――言葉が、こんなに世界を変えるなんて)
ロゼッタストーンから始まった物語は、いま、新たな“言語の未来”として歩き出す。
異世界に生きる者たちの中で、言葉が交わされるたびに、世界は少しずつ優しくなる。
悠真は信じている。
どんな世界でも、どんな言葉でも、想いさえあれば――きっと、通じ合えるのだと。
― Fin ―