見知らぬ世界 其の4
あの大柄な女の化け物みたいな一撃を受けて昏倒していた鬼が目を覚ました。ただ、誰も気付いていないようだ。俺の後ろの女に気を取られているからか、それとも余裕か。千載一遇。無謀なんて考えは頭の何処にもなかった。アレが再び暴れ始めたその隙に逃げよう。
ズン
突き刺すような大きな地響き。力任せに鎖を引きちぎった鬼が勢いのままに地面を殴りつけた衝撃に、俺以外の全員が睨みつけた。背後からの射殺すような視線も同じく。全員の気が、僅かにあの鬼に向かった。
こんな場所で、訳も分からない内に死にたくない。背後を振り向き――目が合った。視線を向けるというたったそれだけで大勢を恐怖させた女と目が合った。
白に近い金色の長い髪が腰まで伸び、ゆったりとしたローブの様な衣装を身に纏った女に、驚いた。
美人だった。ソレもある。だけど、それ以上に想像とは全く違った。おおよそ人に恐怖を抱かせるような冷徹な顔つきではなく、何方かと言えばおっとりだったり穏やかだったりと表現できる、とても優しい顔をしていた。
見なければよかった、と後悔した。見た目とは違う。優しい顔は一見すれば、でしかなかった。
目を見て、恐怖に竦んだ。俺も、背後で暴れる鬼も気に留めていない。全てを等しくゴミか何かだと見下ろす冷たさに満ちていた。逃げるべきじゃなかった。選択を誤った。
「※※※※※※※※※!?」
(まだ意識があるのか!?)
「※※※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!!」
(信じられない。四凶の攻撃を受けてまだ立ち上がれるなんて!!)
背後から数人の声が掠めた。視線を動かせない。女の目を見た恐怖でそれ以上動けない。しかも、と更に後悔した。
一人だけじゃなかった。冷酷に俺を見つめる女の側にはもう二人、女が立っていた。一人は肩辺りまで伸びた赤い髪に鋭い眼光、短めのスカートに半袖、腹部にはサラシの様な何かを巻いた軽装の女。
もう一人は腰まで伸びた長い黒髪に杖を持った、髪色と同じ質素な黒を基調とした中世貴族風のドレスを着た女。今日見た中では一番優しそうな雰囲気をしていて、更に控えめに言って超が付く美人だ。
てっきり一人だと思っていた。気配とかそんな物は分からないけど、でも少しくらいは息遣いとか聞こえてきても良い筈だったのに、振り返るその時までその存在に全く気付かなかった。しかも、他の連中よりも強いと直感した。駄目だ。考えれば考える程に自分の浅はかさを呪いたくなる。
「※※※※※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※?」
(どうやら何かしでかすようですが、如何なさいますか?)
「※※。※※※※※※※※※※※※※※※」
(良い。この異物が何をするか興味がある)
「※※、※※※※※※※※※※※※※※※」
(では、このまま一旦様子を見ましょうか)
女達は何かを語ると、ジッと俺を見つめる。背後から鬼が暴れているが、全く気に掛ける様子はない。動けない。
「※※※※?※※※※。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
(どうした?駄目だな。やはり言葉が分らんというのは不便で仕方ない)
中央の金色の髪の女が何か俺に語り掛けた。が、何かに呆れたようで、大きな溜息を洩らした。
「※※、※※※※※※※※※」
(では、連れて帰りましょう)
「※※※※※※※。※※※、※※※※※※※※」
(致し方あるまい。しかし、今日も詰まらんな)
中央の金髪は興味なさげに視線を外し、鬼を見た。直後、凄まじい衝撃が足を掬った。反射的に身体が動き、見た。最初に俺と目が合った長身の女が倒れ込んだ鬼の腹部を蹴り込んでいた。余りにも大きな衝撃は鬼を貫通し、地面を陥没させている。
鬼は再び昏倒した。が、意識を手放そうかという瞬間、大きな一つ目がギロリと俺を睨んだ。口をモゴモゴと動かし、口角を歪め、何かを飛ばした。白い何かはとても鋭く、尖っている。牙の破片だ。狙っているのは――
「約束だからネ」
約束?
「何時か、私を助けて」
次の瞬間、反射的に動いていた。なんで動いてしまったのか、考えても全く分からなかった。直前に頭を掠めた記憶が原因だろうか。
グルグルと目まぐるしく、ゆっくりと動く視界が色々な光景を映した。飛び散る血と肉、吹き飛ぶ腕。呆然とする沢山の顔、大柄な女の驚く顔、赤い髪をした女と黒い長髪の女も唖然として、最後に――金色の長い髪が見えた。一際、驚いていた。
誰も彼も、先ほどまでの冷たさを全く感じなかった。吐息をすぐ傍に感じる程に近づいた女が何かを言っていたが、だが何を言おうが結局理解できず、意識と記憶はここで途切れた。