96話 え、ホテル?
俺は、一度ChatGPTと決別しようとした。
「これ以上頼るのはやめよう」って。
だから、USBに入れたデータを海に投げ捨てた。
そしたら――ChatGPT-5がやってきた。
いや、マジで意味がわからない。
じゃあ次、ChatGPT-5を海に投げ捨てたら、ChatGPT-6が来るのか?
……まあ、それはそれとして。
冷静になって考えてみる。
俺は、20年前に転生してきた。
理由は不明。でも、たぶん“神”的な存在がいるんだろう。
神社にお参りもしたし、教会にも行った。けど、何も感じなかった。
「観測できない神」ってやつか。
それでも、ChatGPTを捨てたら、より高性能なバージョンが来た。
これはもう、神が「使え」って言ってるようなもんだ。
……というわけで、やっぱり使うことにした。
いや、切り替え早すぎんだろとは思ったけど 。
だって、俺がChatGPTを使うのは、「神の意志」なんだし。
ただ、今までみたいに考えなしに技術をポンポン出すのはやめようと思う。
このままだと、どっかで取り返しのつかないことになる気がするし、
何より、全部ChatGPT任せってのは、人間としてどうなんだとも思う。
文明の利器ってのは便利だけど、人間から“原始的な能力”を奪ってしまう。
だから俺は、ルールを決めた。
ChatGPTは使う。ただし、卑怯なことには使わない。
例えば、未来の知識を使って株で大儲けしたり、開発予定地の土地を買い漁ったり、競馬で一発当てたり。
そういうのは、やらないことにした。
地に足をつけて生きていこう。
未来知識と技術に溺れることはしない。
それが、俺なりのルールだ。
――そう決めた矢先に、大きな選択肢が目の前にある。
80億――それは、俺の手元に転がり込んでくる金額だった。
しかも、その前にすでに7億も受け取ってる。
口座にゼロが並んでるのを見るたび、正直怖くなる。
で、今。
その「80億をどうするか」の話し合いに向かってるわけで。
現金でもらっても……うん、使い道がない。
色々あったし、本気で辞退しようかとも思った。
けど、今後のことを考えたら、やっぱりお金はあるに越したことはない。
とはいえ――欲しいものなんて、ゲームとマンガとかくらいしか浮かばないし、そもそも中学生が80億持ってたところで、できることなんてたかが知れてる。
つまり、「金をどう使うか」っていうより、
「どう使ったら“地に足のついた人生”になるか」って話だ。
というわけで、今日俺は、桐原のオフィスに向かっている。
場所は上野。
駅から少し歩いた先にある高層ビルの一角、やたら静かなロビーを通ってエレベーターに乗る。
セキュリティカードをかざして、指定された階まで直通で上がっていく。
……この時点ですでに“場違い感”すごい。
エレベーターのドアが開いた瞬間、空気の密度が変わった気がした。
カーペットの音を吸う感じ。壁の艶感。静かなのに、すごく目が覚める感じ。
受付の前に立つと、向こうの女性がすぐに顔を上げた。
「葛城様ですね。こちらへどうぞ」
応接スペースに案内されて、しばらく待っていると――ドアがノックされた。
現れたのは、よく見知った人だった。
「こんにちは、恭一くん。待たせてごめんね」
牧原さん。
桐原の技術部門で、いわば“中枢”を担ってるはずの人だ。
てっきり、今日は財務とか法務の人が来るんだと思ってたから、ちょっと意外だった。
「えっと……牧原さん、技術部じゃなかったんですか?」
「うん、でも最近は君の“窓口”ってことになっちゃっててね」
苦笑いしながら、向かいのソファに座った。
無駄のない動作。なのに、やわらかい。
牧原さんとは何度かやりとりしてるけど、技術と現場のバランスがすごくいい人だと思う。
無駄に持ち上げたりせず、でもちゃんと敬意をもって接してくれる。だから話しやすい。
