85話 交通事故を無くす
チャット欄に勢いよく打ち込む。
>YOLOv4とDeepSORTを使って、自動車用の“歩行者検知カメラシステム”を設計してください。中学生でも理解できるように説明して。
【ChatGPT】
《以下の構成が考えられます:
1. 小型カメラで前方映像をリアルタイムで取得
2. YOLOv4で「人」を検出……
「そう、それそれ……!」
頭の中に、システムの全体像が組み上がっていく感覚があった。
これまで“情報を届ける”だけだった技術が、ついに“命を守る”段階に来た気がする。
ニュースサイトも翻訳も便利だったけど、この“検知と警告”は、もしかしたら命に関わるかもしれない。
「俺が作ったものが、事故を一つでも防げたら……」
それって、めちゃくちゃ“いいこと”じゃないか?
もちろん、まだ実際に動くものは何一つない。
コードも設計も、試作機も、なにもない。
でも、頭の中にはもう“それ”があった。
カメラに映った人が赤く囲まれ、危険が近づけばアラートが鳴る――
そんな未来の車内映像が、まぶたの裏に浮かぶ。
(感謝されたから、とかじゃない)
(でも、あの人たちの「ありがとう」に、ちゃんと応えたい)
そんな気持ちで、俺はまたChatGPTに向き合った。
>YOLOとDeepSORTの学習データについて教えて。実際の交通映像を使うとしたら、どんな前処理が必要?
まだ見ぬ未来の事故を、1件でも減らすために。
俺は今、確かに“何かを作ろうとしている”。
この時代には、まだ存在していない技術を――
この手で、初めての“形”にしてやろうと思った。
「よし……PDFにまとめるか」
思いつきではじめたにしては、今回はけっこう本気だった。
今までの活動は、どちらかといえば“便利な道具”を作ってる感覚だった。
でも今回のは違う。
これは、“命に関わるかもしれない技術”だ。
だからこそ、ちゃんと形に残そうと思った。
パソコンを開いて、新しいドキュメントを作る。
タイトルは少し迷って、こう書いた。
「人を見つけて追いかけるカメラで、事故を減らす方法」
ちょっと説明っぽいけど、それでいい。
ChatGPTに聞いたことをまとめながら、必要なことを一つずつ書き出していく。
【目的】
・交通事故(特に歩行者巻き込み)の未然防止
・交差点・住宅街などでの飛び出し対応
【構成】
1. カメラ:前方に設置、広角映像を取得
2. 処理装置:GPU搭載ボード……
ChatGPTに手伝ってもらいながら、簡単な図も描いた。
「カメラ → 映像 → AIでチェック → アラート」っていう、シンプルな流れ。
それだけ。でも、それだけで命が救えるかもしれない。
「……これ、マジでいけるかも」
そう思いながら書いてるうちに、言葉も図も、どんどんつながっていく。
気づけば1時間があっという間に過ぎていた。
できあがったPDFを見て、自然と笑みがこぼれた。
保存ボタンをクリックしたとき、胸の中にじんわりと達成感が広がった。
「ふぅ……できた」
しばらくモニターを眺めたあと、椅子にもたれて天井を見上げる。
こんなに“自分がやった”って実感を持てたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
レシピサイトや作文サイトは、たしかに便利だった。
だけど、どこか“読まれるだけ”の存在だった。
でも今回は違う。
昔、近所の子が車にひかれそうになったことがあった。
あのとき、こんな仕組みがあれば――
そんな記憶がよみがえった。
これは、歩行者を守るための技術。
「……これで、事故が減ったら、すごくね?」
つい、独り言が漏れる。
当たり前すぎて忘れがちだけど、車の事故って、本当に怖い。
誰にでも起きるし、一度起きたら人生が変わるレベルだ。
それが――この技術で、一件でも防げたら。
「……うん。俺、いいことしてるかもしれない」
ちょっとだけ笑みがこぼれた。
まだ“完成”にはほど遠いし、実装できるかも分からない。
でも、その“入り口”に自分の手で立った気がした。
画面の中には、しっかり整ったPDFファイル。
* * *
「では……こちらが、今回提案した技術の概要になります」
会議室の照明が少し落とされ、モニターにPDFの1ページ目が表示された。
いつもの打ち合わせとは違う――そんな空気が、肌で伝わってくる。
広めの会議室には、10人以上の社員が集まっていた。
情報システム部門だけでなく、車体設計や電装系、品質保証など、普段の打ち合わせではまず顔を合わせないような部署の人たちもいる。
その視線が、全員、こちらを向いている。
俺は手元の紙をそっと握り直した。
(大丈夫。内容は詰めた。自信はある)
画面には、あのPDFの冒頭が映っていた。
「YOLOv4 + DeepSORT による 歩行者検出・追跡カメラの車載活用について」
「……えーと、この技術は、カメラを使ってリアルタイムで歩行者を検出し、車が“人に近づきすぎている”と判断したときに、ドライバーに警告を送る仕組みです」
画面を切り替えながら、簡潔に構成を説明していく。
・フロントに取り付けたカメラで、映像を取得
・YOLOv4で「人」や「自転車」「動物」を瞬時に検出
