83話 未来を作る少年
「……えっ、社長さんが?」
画面越しの牧原さんが、やや申し訳なさそうに頷いた。
「はい。社長と副社長、そろって……君に一度、ちゃんと会いたいと」
「え、いや、そんなにですか」
「はい、衝撃だったらしいです」
牧原さんの声には、いつもの穏やかさに少しだけ緊張が混じっていた。
「社長が会いたがっている」なんて言われたのはもちろん初めてだった。
「……でも、技術を教えただけだし……」
「いや、君がそう思っていても、会社からすれば“桁違い”なんですよ。HTTP/3の件も、Brotli圧縮のデモも……正直、うちの技術陣もまだ完全には把握しきれていないくらいで」
「あの……まだHTTP/3って、一般には公開されてないですよね?」
「ええ。けれどHTTP/2だけで、すでに社内は騒然です。だからこそ、です」
牧原さんは一瞬言葉を区切り、まっすぐこちらを見た。
「“どうして、こんな若い子がここまで?”ことと、感謝を直接伝えたいのでしょう」
「直接……」
背中に、じんわりと汗が滲んだ。
* * *
「初めまして。私は桐原自動車の代表を務めております、桐原です」
差し出された名刺を受け取るとき、手のひらにじわりと汗がにじんだ。
会議室の空気は、まるで張りつめた糸のようだった。
テーブル越しには社長と副社長、その隣には牧原さん。ほかにも、名札の肩書きが立派な人たちが並んでいる。
「こちら、副社長の城田です。技術畑出身で、今回の件を非常に楽しみにしていました」
副社長も軽く会釈してくれたが、その目は冗談一つない本気だった。
(うわ……本物って、こういう感じか)
言葉を交わすより前に、“重さ”だけが先に襲ってくる。
緊張と、期待と、ちょっとした恐怖。全部ひっくるめて「格上」という存在が、そこにいた。
でも――誰も、俺を“子ども”としては見ていなかった。
むしろ、“どう接するべきか迷うほどの未知”として、慎重に向き合っているのが伝わってきた。
「まずは、御礼を言わせてください。HTTP/2とBrotli、この二つの技術だけで、社内の通信効率は劇的に改善されました」
「ありがとうございます。実装のほうは……問題ないですか?」
「むしろ順調すぎて、一部の現場では“もっと早く導入していれば”という声まで出ています」
副社長が資料を開きながら続けた。
「実は今、社内システムに加えて、カーナビへの実装も始まっているんですよ。技術者たちが総出で商品化に向かっています」
「……もう、そこまで」
正直、驚いた。あのPDFが、もう“商品”になるなんて。
確かに便利な技術だけど、ここまで即効性があるとは――桐原って企業の規模を思い知らされる。
社長が、ゆっくりと微笑んだ。
「中学生が開発したと聞いたときは、冗談だと思いました。しかし、いまはただ、感服するばかりです」
「……恐縮です」
「もちろん、応用や製品化は当社の技術者が主導します。しかし、その“核”を持ち込んでくれたのは、あなたです。感謝してもしきれません」
真正面からそう言われて、少しだけ俯いてしまった。
(……いや、ChatGPTが出してくれたんだけど)
なんて、もちろん言えない。
でも、“出した結果”がすべてなんだと、理解できた気がした。
「君には、今後もぜひ我々と関わっていただきたいと考えています」
社長が、改めてそう言った。
「もちろん、学業が最優先だということは理解しています。そのうえで、もし君が“まだ何かやってみたい”と思ったときには、桐原が全力で応援したい」
「……それって、今後も技術提供を続けるってことですか?」
「君のペースでいい。 我々からは無理にお願いするつもりはありません。もしまた何かありその技術を提供してくれたら、ちゃんと支援したいと考えているのです」
その言葉には、誇張やお世辞の匂いがなかった。
目の前の大人たちは、本気で俺の“可能性”に賭けようとしていた。
(これが……“期待される”ってこと、なのか)
胸の奥が少し熱くなる。
桐原は、俺をただの便利な外注とは思っていない。
まだ成長段階の、“未来に何かを生み出す存在”として見てくれている。
「……ありがとうございます。もし、また何か提案できることがあれば、そのときは」
「ええ、いつでも構いませんよ」
社長は柔らかくうなずいた。
面会が終わったあとは、さすがにぐったりした。
応接室を出て廊下を歩くとき、足がちょっと震えてるのが自分でも分かる。
いつものPC前とは違う“人の視線”を全身に浴びて、無意識に力んでたらしい。
* * *
家に帰って、ベッドに倒れ込む。
天井を見つめながら、ふと思った。
(また、なんか作りたいな)
妙に、気持ちは晴れていた。
「すごいなって、思われた」
「期待されてる」
「それに……まだ、俺は終わってない」
そんな感覚が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
大人たちは、俺が“何かを生み出す存在”であることを信じてくれている。
それが心地よくて、そしてちょっとくすぐったかった。
そのリアクションを目の当たりにして、単純に思ったんだ。
(まだ、ぜんぜん足りない)
やりたいことは、もっとある。
交通事故を減らす仕組みもそうだし、誰かの日常がちょっと便利になる仕組みだっていい。
中学生の俺だからこそ、できること。
未来を知っている俺だからこそ、出せる答え。
「次は……車の事故を減らせる仕組み。あれ、やってみるか 」
パソコンの電源を入れて、ChatGPTの画面を開く。
俺はChatGPTの入力欄に、こんなことを打ち込んだ。
>交通事故を減らすために、自動車に取り付けられる技術って何がある?
【ChatGPT】
《いくつかの代表的な技術として、以下のものがあります:
・前方衝突警報システム(FCW)
・自動ブレーキ(AEB)
・車線逸脱警報(LDW)
・死角モニタリングカメラ(BSD)
・歩行者検知AIカメラシステム など》
(歩行者検知AI……)
そこに引っかかった。
カメラとAI。この組み合わせなら、俺にもできるかもしれない。
「YOLO……DeepSORT……あったな、そういうの」
2025年でよく聞いたワード。
YOLOは、映像の中から「人」や「車」を一瞬で見分けるAIモデル。
DeepSORTは、それを“追い続ける”仕組み――つまり、見るだけじゃなく、ちゃんと見守る目だ。
(これを車に積めば……子どもの飛び出しも、早めに気づけるかもしれない)
信号無視する車。フラつく自転車。突然飛び出す子ども。
人間が判断ミスをする前に――AIが先に気づいてくれたら。
「やば……これ、我ながらけっこうイケてんじゃん」
一気にテンションが上がった。
補足
YOLOv4(ヨーロー ブイフォー) 画像や動画の中から「モノ(人・車など)」を見つけるAI技術
DeepSORT 検出したモノを追いかけるAI技術(追跡)