99話 お揃いのシャーペン
高校への入学まであと数日。
「このノート、ちょっと紙が厚くて高いけど、にじまないんだって」
文房具屋でしゃがみ込んでる澪が、顔だけこっちを向ける。
その表情がなんとなく嬉しそうで、つられて俺も笑った。
「いいじゃん。高校って感じ」
「でしょ? あと、このクリアファイルも欲しいんだよねー。ポケット分かれてるやつ、絶対便利」
「お、なんか準備バッチリじゃん。楽しみか?」
「楽しみすぎるよ! 制服も届いたし、カバンも新しいし、教室とかどんな感じかなーって思うとさ」
ぺらぺら喋りながら、次から次へと棚を見てまわる澪は、完全に“高校モード”だった。
たぶん、新しいクラスとか、部活とか、いろいろ想像してるんだろうな。
それが顔に出てて、見てるこっちも和んだ。
「じゃあ、俺から入学祝いとして、一つだけ何でも買ってやろう。文房具限定でな」
「え、ホント? じゃあ……このシャーペン、いい?」
「よしきた。2つ買って同じの使おうぜ」
「いいねーお揃いだ♪」
そんなやりとりをしながら、いくつか文房具を選んで店を出た。
そのまま、近くのカフェに入ってひと休み。
隣の空いているイスの上には紙袋、2人分のアイスティー。
澪はカップのふちを指でなぞみながら、なんとなく落ち着いた顔をしていた。
「そういやさ」
俺は何気なく切り出した。
「ホテル、買ったんだよね」
「……は?」
ストローをくわえたままの顔が止まる。
「ホテルだってば。笹塚駅の近くの、14階建て。部屋数も200くらいある。まあまあでかいぞ」
「ちょっと待って」
理解が追いついてないようだ 。
「簡単に言うと、ホテルの株式を買ってホテルの経営者になった」
自分で言ってて、やっぱおかしいなって思う。
中学生(新高校生)が言う内容じゃない。完全に。
でも、言いたくなったんだ。澪には話しておきたかった。
なんとなく、そういう気分だった。
「ホテルって……泊まるホテルよね?」
「そう。あのお金ほとんど使っちゃったんだけどね」
澪には全部話している。
軍事利用の話や、未来のAIを使ったこと、そして80億円を手に入れたこと。
「…………」
澪の視線が、俺じゃなくてアイスティーの氷に落ちた。
カラン、と小さく音がしたのに、彼女はまばたきひとつしなかった。
口を開きかけて、でも言葉が出てこない、みたいな顔をしてる。
「今度さ、そのホテル行ってみない? 客として。ちょっと高級なレストランとかもあるし」
なんとか明るく言ったつもりだったけど、返事がなかなか返ってこない。
そりゃそうか。中学生が「ホテル買った」とか、言われてもな。
意味わかんないよな。俺が言われる側でも 「え?」ってなるわ。
「うん……」
ようやく、ほんとにちょっとだけ、澪がうなずいた。
「じゃあ、レストランに行きたい」
ストローをくるくる回しながら、澪が言った。
「レストラン?」
「うん。さっき言ってたじゃん? ちょっと高級なやつ。せっかくだし」
「……おお、それいいな! 入学祝いってことで、行こうぜ」
「ほんとに? やったー!」
ぱっと顔が明るくなる澪を見て、俺もちょっと安心した。
「レストランに行く」っていう日常的なことに落とし込めば、こうやって素直に喜んでくれる。
「それでさ、レストラン行ったとき、店内の雰囲気とか、メニューの感じとか、気になったことあったら教えてくれない?」
「ん? なんで?」
「いや、ちょっとでも改善点見つけられたらなと思って。……赤字になったら、さすがに困るし」
「赤字!?」
澪の目がちょっと見開かれた。
「いや、すぐどうこうってわけじゃないけどさ。なるかもって話があるみたいだから」
「ふーん……そうなんだ」
ストローをくわえたまま、澪が何か考えてる顔をする。
「ま、あんまり深刻な話じゃないけどね。とりあえず、レストラン楽しもう。感想とか聞けたら、助かるし」
「うん、任せといて!」
澪がニッと笑って、アイスティーの残りを一気に飲み干す。
紙袋の中の文房具を取り出して眺めだした。
新しいノート、新しいシャーペン。
たぶん今の澪は、その全部にワクワクしてるんだろう。
そうして俺たちは席を立ち、紙袋をぶら下げながら、ゆっくりと歩いて家の方へ向かった。
夕暮れの空はほんのりオレンジがかっている。
家の近くまで来たところで、澪が小さく手を振る。
「じゃあ、またね」
「おう、また明日」
俺も手を振り返した。
* * *
家に帰ると、すぐに自分の部屋に行きパソコンを立ち上げる。
ホテルからもらった経営資料のPDFを読み込ませ、ChatGPTを起動。
「さてと……これが、俺が買ったホテルの“リアル”か」
稼働率:平均70%
年間売上:約9億円
営業利益:約1億円
純利益:約6900万円
……まあまあ、ってところか?
