罠 其の1
――朝
豪奢なカーテンの隙間から聞こえるのは何時もの小鳥の囀りではなく、ザァザァと降りしきる雨音。
ここ最近はずっとこの調子だ。神樹が展開する超広大な結界に守られるこの都市は基本的に穏やかな気候ばかりだと思っていたが、特定時期だけは天候が不安定になるらしい。降りしきる雨と雨音、灰色に染まった空は日本の梅雨そのもの。生まれ故郷の中でもとびっきり不快な季節を思い出す。
とはいえ、ここは異世界。日本とは違い不快すぎる程に高温多湿でもないし、なんなら部屋を冷却する道具まである。
最初に見た時は驚いた。何せ一見すれば何も変わったところのないごく普通の花瓶にしか見えないのだから。だけど、機能を知れば見た目こそ違えども家電量販店でよくお目にかかった除湿機そのものだと納得した。
細長い花瓶の中にはよく分からないが内部を冷やす魔術的な紋様が刻まれていて、魔力を流し込んで起動させると魔力が尽きるまで花瓶内部を冷やし続ける。冷やされた空気は口から洩れ、部屋を冷やし、また花瓶自体も相当冷やされるので必然的に結露が発生、湿度を下げる事で快適に過ごせるようにする。
科学の代わりに魔法が発達しているという明確な違いからくる文化文明の違いに驚きっぱなしだった。除湿器と同じ機能を持つ花瓶の様に、地球の一般家電と遜色ない機能を持った道具が普通に存在し、更には一般に流通しているという。勿論、科学ではなく魔術で再現した物だ。
シトリンを通してこの世界を知れば知るほど、地球との類似点の多さの方に驚く。物理法則は同じだし、食べ物にも大きな大差はないし、何より人間の見た目もほぼ同じだ。
エルフ達と俺の相違点と言えば、容姿を除けば長い耳程度しか相違がなく、生理機能から何までが俺と同じの上、神様曰く子供も作れるらしい。そりゃあ驚いたよ。別の世界から来たのに遺伝子が変わらないってどういう事?って疑問は当然なんだけど、神様は豪快に笑うばかりで何も教えやしない。
しかし幾ら同じとは言え流石に出来ない事も多い。例えば――
「お前が好きだと言っていた車を作れってのは流石に無理だぞ」
最近シトリンに釘を刺された。まぁ、流石に求め過ぎだと素直に引き下がったけど。と、そこまで考えたところで急いでベッドから起き上がった。そう言えば今日はそのシトリンのところに出かける予定だった。
雨季に入ってから肉体労働の機会はめっきり減った。荷物運びは相変わらずだが、ここ最近のメインだった畑仕事は雨季が終わるまで一時中断、基礎体力を付ける為の走り込みも風邪をひくという当たり前の理由でルチルから止められた。
「外、見てみたくないか?」
完全に手持無沙汰となった俺を見兼ねたのか、図書室で黙々と本を読んでいる俺の背後からシトリンがそう声を掛けてきたのは今から10日ほど前の話。
期間は最大で雨季が終わるまでの間。外との交流を目的に運航される帆船に乗って海を渡り、隣の大陸へと上陸、更に陸路を通って最大都市へと向かう。何でもその都市に向かう用件が出来たアイオライトが暇そうにしている俺を連れていきたいと提案したそうだ。
その都市は大陸から各小都市への中継地点となっている関係から、いさかいや争いに対する罰則が特に厳しいそうだ。そう言った事情もあり、人類とエルフ達が交流する数少ない場となっていると彼女は説明してくれた。
その通行許可が出るのが今日。下りさえすれば出発は目前。
今の生活に不満はない。いや、一つでっかい不満があったわそう言えば。だけど、彼女も決して悪意から俺にストーキングしている訳ではない。アレは多分色恋沙汰を知らないのに加え、興奮すると暴走して自分の感情をストレートに吐き出してしまう厄介な性格が重なった結果だ。
だから、少々辟易してはいるがどうしても嫌いになれない。だからアメジストが原因ではない。ただ、本当に外の世界を見たいという気持ちが強くなっただけだ。
この先、どういった心境の変化があるか分からないし、今の生活に不満はないが不安はある。だけど、分からないなり、不安なりに置かれた状況を楽しみたいと、そう思った。だからアイオライトの提案に乗った。
――コンコン
誰が部屋の扉をノックする音が聞こえた。シトリンが迎えに来たのだろう、そう楽観的に扉を開けた俺の視界に入ったのはアメジストだった。
「今、お時間宜しいでしょうか?」
誰?いや、この声はアメジストだ。無断侵入など当然、ルール無視上等、人の話を聞かないあのアメジストが扉をノックして部屋に入ってくるなど前代未聞、初めての事だ。と、そんな事よりも時間か。今日は予定があるのだけど、シトリンとの約束は正午の鐘が鳴る頃合いで、その時に使いを出すからと言っていた。今はまだ朝だし、少し位なら大丈夫だろう。
「ありがとうございます。お時間は取らせませんから」
俺の言葉に彼女は満面の笑みで答えた。が、恐らくロクでもない事を考えているだろうなぁという一抹の不安が過る。




