80話 通信革命
ページ下部に専門用語の補足を載せています。
「……それでは、本日ご紹介する技術について説明させていただきます」
午前十時。桐原自動車の中央研究所・第2会議室。
プロジェクターのリモコンを握る手に、うっすらと汗が滲んでいた。
スーツ姿の技術者たちが十数名、前方のスクリーンと――その前に立つ俺を、黙って見つめている。
全員、社内でも選抜された技術者や開発部門の責任者たち。桐原自動車が総力をかけて設けた「未来技術提案会議」だ。
……緊張する。
だけど、やるしかない。今日は俺がこの場で、未来から持ってきた技術を初めて本格的に提供する日なのだから。
「まず、HTTP/3についてご説明します。これは、現在一般的に利用されているHTTP/1.1で、HTTP/2より新しい通信プロトコルです」
社員たちは、少し表情を曇らせた。
HTTP/2すら革新的な通信技術、それのさらに上のHTTP/3の説明をしている。
「この『HTTP/3』というのは、新しい形のデータの届け方です。
いままでのやり方では、ひとつひとつ丁寧に届けていたのが――この技術では、もっとスピーディーで効率よく、まとめて、しかも抜けがないように送れるんです」
「つまり……従来より、圧倒的に速いということですか?」
前列に座っていた40代の男性社員が、やや食い気味に質問する。
「はい。実際の測定では、5倍以上の速度向上が見られました。
さらに同時に複数の通信ができるので、車のナビやエンタメ、システムの更新なんかも、一度にスムーズに処理できるようになります」
ざわ、と小さな波が広がった。
「それに、“Brotli”という技術を組み合わせると――送るデータをぎゅっと小さく圧縮できるんです。
これで、通信にかかる時間も料金も、ぐっと減らせます」
俺は画面を切り替える。そこには、昔のやり方との比較表、スピードテストのグラフ、そして桐原自動車の既存システムに組み込んだときの実測データが並んでいる。
会議室が、一瞬、静まり返った。
「……すごい。正直、半信半疑だったが……これは本物だ」
その言葉に、会議室の空気が変わった気がした。
「では、実際に比較してみましょうか」
そう言って、俺はパソコンを操作した。
画面には、ふたつのバーが並んで表示される――ひとつは昔から使われている通信方式、もうひとつは新しい技術を使ったもの。どちらが早く同じ画像をダウンロードできるか、実験だ。
「それじゃ、スタート」
Enterキーを押すと、両方のバーが動き始めた。
結果はすぐに出た。新しい技術の方がスルスルと伸びて、あっという間に完了。
昔のほうは、まだ半分もいっていない。
「……これ、本当に社内のWi-Fiでやってるんですか?」
驚いたような声が飛んだ。
「はい、まったく同じ環境です。新しい通信方式は、いっぺんにたくさんのやり取りができるので、待ち時間がほとんどないんです」
「なるほど……わかりやすい」
社内がざわっとした。静かな驚きが伝わってくる。
「でも……これ、導入って難しいんじゃないの?」
「大丈夫です。誰でも使えるように、設定ソフトを作りました。画面上のボタンをポチポチ選ぶだけで、全部自動で設定されます」
実際に、画面を操作してみせる。
「これが“Brotliオン”のボタン。で、こっちが“HTTP/3を使う”って設定です。コードを書かなくても動くようにしてあります。だから、専門のエンジニアじゃなくても扱えます」
「……これ、中学生が作ったってレベルじゃないな」
誰かがぽつりとつぶやき、場の空気が柔らかくなった。
「なんか……もう、普通に技術者だよな。いや、“超技術者”か」
小さな笑いが起こる。俺はちょっとだけ恥ずかしくなって、PCの画面に視線を落とした。
「とはいえ、これが本番じゃないんです」
「……というと?」
「HTTP/3も、Brotliも、いずれ世界中に広まる技術です。でも、今なら“先にやれる”。それって……“先に伸びられる”ってことでもあると思うんです」
再び会議室に静寂が落ちる。
俺は言葉を絞り出す。
「自動車の中の通信って、昔に比べてすごく重要になってますよね。ナビも、エンタメも、アップデートも。もしそこが速くなれば、車の価値そのものも、変わるはずなんです」
そのとき――牧原さんが、小さく拍手を打った。
それに続いて、他の社員たちも、ゆっくりと手を叩き始めた。
(え……? 拍手……?)
戸惑う俺の視界の端で、叔父さんが静かに頷いていた。
会議の前半が、ようやく終わった。
会議の後半は、実装に向けた具体的な準備の話になった。
「HTTP/3に対応したカーナビって、作れませんかね?」
誰かがおもむろに口にしたその一言に、空気がピリッと変わった。
「通信量の多い地図更新や、リアルタイムの渋滞情報配信に使えそうだな……」
「Brotliで圧縮すれば、データ転送も軽くなるし、読み込みも速くなる」
ホワイトボードに、"通信型ナビの次世代構成案"と書かれた新しい欄ができる。
社員たちは次々と意見を出し始めていた。さっきまでの戸惑いは消えて、完全に“開発モード”の顔だ。
「ナビ画面のUIに動画広告を差し込む構想もあるし、通信の高速化は必須だな」
「地図更新も、いまは一部だけ差し替えてるけど、HTTP/3ならフル更新も現実的になる」
「だったら、カーナビ専用モジュールとして、HTTP/3とBrotliを組み込んだ新型ユニットを立ち上げるべきだな」
牧原さんが、ホワイトボードに「試作1号・ナビ搭載機」って文字を書き加える。
「まずは地図データの通信経路から設計し直して、ストレスのないUI動作と音声案内を両立させましょう」
「はい。あわせて、OTAアップデート対応の設計も詰めておきます」
一人、また一人と前のめりに発言し、ボードは文字で埋まっていく。
俺は席に座ったまま、その熱気をただ見守っていた。
(すごい……ほんとに、カーナビが変わるかもしれない)
中学生の俺が作ったPDF一枚が、現場のプロたちを動かしている。
その事実に、喉の奥がじんわり熱くなった。
斜め前の席でひそひそと聞こえた声。
「……やっぱ、あの子、ただ者じゃないよな」
「マジで。“通信革命”ってやつを、ポンと渡してきた感じ」
「しかも中学生だぞ? どんな育ち方したらああなるんだよ……」
その囁きが、ひとり、またひとりと広がっていくのがわかる。
俺は聞こえないふりをしながら、内心でちょっとだけ――にやけていた。
技術って、本当に面白い。
ただ数字を並べるんじゃなくて、人の心を動かして、未来を変える。
俺の出した答えが、たしかに“現実”を動かしている。
会議が終わり、社員たちが次々と退出していく中、牧原さんが静かに俺の隣にやってきて、ぽんと肩を叩いた。
「本当に、ありがとう。これは……とんでもない贈り物だ」
「いえ、こちらこそ。役に立てたなら、うれしいです」
そう答えながら、俺は胸の奥にひとつ、小さな誓いを立てた。
(次はもっと……すごいの、出してやる)
補足
HTTP/1.1 2005年現在の主な通信方式。1つずつデータをやりとり
HTTP/2 2015年採用。一度の通信で複数のデータを同時に送れ、表示が速くなる
HTTP/3 2022年採用。現在の通信方式。通信の仕組みを変更し、より速く安定している
Brotli データの圧縮技術。通信でデータを小さくして送れる




