92話 かぞく
夕食後のリビング。
夕方に話があると事前に家族に伝えておいた。
それに叔父さんも呼んだ。
テーブルの上には食器が並んでいたけれど、俺はそれに手をつけることもなく、しばらく黙って座っていた。
父さん、母さん、そして叔父さんも、誰も話さない。
みんなが何かを察しているような沈黙の中――
ついに俺は、口を開いた。
「ちょっと、話したいことがあるんだ」
全員の視線が、静かにこちらに集まる。
喉が乾いていた。でも、もう逃げるつもりはなかった。
「……俺、ずっと隠してたことがある。怖くて、どう話していいかも分からなかった」
母さんが心配そうに眉をひそめ、
父さんは腕を組んで真剣な表情を浮かべた。
叔父さんは、何も言わずに頷くだけ。
「――俺、未来の技術を使ってたんだ」
静かな空気の中に、言葉が落ちた。
「PCの中に、“ChatGPT”っていう未来のAIが入ってて……
それを使って、HTTP/3とか、レシピサイト、翻訳ツール……いろんな技術を作った。
全部、本来なら今の時代には存在しない技術だった」
沈黙。
でも、その沈黙は、責めるためのものではなかった。
父さんが、ゆっくりと口を開いた。
「つまり……それが、全部“未来から来た技術”ってことか?」
「うん。正確には、“未来にあるAI”が手元にあって、それを使って、いろんなことを“先にやってた”んだ」
「……そんなことが本当に?」
母さんの声は、驚きというより、戸惑いに近かった。
「信じられないと思う。でも、本当なんだ。気づいたときにはもうあって……自分でもどうしてか分からなかった。理屈は俺にも分からない。これまでずっと、誰にも言えなかった。でも、限界だった 」
少し息を吸ってから、続けた。
「俺が作った技術が、今――アメリカに渡って、軍事に使われようとしてる。
人を守るために作ったはずなのに……人を“撃つ”ために使われるかもしれない」
母さんの手が、静かに口元に運ばれた。
父さんは何も言わず、視線を落としていた。
「俺はそれを止めるだけの力もなかった。だから、せめて、ちゃんと話しておこうと思って」
そのとき、叔父さんがゆっくりと口を開いた。
「……正直、意味はよく分からん。AIとか、未来とか……信じられないって気持ちもある」
「……うん」
「でも、恭一、お前が本気で悩んでるってのは分かる。
それだけで、俺には十分だ」
その言葉に、不意に目が潤んだ。
「技術ってのは、使う側の人間がどうするかで、善にも悪にもなる。
お前の手を離れたその技術が、どこに行くかは……正直、分からない。
でも、“最初の想い”だけは、ちゃんと残る」
叔父さんは、真っすぐな目で俺を見た。
「“人を助けたい”って思って、作ったなら――それは、絶対になくならない。
そういうものは、ちゃんと届く。必ず、誰かの心に残る」
母さんも、小さく頷いた。
「お母さん、難しいことは分からないけど……
でも、あなたがそんな大きなことを一人で抱えてたって思ったら、それだけで胸が苦しいわ」
「……」
「怖かったでしょう? ずっと、心の中で、誰にも言えないで」
思わずうなずくと、母さんはそっと俺の肩に手を置いた。
「話してくれて、ありがとう」
その言葉だけで、心の奥がじんわりとあたたかくなった。
父さんは、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……お前のやったことが、世界の流れを変えたとしても。それでも、俺たちはお前の味方だ」
「父さん……」
「結果がどうなろうと、交通事故を減らそうとお前のやってきたことが嘘じゃないなら、
それを恥じる必要はない。俺は、そう思う」
その言葉に、どうしようもなく涙がこぼれた。
母さんがティッシュを差し出してくれた。
「ありがと……みんな……」
声が詰まって、うまく話せなかったけど、
言いたいことはきっと伝わっていた。
家族にすべてを話して、涙が静かに落ち着いていく頃。
部屋の空気は、ほんの少しだけやわらかくなっていた。
母さんは、緊張を解くように湯飲みを持ち上げ、そっと口を湿らせた。
父さんは、ゆっくりこちらを見ている。
そして、叔父さんだけが、ずっと俺の顔を見ていた。
まっすぐな視線。真剣な、問いの気配。
そして、彼は口を開いた。
「……恭一。その“未来のAI”ってやつ、具体的にはどういうものなんだ?」
「え?」
「俺も研究職のはしくれだ。いくら時代が違うって言っても、ちょっとは想像したい。
“AI”って言葉ひとつじゃ、どこまでできるのか分からん。
たとえば――Verdandy KK、あれも相当なもんだったが……その先、ってことだろ?」
「……うん。あれの、もうひとつ上のモデルだよ」
言葉を選びながら、俺は説明を始めた。
「“ChatGPT”っていう名前のAI。
2025年に公開された、当時の最新モデル。
俺が使ってるのは、その中でも、たぶん最高ランクのやつ」
「ふむ……」
「基本は、文章生成が得意。でも、それだけじゃなくて――最大で4000字くらいまでの出力が可能で、
論理的な説明とか、創作文章、法律文書、報告書、翻訳、全部できる」
「4000字……それは1回で?」
「うん。たった1回の出力でそれくらい一気に書いてくれる。しかも精度が高い。
