88話 国家安全保障局②
会議の翌日。
桐原の会議室に入った瞬間、昨日と同じ顔ぶれが視界に入った。
でも、今日の彼らは“確認”をしに来たようだった。
「いくつか、技術的な追加質問があるそうです」
社長の横で、牧原さんがそう説明する。
俺はうなずき、ノートPCを開いた。
ローレンが通訳として一歩前に出る。
「まず、基本的なところから……このAIは、カメラ自体が動いている時に物体を検知することは可能ですか?」
「もちろん可能です。桐原で使う歩行者認識のように、映像の中で一定のサイズと速度で動く物体は、YOLOで検出できますし、DeepSORTで追跡できます」
「では、どれくらいの速度まで対応できますか? たとえば、時速に換算して何キロくらいまで?」
「んー……それは、カメラのフレームレートと解像度にもよりますけど。理想的な条件なら、今後の
技術により時速100キロくらいの車でも追えますよ。高速道路でも使えるくらいには」
前に調べたときにChatGPTが言っていたので、そのまま受け売りで言う。
「なるほど、興味深いですね」
淡々とメモを取りながら、ローレンが続ける。
「え、防犯カメラ自体が動くんですか?」
防犯カメラがどうやって動くんだ?
「例えば、首振り式のカメラなど、カメラ自体が動くこともあります」
(ああ、なるほど)
「もうひとつ……検出した対象を、リアルタイムでデータとして保持し、その位置座標をもとに動作を行う、といった使い方は?」
「え……?」
一瞬、聞き返しそうになった。
“動作”?
警告を出すとか、そういう意味だろうか?
「たとえば、対象が一定距離内に入ったときに自動でアラートを出す、とかですか?」
「はい、そういったものです。……あと、万が一の侵入やテロ行為を即座に察知するためにも、動作指令は有効です」
その“万が一”という言葉が、妙に引っかかった。
その“間”に、ほんのわずかだが違和感があった。
彼女の答えは、“隠している何か”が、言葉の後ろに感じられた。
「それなら可能ですよ。人や車を追いながら、一定距離以内に入ったらアクションを実行する仕組みならすぐ組めます」
「Excellent.」
ローレンが静かに笑った。
俺は頭に思い浮かんだ疑問をそのままぶつけてみた。
「……あの、でも、防犯カメラに使うんですよね? そこまで“動作”とか必要ですか?」
その瞬間、ウィットマンが小さく肩をすくめて、ローレンの方をちらりと見た。
ローレンも、一瞬だけ表情を緩めた――
けれど、その笑みはどこか曖昧だった。
「防犯カメラも、様々な用途がありますからね。
あと、将来的には車載型やヘリコプター搭載型への展開も検討されているようです」
「……へ、ヘリ?」
「はい。監視の範囲を拡張するには、空からの視点も有効ですから」
淡々と言われたその言葉に、背筋が少し冷えた。
“空からの視点”
“対象の位置座標に基づいて動作を行う……?”
俺にはあまり想像ができない使い方だった。
* * *
数日後、桐原自動車の法務部に呼ばれた。
目的は、アメリカNSAへの技術提供に関する正式な契約書類へのサイン。
契約者として、俺の名前も必要になったのだ。
「じゃあ、このページに印鑑と、最後にサインをお願いします」
淡々と手続きを進める法務担当の女性。
横では、牧原さんがフォローに入ってくれている。
長文の契約書。要所には、法的な言い回しと桐原、NSA、そして“協力技術者”としての俺の名前。
額面金額――80億円も、何度も登場していた。
それを見ながらも、不思議と現実味はなかった。
桁が大きすぎて、逆に感覚が麻痺していたのかもしれない。
「これで、あとは社内決裁とアメリカ側の正式受領だけですね。恭一くん、本当におつかれさま」
「いえ……」
サインを終えると、法務部のドアの外で待っていた牧原さんが声をかけてきた。
「せっかくだし、ちょっとだけ技術本部、寄ってく?」
「……あ、はい」
久々にエンジニアフロアへと足を運ぶ。
エレベーターの扉が開くと、開発現場の空気が迎えてくれた。
白衣を着た技術者たちがモニターに向かって作業し、プロトタイプの検証機が机の上で動いている。
「おおっ、来た来た!」
「開発者ご本人じゃないですか!」
見知った顔の技術者たちが、笑顔でこちらに向かってくる。
「歩行者検知システム、もう3台の実験車に載せました。
交差点での飛び出し検出、住宅街の低速モードでのアラート、どれも走行テスト良好です」
「うちの走行試験部門が、めちゃくちゃテンション上がってましたよ」
「うまいこと言うなぁ、それ」
軽口を交わしながら、モニターを覗き込むと、画面には赤い枠で囲まれた人物の映像がリアルタイムで流れていた。
YOLOとDeepSORTの組み合わせ。
