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97話  オーナー

「恭一くん、ホテル経営してみない?」


 唐突にそう言われて、思わず手に持ってた紙コップのコーヒーをテーブルに戻した。


「え、それって……どういう意味ですか?」


 牧原さんはソファに軽くもたれながら、少しだけ微笑んだ。


「文字どおりの意味だよ。ホテルを経営してもらえないかって話」


 ホテル。経営。俺が?

 まるで現実味がなさすぎて、一瞬、何の話か分からなかった。


「……え、俺って、まだ中学生ですよ?」


あと2週間で高校生になるが。


「それは知ってる。でも、株式を取得するだけなら何歳でもいいんだ」


 まあ、それは……確かに。


「では、私から説明します……」


牧原さんと一緒に来た男性が話始めた。





 話を整理しよう。

 今、桐原グループは、自動車業界で軽自動車をメインで扱っている『ホクシン自動車』を買収したところだ。

 その背景には――俺が提供した通信技術とAI関連の技術がある。


 2005年に、今までになかった革新的な通信技術と、人の動きや障害物をリアルタイムで検知するAIのアルゴリズム

 これらを桐原が発表したことで、桐原のイメージが爆発的に上がった。

 

結果として、桐原グループの株価はここ数か月でなんと“7割以上”も上昇。

 その上昇分の価値を使って、株式交換という手法でホクシン自動車の買収に成功した。


 そのホクシン自動車の資産の中に――あったんだ。

 経営を提案してきたホテルが。



「要するに、“いらなくなった資産”ってことですか?」


「まあ、言い方はアレだけど、ざっくり言えばそうだね」


 牧原さんは苦笑しながら、資料の一部を俺のほうへ滑らせる。


ホテルの外観写真。コンクリート造りでグレーの建物

 エントランスは意外と上品な感じで、ビジネスホテルというより“ちょっといい都会のホテル”って印象だった。


「もともとこのホテルは、ホクシン本社のすぐ近くにあったから、出張で来る社員や取引先の宿泊、あとは社内の宴会なんかに使う目的で建てられたみたいだね」


「なるほど……で、それを俺に任せたいと」


「正確には、“ホテルの運営会社の株式60%”を取得して、実質的なオーナーになってもらいたい、ということらしい」


 60%


 それって、経営方針とか全部決められるってことだよな。

ホテルを持つ。


「……いや、俺にできるのかな。でも、面白そうですね」


 思わず口から出てた。

 不安がないわけじゃない。

 けど、不思議と“やってみたい”って気持ちが強かった。


「おっ、乗り気になったか。まあ、株を取得するだけして、あとはホテルのスタッフに全部任せてもいいからね」


それにしても80億か……

 牧原さんから資料を渡されて、ページをめくりながらぼんやり考えてた。


 この金額をそのまま持って、一生働かずに過ごすこともできるだろう。

 それこそ、高配当株でも買っておけば、何もしなくても年に1億以上って入ってくる。


 けど……それ、どうなんだろ。

 たぶん俺、十代のうちにボケるわ。

 退屈すぎて。


高校に行き、大学に行き、普通に就職する。

それくらいじゃないと人生にもハリがない。



「……それで、どんなホテルなんですか?」


 俺の問いに、牧原さんがすぐに応じる。


「場所は、笹塚。京王線沿い、新宿から一本。都心から少し外れてるけど、アクセスは悪くない」


「笹塚か……」


 聞いた瞬間、なんとなく“現実味”が増した。

 俺の家からも電車一本で行けるし、笹塚ならいい場所だ。

 下手すれば学校終わって、そのまま立ち寄ることもできそうな距離。


「笹塚って、わりと静かですよね。新宿のゴミゴミした感じとも違って」


「そう。駅から徒歩十分程度の場所にある。2000年に建てられたホテルで、14階建て、200室あるそうだ。宴会場やレストランも2つ、カフェバーも併設されてるらしい」