話題に一貫性があって、誤字脱字もほとんどない。まるで人間が書いてるみたいに自然」
叔父さんの目がわずかに見開かれた。
「たしかに、Verdandy KKも不自然じゃなかった……でも、あれより上ってのは……」
「しかも、プログラミングも全部できる。
通信の仕組みも、暗号の仕組みも全部このAIに教えてもらった。俺が出した技術は未来の誰かが発明して、それをAIが知っていただけ。
コードだって、“こういう仕様で作って”って言えば、最初から最後まで一気に出してくれる」
「……HTTP/3も……あの難解な暗号アルゴリズムも……?」
「うん。あのソフトの暗号は2015年くらいに発明されたもので――5分くらいで出してくれた」
叔父さんは、言葉を失ったように目を丸くしていた。
「そんな……あり得るのか……」
「信じられないと思うけど、本当にそれくらいできるんだ。
俺が今まで“天才”だって言われてきたのも、全部、このAIがいたからだよ」
「じゃあ……お前は、それをただ写してたってことか?」
叔父さんの言葉に、俺はゆっくりと首を振った。
「“写した”というよりそのままじゃ通じない表現を直したり、文章を読みやすくしたり、仕様を調整したりして使ってた」
しばしの沈黙。
「……なるほどな」
叔父さんは、ぽつりと呟いた。
「お前が自分を“技術者”と呼ぶのは、そういう理由だったか。
確かに――そのAIがどんなにすごくても、お前がそれを使って“何をしたか”が、すべてだな」
「……ありがとう」
その一言に、俺は肩の力が少し抜けた。
でも、こうして“理解しようとしてくれる”人がいることが、
これほどまでに救われるものなんだと、今、初めて実感した。
「まあ、お前がMicrosoftにハッキング仕掛けて盗んだ技術じゃなくて安心した」
そう冗談半分で叔父さんが笑った。
しばらくの沈黙のあと、父さんがゆっくりと口を開いた。
「……恭一、お前はこれからどうしたい?」
その問いは、責めるでも、導くでもなく。
ただ、まっすぐに“答えを求める”声だった。
俺は視線を落とし、指を組んだまま、しばらく考えた。
胸の中では、もうとっくに答えが出ていた。
「……もう、この未来のAIは使わない」
「……」
「便利だよ。すごいし、役にも立つ。でも――“すごすぎる”んだ。俺なんかが簡単に扱えるもんじゃない」
母さんが少し驚いた顔をしたが、何も言わず、静かに聞いてくれていた。
(もう誰かの言葉に寄りかかって、自分の意志を見失いたくない。 俺は、俺自身として、生きていきたいんだ)
「最初は、ただ技術が好きで、誰かの役に立てたらって思ってた。
でも気づいたら、褒められたいとか、すごいって言われたいとか……そんな気持ちが膨らんでてさ」
少し、苦笑が漏れる。
「澪に……話したんだ。この技術のことも、俺の弱さも。
そしたら、“怖いって思えるキョウくんは、優しい人だよ”って言われて……
そのとき、ちゃんと気づいた。俺、全部AIに頼って、考えるのを手放してたんだって」
言葉にすると、自分でも初めて整理がついたような気がした。
「だから、もう一度……自分の足で立ちたい。AIの答えじゃなくて、自分の意思で選んで、自分の言葉で悩んで、それでも“何かを作る”ってことに向き合いたい」
言いながら、胸の奥にあった重たい塊が、少しずつほどけていく感覚があった。
「もう……俺は、AIなしで生きていきたい」
まるで、長い間背負っていた影を、ようやく降ろせたような感覚だった。
「……そうか」
父さんは短く、でも深く頷いた。
「それでいい。自分で選んだなら、それが正しい」
その言葉に、思わず目が潤みそうになる。
「俺たちは、お前がどういう道を選ぼうと……“お前自身”でい続ける限り、支えるよ」
母さんがそっと頷いて、テーブル越しに俺の手を包んだ。
「今まで……一人で悩ませてごめんね。もっと早く気づいてあげればよかった」
「ううん、俺の方こそ……やっと話せて、少し気が楽になった」
叔父さんも腕を組みながら、ふっと笑った。
「やっぱり、俺の甥っ子はとんでもないやつだったな。
でも……誇らしいよ。ちゃんと、自分の技術と向き合ってる。
そんな若さで、そこまで考えられるやつ、そうそういない」
「……ありがとう、叔父さん」
言いながら、心の奥にあった小さな恐怖が、じわじわと溶けていった。
叔父さんは、少し間を置いて、ぽつりと付け加えた。
「……そのAI、本気で取り扱うには、人類全体がまだ“早すぎる”かもしれんな」
その声には、科学者としての畏れがにじんでいた。
「まだ、何が正しいかなんて分からないし、迷うと思う。
でも、誰かに任せるんじゃなくて、ちゃんと、自分で考えて選びたい。
それだけは、もうブレない気がするんだ」
父さんが少し笑って、背もたれに身体を預けた。
「その言葉が聞けて、安心した」
夜が更けていく。
家族に全部を話して、受け止めてもらって、そして、自分で答えを選んだ。
逃げようと思えば、いくらでも逃げられた。
でも――もう逃げない。これは、自分で決めたことだ。
未来の技術を手放すということは、同時に、“自分の責任で未来を生きる”という選択だった。
簡単じゃない。でも、怖くない。
――もう、一人じゃないから。