・DeepSORTが個体を識別・追跡
・距離・速度から衝突リスクを算出し、音声やディスプレイでドライバーに通知
「……AIの画像認識技術を使えば、従来のセンサーでは難しかった“見落とし”にも反応できるはずです」
話している間、誰もケータイをいじらず、咳払いひとつなかった。
空気が、ぐっと張り詰めていた。
プレゼンが終わった瞬間、最初に声を上げたのは、車体設計の中年男性だった。
「……モデル上で、0.3秒以内にアラート出せるんですか? 」
「はい。条件次第ですが、YOLOのモデルは非常に軽量なので、小型GPUでも対応可能です」
「つまり、それで歩行者を“追える”と?」
「DeepSORTが、それを実現します。追跡精度も高く、たとえば交差点で右左折時の巻き込みにも反応できます」
すると、別の社員が小さく笑った。
「こりゃ、現場の検査チームが泣いて喜ぶな……」
安全設計の主任がスーツのボタンを外して、前かがみでモニターを見つめながら、深くうなずく。
「……すごい。これ、本当に車に載せられたら――まったく新しい“目”が車に生まれるようなものだ」
「死角の歩行者、ふらついた自転車、小走りの子ども、ペット……どれも“リスク”だけど、これなら早く気づける」
「これ、量産できれば……うちの車、ほんとに変わるぞ」
一人、また一人と、技術者たちの目が輝いていくのが分かった。
それぞれが専門の観点から質問を重ね、想定されるリスクや処理時間、搭載位置、耐熱・耐振動の話へと進んでいく。
(すごい……話が、“本気”になってる)
ChatGPTでまとめた内容。
一晩かけて形にしたアイディア。
それが今、企業の“現場”で、リアルなプロジェクトとして動き出そうとしている。
そして、そのとき。
重役クラスの一人が、ゆっくりと立ち上がった。
髪は白く、顔には年輪が刻まれている。
名札には「常務取締役・技術統括本部長」の肩書。
その人が、静かに、しかし力のこもった声で言った。
「……自動車事故で死傷者を減らすことは、桐原自動車の創業以来の悲願だ」
部屋が静まり返る。
「これまで、我々は衝突安全、ブレーキ性能、車両制御……あらゆる方向から“守る車”を目指してきた。だが、まだまだ十分とは言えなかった」
彼は、俺の作ったPDFの画面を一瞥し、そしてこちらを見た。
「君の技術は、その“足りなかった何か”を埋める可能性がある。……いや、必ずそうなると信じている」
全員の視線が集まり、会議室に静かな拍手が広がった。
――この技術を、提案してよかった。
心の底からそう思った。
これまでの「便利」や「面白い」とは、まったく違う手応え。
会議が終わったあと、俺はそのままシステム開発部の一角に案内された。
「実践検証、さっそくやってみようってことになりまして」
牧原さんが、白衣姿のスタッフに囲まれながら、軽く笑った。
机の上には、小型のGPUボードとモバイルモニター、そしてダッシュボードサイズの車両模型。
どうやら、構想だけでなく、“実装可能か”を即チェックするつもりらしい。
(うわ……話が速すぎる)
社内の空気が変わったのは、間違いなくさっきの会議がきっかけだ。
「使えるかもしれない」ではなく、「やるべきだ」というムードに、一気にシフトしていた。
エンジニアの一人が笑いながら話しかけてきた。
「まさか、中学生のアイディアでここまで動くとは思ってなかったでしょ?」
「いや、ほんとに……」
「君のPDF、うちの部長が技術全体会議でそのまま読んでてさ。“こんなのが来る時代だぞ!”って。みんなザワついてたよ」
「……マジですか」
「うん。感謝してる。うちじゃ絶対思いつかない切り口だったし、そもそもYOLOとかDeepSORTって、今まで“研究止まり”だったから」
技術のことを理解されて、真っ直ぐに感謝されるって、こんなに嬉しいんだな。
「ありがとうございます。自分のアイディアが、ちゃんと動くか試したくて」
「動くさ。俺たちが動かす。もう、“君の提案”じゃなくて“うちのプロジェクト”だからな」
(……ああ、そうか)
これが、“現場に受け入れられた”ってことか。
俺は技術だけを投げたつもりだったけど、それがちゃんと届いて、今は誰かの“仕事”として本気で動き始めている。
その感覚が、じわじわと胸に広がっていく。
開発エリアを出ようとすると、入り口で誰かが声をかけてきた。
「君が……あの技術を提案した子だね」
振り向くと、初対面の中年の男性。
「交通安全部門で、社外の事故データを扱ってる。……本当にありがとう」
「え……?」
「いや、正直に言うとね。俺たちは、ずっと“守る側”の限界を感じてた。ぶつかる前に止める、っていうのは理想だけど、センサーの反応じゃ足りないことも多かった」
「……」
「でも、“見えるようにする”っていう発想。それが加われば、車が事故を“想像できる”ようになる。君の発想は、そういう意味で希望だったよ」
思わず、背筋が伸びた。
「いえ……俺なんか、ただ提案しただけで……」
「提案しただけというが、それがすごいことなんだ。ウチの技術者は誰も出来なかったことをしたんだからな」
井上さんはそう言い残すと、手を軽く挙げて去っていった。
俺はしばらくその背中を見送っていた。