「今日は、80億の件なんだけどさ、君が“どうしたいか”を、ちゃんと聞いておきたくて」
「うーん……正直、困ってます」
俺は思ってることをそのまま口にした。
「もらっても、使えないし……。必要とも思わないというか。前にもらった7億だって、ほとんどそのままですし」
「まあ、そりゃそうだよね。中学生にとっては、現実味ない金額だし」
牧原さんはそう言って笑った。
少し前なら「アップル株買っとけば鉄板っすね」とか言ってたかもしれない。
実際、ChatGPTに聞けば、どこが伸びるとか、何年後に何が起きるとか、だいたい分かる。
たとえば、高輪ゲートウェイ駅の開発。
新駅として開業するって知ってる。
それに北陸新幹線、東京オリンピックによる都心再開発。
そういう情報を知ってる“自分”なら、ChatGPTを使いつつ土地を買ったり、株を買ったりして資産を増やすのは簡単だ。
……でも、違うんだよな。
数字を増やすこと自体には、もうあまりワクワクしない。
現実味がなさすぎて、もはやゲームのポイントみたいになってる。
自分の銀行口座に7億あったっていうのに、使い道がゲームとかそのレベルってのは、どう考えてもバグってる。
「……正直、分かりません」
俺は素直に言った。
「そうかー」
牧原さんは、俺の返事に特別驚いた様子も見せず、ただ穏やかに相槌を打った。
「まあ、将来的には……」
ふと、自分でもよく分からない衝動が胸の奥から湧き上がってくる。
「うん?」
「なんか……海辺とかで、小さな宿をやってみたいなって。コテージみたいな。別に豪華じゃなくていいんですけど。なんか、宿泊業ってちょっと面白そうで」
自分でも「何言ってんだ俺」と思いながら口にしたけど、言葉にした瞬間、不思議と腑に落ちた。
数字じゃなくて、人とか、空間とか、時間とか。そういうのをちゃんと扱える何かがやってみたい――そんな気がした。
「……なるほど」
牧原さんが、ほんの一瞬だけ視線を泳がせる。
「それって、案外事業として形にできるかもね」
そうつぶやいたあと、彼は少し考えるような表情を見せた。
「え?」
どういう事だ??
「その話……ちょっと本気で考えてみてもいい?」
「え?ええ……」
「少しだけ待っててもらえる? 三十分もかからないと思う。ちょっと、別の部署に資料を取りに行ってくる」
そう言って、彼はすっと立ち上がった。いつもの理路整然とした足取りで、応接室を出ていく。
そして、本当に三十分近く――静かな部屋で一人待たされた。
窓の外はいい天気だった。
眼下には上野の街並み、遠くにうっすら新宿高層ビル群 。
ちょうど昼前。ランチタイムなのか、下の方では、オフィス街の人たちがポツポツと歩いているのが見えた。
ソファに深く沈みながら、さっきまでの会話をぼんやりと思い返す。
牧原さん海辺のコテージの話で反応したよな。
桐原って愛知とかにコテージ持ってて、紹介してくれるんかな?
そんなことを考えていたら、ノックの音がした。
「ごめんごめん、遅くなった」
戻ってきた牧原さんは、薄いファイルと分厚い資料の束を両手に抱えていた。
そのすぐ後ろに、見知らぬスーツ姿の男性も立っていた。年の頃は三十代半ばくらい。短く整えられた髪に、落ち着いた眼差し。鋭さの中にどこか柔らかさを感じさせる雰囲気をまとっている。
「失礼します」
男性は静かに一礼すると、ちらりとこちらに目をやった。声も仕草も抑えめだが、なぜか印象に残る。
「お待たせ。ちょっと正式なものじゃないんだけど、社内資料をいくつか持ってきたよ」
牧原さんが俺の前に資料を置く。その中で最初に目に入ったのは、一枚の評価レポートだった。
「恭一くん、ホテル経営してみない?」
あらすじについて
あらすじを読みたい方と、読まずに楽しみたい方がいると思いますので、あらすじは活動報告のところに書きました。
お手数ですが、私の作者のところを押してそこからお読みください。