「へぇ……けっこう新しいですね。でも何で桐原は手放そうと思ったんですか?」


「さっき言った通り、このホテルはホクシン自動車の本社近くに建てられた。でも、桐原の方針であと数か月で本社が完全に移転するんだ。だから不要になったってわけ」


「なるほど、そんな理由だったんですね」

 

 牧原さんは”コテージ”に反応したと思ったが、”宿泊業”に反応したのか。

 俺は、もっと小さな宿とか、コテージっぽいものを、海のそばで――って思った。


 だけど、実際に目の前に現れたのは、14階建てのシティホテル。


 レストランも宴会場もある、がっつりした“事業”だ。

 正直いって、スケールが違う。

 でも……やってみたら面白いかもしれない。


「そこまで収益性が高いわけじゃないから苦労するかもだけど、君なら今までのように新しいアイディアを出していけばできると思う」


「そう言ってくれるのはありがたいですけど……あんまり自信はないですよ?」


さすがに経営なんてどんな風になるか想像できない。


「とにかく、見に行ってみるのはどう? 場所も近いし、百聞は一見にしかずって言うでしょ?」


「たしかに」


 笹塚。

 家から電車で一本。

 見に行くだけなら、今日だって行ける。


「……いいですね」

 気がついたら、そうつぶやいてた。



 * * *




日が傾き始めた頃、自宅に戻った。


「ただいま」


自分の部屋ではなく、まずリビングに向かう。


俺の声を聞きつけたのか料理中の母さんがお玉を持って台所から顔を出す。


「あら、おかえり。今日は桐原さんに行ってたんでしょ? お金の話、どうだったの?」


軽い調子で尋ねてくる。

俺はあっさり答える。


「うん。八十億、もらうのやめた」


「え?」


母さんの表情がにこやかな表情のまま固まった。

あ! まるであの料理本の表紙そのままじゃないか!


内心苦笑しながら


「いや、その代わりにさ、そのお金でホテルの株を買ったんだ。笹塚にあるホテルで。俺、そこを経営することにした」


「……えぇぇ?」


言葉にならない悲鳴みたいなのが漏れた。


「ちょ、ちょっと待って。ホテル?泊まるあのホテル?」


「うん。そうそう。14階建てで200室あって、レストラン2つと宴会場とカフェバー付き」


「そうじゃなくて!……はぁ……」


お玉を強く握りしめたままため息をついた。


「あんた、八十億って……どんだけの金額か分かってるの!? 」


「分かってるって。でも、そのまま持ってたら逆に怖いじゃん? 使わなきゃ腐るし、変な投資して失敗するのもイヤだし。だったら、自分の目で見て動かせるものがいいなって」


「それが……ホテル、なの?」


「うん。しかも、場所もいいし、電車一本で通える距離だしさ 。80億もらうより面白そうだよね」


「なんか、でも……大丈夫なの?」


「大丈夫だって!!去年もそうやって何とかやってきたし!!」


母さんはゆっくりと戸惑うようにソファに座り俺の顔を見つめた。


「そんな軽く考えてるけど本当に大丈夫?」


「もちろん。簡単じゃないって分かってる。でもさ――」


そこで、ちょっと背筋を伸ばして言った。


「やってみたいって思ったんだ。ちゃんと、きちんと、自分で責任持って」


母さんは、しばらく何も言わなかった。 ただ、俺の顔を見ていた。

たぶん、驚いてるんだと思う。

中学生の息子が、いきなり「ホテル経営する」なんて言い出して、しかもそれを本気で言ってる。


でも俺は――本気だった。

ちょっと不安もある。

だけど、それ以上にワクワクしてた。


「……分かったわ。でも、勉強もちゃんとするのよ?」


「もちろん。さすがにホテルに住み込んだりはしないから」


母さんは苦笑いして、そっと立ち上がる。


「さあ、もうすぐ晩御飯できるわよ。着替えてらっしゃい。」


「はーい!」

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― 新着の感想 ―
80億もらうのやめたって、軽々しく決められる精神がもう頭がおかしくなってる。 でもインバウンド需要がやがてやってくるのだから、ほっといても大丈夫な事業かもね。
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