スローライフ 其の2
――夜
城内の中央棟最奥には三種類の風呂場がある。一番大きな風呂場は来賓用、次いで使用人用、そこそこ数が多いので必然的にそうなる。最後、一番小さいのは総裁用だが、アメジストの意向により姉妹全員で使っている。
俺は有難いことに来賓用の一番大きな風呂を使わせて貰っている。高級ホテルの様なバカでかいサイズの洗い場、足を延ばしきってまだ余裕がある程度の大きさの湯船は二、三人程度なら余裕で入れる程に大きく、端には冷えた飲み物を保管するケースに、更に簡易サウナまで完備している。
そのサウナ、実は俺の記憶を読み取った後にシトリンが作ったそうだ。元々エルフは清潔志向が高いようで、風呂場も本格的で洗い場と湯舟が分かれていると言っていたが、サウナという存在を知るや誰もが二つ返事で改装許可を出したらしい。
それなりに時間が掛かったらしいが、シトリン曰く”迷惑かけている詫び”らしく、だから俺は有難く風呂とサウナを満喫させて貰っている。
自分の置かれた環境はまるで変ってしまったけど、でも風呂だけは何も変わらない、唯一落ち着ける場所。
ガタン
だったんですよ、さっきまではさぁ。不意に聞こえた音はサウナから。まるで何かが倒れた様な大きな音。嫌な予感と共にこじんまりとした木製サウナ部屋の扉を開けた。あぁ、もうまただよ。予想通りの光景。もう呆れを通り越していっそ敬意さえ抱く。
「あ、待ってましたぁあぁああ」
上気したアメジストが俺にしだれ掛かって来た。タオルの中に強引に抑えた豊満な身体、立ち昇る匂い、火照った顔から滴り落ちる汗。どれも煽情的で蠱惑的だが、悲しいかなヘロヘロになった情けない顔が全てを台無しにしている。一体何時からココに籠ってたの?下手すれば脱水症状で倒れるよ。
「お願い……一人で……」
瞬間、身体が一気に冷えた。彼女、もしかして知っているのか?
「やっぱり新婚旅行は二人で、フエッへへへへへ……」
ウン分かってた。考えすぎだって知ってた。急ぎ足で水風呂に彼女を放り込み、会食の間へと向かった。
※※※
食事は基本的に一人で取る事が多い。時々四姉妹の誰かと一緒に食事をする時もあるが、彼女達は基本的に忙しい。誰もが夜過ぎまで働いているから会う機会は意外と少ない。仕事サボってストーキングするアメジストを除けば、だが。
「よう。って、なんかあったか?あぁ、もしかしてまたアイツか?ハァ、毎度毎度済まねぇな」
今日はその意外と少ない方の日だった。来賓との食事に利用される長いテーブルの奥側に、珍しくシトリンが座っていた。目の前の更には彼女の好きな肉類が山盛りで乗った皿が置かれている。
神樹から生まれたイメージからエルフ=菜食主義だと思っていたのだが、実際は違った。管理する森林のバランス維持の為、時折草食性の動物を狩り、食べているそうだ。
「気にしなくて良いですよ」
そう気遣った。上機嫌で肉を突ついてい手を止め、酷く疲れた俺の顔に何かを察したシトリンの気持ちは察して余りある。よくよく考えなくても、彼女は事あるごとに俺に謝罪している。相変わらず良く気が付く人だと思う。頼むからアメジストも少し見習ってくれねぇかなぁ。でも駄目だろうなぁ。
「もう慣れた、だろ?」
彼女は何でもお見通しだ。
「それよりも、多分……知ってます」
俺の言葉に対面のシトリンが大きなため息がをついた。会話の合間に肉を頬張る頻度がドンドンと落ち、やがてはフォークでつつくばかりでそれ以上をしなくなった。呆れ、怒り、あるいは落胆か。心情は計り知れないが、流石に同情してしまう。
「そうか。頑張って隠してたんだけどなァ」
気だるげに呟くシトリンは何度目かのため息と共に残った肉を一気に頬張った。彼女と俺が隠しているのは、俺がこの島を離れるというソレだけの話。
別に金輪際の別れではなく、ただ色々な世界を知っておいた方が良いというシトリンとアイオライトの提案に乗っただけなんだけども、最大の問題はゆるキャラ系ストーカーのアメジスト。
期間にすれば一月もかからない程度。島を出て、荒れ狂うフォーレ海?という海を渡った先にあるカスターという大陸の港町を経由して、同大陸最大の都市ヴィルゴへと向かう。途中色々と寄り道をするとアイオライトが息巻いていたところを見るに、多分アチコチに美味い酒があるんだろうな。
唐突な話だったが、離れると決めたのには意味がある。主だった理由は俺にこの世界を見せたいという単純な善意。
基本的に俺が今まで会ったのは大半がエルフで、しかも純血種。価値観が違い、話が余り合わない。無論、混血も。商業区域にまで出向けば普通の人間に会えなくはないが、大半が商売目的。行けば必ず会える訳ではない。
だから俺と近しい普通の人間社会を見せたいんだろう。で、望めば暮らしても良いよ、と。決して厄介払いではないし、ましてやアメジストの暴走に辟易している訳でもない、と信じたい。
「ま、もう決まった話だ。後はコッチで何とかするから精々楽しんできなよ。そうだ、お土産は忘れるなよ?」
ネガティブな感情を全て吐き出したのか、一時は暴走する妹に頭を抱えていたシトリンは冗談交じりに笑う。誰であれ、やはり笑っていた方が良いに決まっているし、そっちの方が魅力的だとしみじみと思った。
バン
と、強引に扉が開かれた。
「酷い、私に黙ってどっか行っちゃうなんて!!」
俺は温まっていた部屋の空気がグーンと下がっていくのを感じたね。部屋の扉の前で涙目のアメジストは相も変わらずマイペース、言動の結果がどうなるかなんてまるで考えない。
知らないぞ、とシトリンを見た。眼鏡の奥の瞳に殺意っぽいドス黒い感情が渦巻いているのがはっきりと見えた。怒ってるなァ、こりゃあ。
「オイ。ナギが大陸に渡るって話、何処で聞いたんだ?」
声が震えている。抑えきれない怒りに身体がワナワナと震える。流石に我慢の限界に達したようだ。いや、分かりますよウン。
「知ってますよ。だって私生活、監視してますから!!」
笑顔でなんて事を告白するんだい君は。酷く呆れた。が、鋭い何かが肌を突き刺すような感覚にハッ、と意識を部屋の奥へと向けた。
「よーし。口で言っても分からねェならどうなるか分かってンだろうなァ」
限界を超えた。度重なる暴走を繰り返す妹の言動にシトリンは静かに怒りを爆発させた。
ニコニコと屈託ない笑みを俺に向けるアメジストは、部屋の奥で怒りに震える姉に目を丸くした。直後、視認できない速度でアメジストの背後を取ったシトリンが妹の首根っこを掴むと何処かへと引き摺って行った。
「必ず会いに行きますから……キャン!?」
遠くからアメジストの断末魔っぽい何かが聞こえた。どうすればいいんだろうなコレ。執念染みているが全くそう聞こえない呑気なアメジストに俺は酷く混乱した。あの、もうすぐ出発なんですよね俺。




