喪失した記憶 其の2
見上げても頂上が全く見えない位に高くそびえる神樹を見ながら思うのは、この樹がおおよそ同じ生まれとは思えない姉妹達の親だという事実。
頭の中に直接語り掛けるという不思議な力もそうだが、非常識な大きさの茶色い幹と根、遥か上には空を覆い隠すほどに生い茂る緑の葉という桁違いのスケールを見れば想像を超えた存在だと納得も出来る。
(初めまして)
また声がした。頭の中に響く声はまるで脳を直接揺さぶられる様な感覚に近く、端的に酷く不快だった。
「失礼した。ではコレでどうかな?」
今度は普通の声。未経験というだけでは到底納得できない不快感とは違う、慣れ親しんだ耳が捉える人間の声がした。背後を振り向いた。ルチルとは違う誰かが立っている。
特徴的な尖った耳に圧倒的な美貌、間違いなくエルフだ。その容姿は子供っぽさの中に妖艶さを秘めている様な不思議な感覚がした。ただ、どことなくだが――四姉妹に似ていない様な気がした。
「ンまー。アンタが伊佐凪竜一クンやね。じゃあとりあえず愛称はナギちゃんでええやろ?あ、私アレなアレ。アンタの後ろにあるでっかい樹や。本名は神樹ハイペリオンやけど、でもアンタは娘がごっつい迷惑掛けとるさかい、気軽にハーちゃん呼んでくれてええよ」
俺は膝から崩れ落ちたね。何だコイツいきなり。翻訳がいきなりおかしくなったのか?それとも素の性格なのか?ソレまでの静かで穏やかな雰囲気を完全にぶち壊すおばちゃん口調に直立不動だった俺は情けない程に崩れた。
「あら?どうしたん?もしかしてまだこっちに慣れとらんのかね?ンまー、仕方ないけどいい加減に慣れんとあかんでぇ」
慣れないのはアンタの言動や――と、素直に言えない。彼女、ハイペリオンと名乗ったエルフは俺が漸く立ち上がるとにこやかに微笑みながら話を続ける。そこだけを切り取れば見惚れる位に美しいのだが、しかし喋り出せば全てを台無しにする。頼むからもう少し真面な人を増やしてくれねぇかなぁ。
「さて。アンタを呼んだ理由やけどな。最初はね、教えとかんかった方がエエんやと思ってたんよ。だけどアンタの様子がちょっとずつ悪くなっていっているのを感じてな。だから教えてあげようと思ったんや。ま、勿論アメジストとローズの件もあるでな」
どうやらこの人、ずっと俺の事を気に掛けていたらしい。確かに、ちょっとずつ悪くなる原因ってのは明らかにアンタの娘なんですけども――しかし、アメジストはともかく、ローズから何かされたっけ?
「さて」
空気が一変した。緩い雰囲気が消え、静かで冷たい空気が場に充満した。中心は言わずもがな、彼女だ。先ほどまで砕けた口調で談笑していた女性とは一致しない、細いながらも女性らしい凹凸のある身体なのに、まるで巨大な樹木から見下ろされている様な威圧感を感じる。
「本題に行く前に確認しときたいんやけど?覚悟はええか?こっから先には確実にアンタが知りたくない、聞かない方が良かったって内容が含まれとる。それでも聞きたい?聞きたくないんやったら遠慮なく言ってええで。私とナギちゃんの仲や。今日ここまでの内容を綺麗さっぱり忘れさせてやるけんね」
返す言葉が見つからなかった。俺はこの世界に飛ばされた理由を知らない。ただ、口振りからするに禄でもない何かが起きた結果らしい。その何かは余程に衝撃的で、俺を気遣っての判断だという事も伝わった。
だが、その件を含め、当事者の俺が未だに何一つ事情を知らず、何も分からないまま変な世界に放り出された現実に納得出来る理由はなかった。
知りたい。知らない方が良いから記憶を封じたんだと頭では分かっていても、それでも知りたいという感情が抑えきれない。生まれてからの記憶はある。小学生、中学生、高校大学を経て就職して以降の記憶もバッチリ残っている。
良かった思い出は嫌な記憶に飲み込まれてもう思い出せないけど、それでも記憶の底にこびりついている。知り合いや幼馴染の顔に至っては今でも鮮明に思い出せて、忘れる事など出来ない。
だけど、それなのに転移させられる直前の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。ソレがもどかしくて、でも誰にも相談出来なかった。
「ええんやね?なら、先ず最初の疑問からや。アンタの記憶を封じたのは私や。但し、私だけやないんや。じゃあ誰かって気になるやろ?実はあんたの居た世界を担当する神様や」
記憶の件に驚きはなかった。ただ、神とな?何か一気に話が壮大になったような気がする。ただ、疑問は尽きない。神の存在を認めたとして、その神が記憶を消したとして、「どうして」という肝心な部分が抜け落ちている。
「その辺、実は私もその神様から聞いたってだけで詳しくは知らんのよ。だから直接本人に教えてもらおっか?おーい、アーちゃん!!アーちゃん!!アンタんとこの人間に事情説明したってやぁ!!」
おかしいなぁ。ついさっきまで真面目な話してたよねぇ?どうして雰囲気ぶち壊すかなぁ。というか、まるで二階の子供を呼ぶみたいな口調で神様呼ぶつもりなの?何が何やらサッパリ状況が理解できないが、雰囲気だけは真面目に見えるものだから、取りあえず成り行きを見守ろう。
「あらぁ?変やねぇ。ならしゃーない。私が知る範囲でおしえてあげましょって、おやおや?」
気軽に呼んでも神様だからそりゃあ簡単に来ないでしょうよ。と思いきや、彼女はいきなり背後へと視線を移した。神樹の根本。一見すれば何もない空間――の根元周辺が、赤色の光を帯び始め、やがて巨大な円形の穴が姿を現し、その向こうから一人の男がゆっくりと出て来た。
見た目は膝の辺りまで隠れる腰巻を巻き、頭部に狼を模した被り物を被った半裸のオッサン。真っ黒い肌が露出した部分は例外なく筋肉が隆起している、筋肉モリモリマッチョマンだ。
「待たせて済まない。アチラも色々と立て込んでいてね」
その声、何処かで聞いた記憶がある。静かで心を落ち着かせるような低い男の声。確かあれは夢の中で――
「やぁ久しぶり。おっと、君にはその時の記憶は無かったんだったな。だが君は失った記憶を知りたいと、その思いが徐々に膨らんで来たという訳か。確認しておくが、本当に聞きたいかね?」
神が問う。が、今更だ。ここまでお膳立てされて聞きたくないという選択肢はない。何の解決にもならないかもしれない。聞いて後悔するかもしれない。それでも聞きたい気持ちが大きい。それに、何となくだが話の内容に予想がついている。多分、地球は――
「分かった。君も一端の大人、自分の決断に責任を取れると判断する。だがその前に、私の事は気軽にアーちゃんと呼んでいいぞ?本来ならば名前はないのだが、それでは話し辛いだろうからな。ホラ、遠慮せず。はい、せーのっ」
まただよ。何なんだいこの妙な軽さは。もしかして緊張をほぐしたいのか?俺の人生で、しかも重大な問題なんで頼むから真面目にやってくんねぇかなぁ?