配当性向80%……なんだこりゃ。
それで結局のところ――
「株式は60%。そこからの配当金は……約3300万円」
ChatGPTの出力を見て、しばらく黙った。
「え、ちょっと待てよ……」
3300万円。数字としては大きい。
でも、俺が投資した額は72億円だ。
「配当利回り……0.46 パーセント?」
なんだこの低さ。
これはもう、ビタミンCの濃度くらいしかないじゃん。
しかも、これが“いまの状態”だ。
ホクシン自動車が完全に移転して、法人利用が激減すれば、この配当すら下がる。
確かに税金分を桐原が払ってくれたし、その分を減らして計算すればパーセンテージは上がるが……
「これって、ほぼ赤字一直線じゃね?」
画面の前で、マウスを握った手に、ちょっと汗を感じた。
もちろん、経営次第で改善できることもある。
観光客向けの集客に切り替えたり、ホテル内の施設で収益増やしたり。
でもそれって、俺が本気で“経営者”としてやらなきゃいけないってことだ。
買って満足、じゃ済まされない。
金額の桁がデカすぎて、実感が薄いけど――
俺は今、72億円のリスクを背負ってる。
「うーわ……胃が痛くなってきた……」
……どうしようか。
これが現実。
72億円の“現実”。
……でも。
「まあ、でも澪が喜んでくれたし……」
なんて無理やり自分を納得させていた、そのとき。
ドカドカドカドカ!!
階段を勢いよく登る音。
ヤバい。あの足音は――
「恭一!!!」
部屋のドアが勢いよく開いて、母親が登場した 。
しかも、めっちゃ鬼の形相。こわっ!!
(え、なに? なにかした俺!?)
とっさに脳内をスキャンする。
――プリン勝手に食べたこと?
――入学前実力テストで、ちょっとだけ手を抜いたのバレた?
――原付の免許取ろうと資料請求した件?
そんな俺の動揺をよそに、母はキレッキレの声で畳みかけてきた。
「あんた、澪ちゃんをホテルに誘ったって本当??」
「はぁ!? いや、それはちょっと違くてですね……!」
「ホントなのね、この……!」
「ま、待って待って!! ホテルって言っても、俺のだから!」
「は????」
「いや、そうじゃなくて! 説明させて!? 澪をナンパしたとか、そういうのじゃなくて!」
「ナンパって言ってないわよ!!」
「前言ったじゃん俺が買ったホテル。そこのレストランに行こうって……ただそれだけ!」
「……」
「ちょっとそのホテル自慢したかっただけだって」
目をそらしながら、正直に言った。
「はあ……もう……。アンタほんとに……ご飯冷めちゃうから、早く食べに来なさい 」
母さんはそう言って、盛大なため息をつきながら出て行った。
……どうやら、致命傷は免れたらしい。
(なんであんな早く情報漏れてんだよ……)
今日澪に会って、帰ってきてから1時間も経ってないぞ。
どうなってんだ。
もしかして、澪と母さん、裏で繋がってんのか……?
澪 → 澪母 → 母さん、なのか??




