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91話  My Sweet Honey

二人で並んで座るベッドの端。

俺は、澪の手を強く、強く握っていた。


そのぬくもりだけが、今の俺をどうにか地面につなぎとめてくれていた。

涙はもう、出なかった。


あんなに泣いたのに、感情はすり切れて、今はただ、何も残っていない感じがする。

まるで、すべてを流し尽くしたあとの、空の器。


そう、虚無。


それ以外の何ものでもない。

 

「……これまでしてきたことって、結局、何だったんだろうな」


静かに呟いた言葉は、自分の喉を通って出てきたはずなのに、

まるで他人の声のように感じられた。


未来の知識をかき集めて、サイトを作って、技術を出して。

みんなに驚かれて、褒められて、感謝されて。


契約も取って、企業からの依頼も来て。

大金まで手に入れた。


でも今、胸に残っているのは、ただ一つ――


「……ごめん」


俺はうつむいたまま、ぽつりとそう言った。

「こんな技術、出すべきじゃなかったのかもしれない。


未来のAIなんか使って、先回りして、誰も追いつけない場所から一人で走って、

気づいたら、“誰かが死ぬかもしれない技術”を作ってた」


「……」


「誰かを助けたつもりでいた。


でも、それって結局、“自分のため”だったのかもしれないって思う。

認められたかっただけで、褒められたかっただけで……」


苦笑が漏れた。


「最後に残ったのは、罪悪感だけだった。


金とか、成功とか、すごいって言われることなんて、

こんなに……どうでもよくなるなんて、思ってなかった」

 

隣に座る澪は、何も言わなかった。


でも、手だけは、ずっと握っていてくれた。


力強く、確かに“離さない”という意志がこもったその握り方が、

言葉よりもずっと、俺の心に届いていた。

 


「それでもね」


澪が、ぽつりと口を開いた。


「……」


その声は、とても静かだった。

でも、不思議なくらい真っ直ぐで、迷いがなかった。


「恭くんが助けた人は、たくさんいると思うよ」


思わず顔を上げると、澪は俺を見ずに、前を向いたまま言葉を続けた。


「ううん、思うじゃなくて……私は、助けられたから」


少し笑った。


「料理で。言葉で。気持ちで。なんかうまく言えないけど……私、あのサイトに何度も助けられたよ」


「え?」


「実は英語の翻訳を恭くんのサイトに依頼したことあるんだ。英語分かんない~って思ったけど、分かりやすく日本語にしてくれて助かった」


全く知らなかった。


「それに毎日更新してるレシピサイト見て、お母さんと、これ作ってみよってはしゃいでたんだよね」


「そんなの、知らないうちにやってたって思うかもしれないけど……私以外にも恭くんのが“救い”になってる人って、きっと他にもいると思う」


「……澪」


また目が少し潤んでいた。

それでも、さっきまでの涙とは違う。


にじむ視界の中で、隣にいる澪の姿が、

はっきりと、鮮やかに見えた。


(俺は、人を救ってもいいんだろうか)


澪の瞳の中に、俺が、ちゃんと存在していた。

誰かを、救ってもいいと、思ってもらえる“自分”が。

 

澪はそっと笑って、俺の手をぎゅっと握り直した。


「誰も、未来なんて見えないよ。


でも、“今ここにいる誰か”を大事にしてれば、それはちゃんと意味があるって思う」

 言葉が、もう、出なかった。


「……澪」


名前を呼ぶだけで、胸の奥が熱くなった。

涙の気配を感じながら、俺はゆっくりと口を開いた。


「本当に、ありがとう」


言葉にすると、じんわりと気持ちが染み込んでいく。


「澪がいてくれたから、こうして話せた」


そう言いながら、少しだけ笑う。


「俺なんか、全部抱え込んで、自滅しかけてたのにな……」


「うん、バカだと思った」


澪も笑った。でも、その目の端に、小さな涙の光が浮かんでいた。


「ほんとに、勝手に一人で潰れそうになって。誰にも頼らないし、相談もしないし……」


「でも、頼ったら怒るじゃん。泣くし」


「怒ってないし、泣いてないし」


言いながら、澪は指で目元をこすった。


「……ちょっと、ちょっとだけ、安心しただけ」


それだけで、俺の胸はまたいっぱいになった。

少し涙ぐんでる澪の姿が、まぶしくて、あたたかくて、なんだかもう、言葉にできないくらい、愛しく思えた。

 

「ねえ、キョウくん」


「うん?」


「これから、どうするの?」


静かに、でもまっすぐな声だった。


「その……AIとか、アメリカとか。軍のことも、怖いけど……

でも、キョウくんはきっと、自分なりに“答え”を出すと思うの」


「……」


「だから、私も一緒に考えたい。考えさせて」

俺は少しだけ目を伏せ、深く息を吐いた。


「まだ、全部は見えてない。でも――向き合わなきゃって思ってる」


「うん」


「このまま“知らなかったこと”にして、楽な道に逃げることもできる。

でも、それって結局、逃げてるだけで……」


少しずつ、言葉が定まってくる。

言いながら、胸の奥にあった“冷たい石”が、ゆっくりと溶けていく気がした。


 

「……かっこつけすぎかも」


苦笑まじりに言うと、澪が首を振った。


「ううん、かっこいいよ。……すっごく」


照れたように笑いながら、澪は俺の手をもう一度ぎゅっと握った。

その小さな手に、強さがあった。


「一緒に頑張ろうね」


「……うん」






その瞳を見ていたら、もう――止められなかった。

 

澪は、最初から最後まで、俺のそばにいてくれた。


見捨てず、疑わず、ただ信じて、支えてくれた。

――それ以上の言葉なんて、もう要らなかった。


「……好きだよ、澪」


自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。

計算も、迷いも、隠しごともない。


ただ、今ここにいる澪を、

そのまま、大切に思ってる気持ちだけが、そこにあった。


澪は、ほんの一瞬だけ目を丸くした。

けれど、すぐに――


「……うん、知ってた」


そう言って、にっこり笑った。


「私も、ずっと好きだった」


その言葉に、また胸がいっぱいになった。

なんで今まで言えなかったんだろう。


どうしてもっと早く、こうやって素直になれなかったんだろう。

でも――遅すぎることなんて、ないのかもしれない。

 

澪がもう一度、そっと俺を抱きしめた。

今度は、俺もちゃんと、強く抱きしめ返した。


震えも、不安も、罪悪感も、まだ完全には消えてない。

けれど、確かに感じた。

“ひとりじゃない”って、こんなにも温かいことなんだって。

 

誰かに話せただけで、

誰かに受け止めてもらえただけで、

世界がほんの少しだけ、優しくなった気がした。


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えんだああああああああああああああああああああああああああああ!!
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