見慣れた“自分の作ったアルゴリズム”が、桐原の現場で“本当に使われている”。
(おお、なんかすごいな……)
「このまま順調にいけば、年内には市販モデルに搭載されるかもって話も出てます」
「……ほんとに?」
「はい。国土交通省の評価も良好です。実際に事故を減らす効果が確認され始めていて、“公共向けの安全対策技術”として正式に採用されるかもしれません 」
牧原さんが横で、小さくうなずいた。
「桐原としても、これは主力プロジェクトの一つに昇格させる方向で動いてる。恭一くんの貢献は、その核です」
「……恐縮です」
技術本部を後にして、休憩スペースでコーヒーを飲んでいたら、牧原さんが隣にやってきた。
白衣を脱ぎ、少しリラックスした様子で紙コップを手にしている。
「お疲れさま。契約も無事済んだね」
「ええ、はい。なんか、全部が現実じゃないみたいで……」
俺が苦笑混じりに言うと、牧原さんは軽く笑った。
「まあ、桁が桁だからね。80億なんて金額、普通の会社じゃ一生お目にかかれない」
「……そうですよね」
ふと、疑問が頭をよぎった。
それは、昨日からずっと胸の奥に引っかかっていたこと。
「でも……その、アメリカって、“防犯カメラに使いたい”って言ってましたよね? そのために80億って、ちょっと桁外れじゃないですか?」
コーヒーを一口すすったあと、牧原さんは少しだけ表情を引き締めた。
「……その点について、恭一くんは疑問を持って当然だと思うよ」
「……え?」
「NSAって、なんの略か知ってるかい?」
「ナショナル・セキュリティ・エージェンシー……国家安全保障局、ですよね」
「そう。でも実際は、DoD――国防総省の中にある“暗号・情報監視系”の一部門だ。
つまり、あれは“軍の技術部門”でもある」
「……軍?」
「そう。DoDは米軍のトップ組織だ。海軍、陸軍、空軍、宇宙軍、サイバー軍……全部を統括している。
NSAは、その中で“監視と解析”を担当してる」
牧原さんの声は、淡々としていた。
でも、言葉の一つ一つが、ゆっくりと胸に沈んでいく。
「人を“見つけて”“分類して”“追いかける”技術。それが、どこで最も必要とされると思う?」
「……」
「戦場だよ」
一拍の間。
「たとえば、自動運転の車に機関銃を載せる。敵兵を見分け、近づいてくるものを識別し、命令なしに対応する。あるいは――小型ラジコンのようなものにカメラとAIを載せて、都市部で“敵”だけを追跡・排除する」
「や、やめてください……」
思わず遮っていた。
でも、牧原さんは淡々と続ける。
「恭一くんが作ったこの技術、“人を見つける精度”が常識を超えてる。
フレームごとに“これが人か”“どこに動いたか”を認識できるAIなんて、今の軍でも持ってない」
「……それって、じゃあ、アメリカが求めてるのは……」
「“防犯”は建前だよ。
目的は――敵兵士をリアルタイムで捉えて、機械が判断し、撃つためのシステムだ」
その言葉を聞いた瞬間、全身が一気に冷えていった。
自分が作った技術。
人を守るために――交通事故を減らすために考えた技術。
それが今、“人を撃つため”に使われるかもしれないと。
「……そんなの、冗談ですよね」
声がかすれていた。聞きたくなかった。けど、聞いてしまった。
「そうだといいんだけどな」
静かにそう返されて、もう何も言えなかった。
牧原さんは、コーヒーを最後まで飲み干して立ち上がった。
「俺はエンジニアだからね。技術が何に使われるかは、結局“使う側”次第だってことは、最初から分かってる」
言葉の意味は、ちゃんと理解できた。
もう、「知らなかった」では済まされない場所に、俺は立っている。
会議室に戻る廊下の途中で、足が止まった。
胃の奥が、ぎゅっと内側からねじれるように痛む。
胸のどこかが、ゆっくりと崩れていく感覚があった。
気づかないふりをしていた何かが、音を立てて割れていく。
(……俺は、人を守るために、これを作った)
(それが――“撃つため”に使われるかもしれないなんて)
その現実は、まだ誰にも明言されていない。
けれど、足元から冷たいものが這い上がってくる。
誰かの命を救うはずだった技術が、
誰かの命を奪う未来に繋がっているかもしれない。
廊下の先には、静かな会議室がある。
そこには、契約があり、国家の影がある。
硬くなった足を無理やり前に出しながら、俺は思った。
(もう、“知らなかった”じゃ、済まされない)
ここはもう、技術開発の現場じゃない。
世界の、もっと暗い部分とつながっている場所だった。
第12章までお読みいただきありがとうございます。
第2部は次の13章で終わりになります。
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