78話 次世代通信技術
「七億円です。」
なな、なななな、ななななな――
お、お、お、億……!?
(え、えっ、ま、待って!? 七億!? なな、おく!? え、いや、ちょっ、無理無理無理無理!!)
テーブルに手をついて立ち上がりかけたところを、椅子がギシッと鳴いた。
「そんなにですか……」
横で見ていた叔父さんも驚いている。
額に手を当てて深呼吸する。脳が処理を拒否してるのが、自分でもわかる。
七億円――って、サラリーマンが何十年かけても稼げるかどうかの金額だぞ!?
それが、俺ひとりの“技術”に対して!?
内心ぐるぐるしながらも、心拍音だけがやけにクリアに響いていた。
そして――気づいた。
これは現実なんだ、と。
俺が、2005年にいて。Verdandy KKを持っていて。
そして、会社がそれを“本気で買いに来ている”ということに。
俺はゆっくりと息を吸い込んで、背筋を伸ばした。
目の前の現実に、ようやく自分の足で立つために。
「……わかりました。技術顧問、引き受けます」
未来を売るなら、俺の手で。
――そう思えたからだ。
会議室に一瞬だけ、静寂が落ちた。けれど、すぐに桐原自動車の面々の表情が明るくなるのが見えた。牧原さんが、安心したように、そしてどこか誇らしげにうなずいた。
「ありがとうございます。では、来月から正式に顧問契約を結ばせていただきます」
「はい。できる範囲で協力します」
実感がない。けれど、確かに今、俺は――年間七億円の契約を結んだ。しかも、技術顧問として。
中学生が、だ。
会議室を出たあとは、どっと疲れが押し寄せた。
叔父さんと並んで、車に戻る。
「いやあ、まさか君が、本当に七億の契約を取ってくるとはな……」
そう言って笑う叔父さんの声には、驚きと少しの誇らしさが混ざっていた。
「……俺、これでいいんかな?」
「何が?」
「こんな大きな話、引き受けちゃって」
「いいに決まってるだろう。むしろ、これだけのことをやってきた君だからこそ、彼らは動いたんだ」
車窓の外に見える景色はどんどんと移り変わる。
「なあ、叔父さん」
「ん?」
「来週までにさ……一つ、出してみようと思う。今のままの技術じゃなくて、“ちょっと先の未来”のやつ」
「おお、具体的には?」
「まだ秘密。でも……きっと驚きますよ」
「……楽しみにしてるよ」
俺たちを乗せた車は、静かに首都高に入った。
* * *
叔父の車で帰宅したら、両親ともにリビングにいた。
母さんが不安そうに俺を見る。父さんはテレビのリモコンを手にしたまま、こちらを向いた。
「ちょっと、みんなに話があるんだけど……」
言った瞬間、空気がピンと張った。
俺は一度深呼吸して、なるべく落ち着いた声で言う。
「……今日、桐原自動車と契約した。技術顧問として」
しん……と、リビングが静まり返る。
「え、えっ? 技術顧問って……あの桐原と?」
母さんが、言葉をつかむように確認してきた。
「うん。“あの”桐原。日本一の自動車会社の」
母さんは硬直したように動かなくなり、数秒後――突然、椅子から立ち上がった。
「 ……え、ちょっと ……それ、ほんとに大丈夫なの? 」
思わず両手で頭を抱える。
声に、母親としての“本能的な不安”が滲んでいた。
「おい、恭一」
父さんも声を低くして言う。
「桐原ってのは、そんなに甘い会社じゃないぞ。それに、技術顧問って……何をするんだ? 本当に、お前が?」
無理もない。中学生の息子が、日本最大の企業と億単位で契約したなんて、常識で考えたらありえない話だ。
「恭一が作ったソフトは、世界でも例がないレベルのものです」
横で叔父さんが、落ち着いた口調で補足する。
「桐原がむしろ頭を下げてきた。そういう関係なんです」
父さんは返す言葉を失い、母さんは口を押さえたまま、呆然と俺を見ていた。
「でも……」と母さんがぽつり。
「中学生が……そんな、会社と契約とか、ほんとに……」
「大丈夫だよ」
俺ははっきりと言った。
「自分でここまでやってきたし、何かあったらちゃんと断る。無理なことはやらないし、勉強もちゃんとやる」
間をおいて 、母さんは深いため息をついて、力なく笑った。
「……ほんとにさ、あんたって子は……昔からやる時はやるんだから。でもね、お母さん、アンタのことだけは、昔から信じてるから」
その言葉に、ちょっとだけ胸が熱くなった。
父さんが、お茶を一口すすって言う。
「それで、具体的には何をやるんだ?」
「うん。月に一回、会議に出て、新しい技術を提示するだけ。あとは、桐原側で研究するって」
父さんが信じられないといったように眉をひそめる。
「……それだけで七億?」
「うん。でも、ちゃんと中身はあるよ。最初に出す技術、もう決めてるし」
「ただの名前貸しじゃないのか?」
「いや、違うよ。ちゃんと“革新的な技術”を提示しようと思う」
叔父さんが口を挟んだ。
「Verdandy KKのバージョンアップか何かか?」
「ううん、もっと基礎のところ。通信技術。HTTP/3ってやつだよ」
「……HTTP?」
父さんが首をかしげる。
「URLに“http://”ってあるでしょ? あれの最新版。もっと速くて、効率がいいやつ」
母さんが、ぱちくりと瞬きする。
「それって……全部のインターネットが、速くなるってこと?」
「そういうこと」
叔父が目を丸くして、テーブルに手を置いた。
「お前、それ……研究者が喉から手が出るほど欲しがるぞ。そんなのを“最初の一手”にするなんて……」
「将来的に絶対主流になるものだからね。今のうちに取り入れておけば、桐原の通信システム全体が先回りできる」
母はようやく落ち着いてきたのか、お茶を飲みながらつぶやく。
「でも、あなたが開発したヴェルダンディなんとか、っていうのもすごいんでしょ? それは教えないの?」
「ん~これは教えられないかな、理由は言えないけど中身は『教えたくない……というか、教えちゃいけない』気がする。理由はうまく言えないけど 」
* * *
Verdandy KKの契約金、年間七億円――その余韻をまだ引きずりながら、俺は自室に戻った。
パソコンの前に座り、深くひと息。
(さて、次に出す技術か……よし)
キーボードに手を置いて、Verdandy KKに向けてタイピングを始める。
「HTTP/3とBrotliの理論的解説を、開発者向けにまとめてPDFにして。構成は、導入、仕組み、既存技術との差分、メリット、実用例。加えてHTTP/2との比較も最後に入れておいて」
Enterキーを叩く。
数秒後――画面に、構成案と冒頭の本文が流れ込んでくる。
(……相変わらず早いな)
そのまま5分ほどで全文が出力された。
段落ごとにしっかりと論点が整理されていて、技術用語の注釈まで入っている。
HTTP/2とHTTP/3の違いも、わかりやすく図解されてる……
(……2005年の技術者なら、これに何年もかけていただろうな)
PDFのタイトルは『次世代通信技術:HTTP/3とBrotliによる転送最適化』。
Verdandy KKにレイアウト調整も指示して、10分後にはすでに完成版が出来上がっていた。
「……あっけな」
思わず口に出る。
(なんかもう、俺が天才って勘違いしそう……いや、AIが天才なんだけど)
ファイル名を「HTTP3理論資料.pdf」にして保存し、アイコンをデスクトップに置いた。
モニターを閉じる直前、ふと思った。
(……もうちょっと、苦労しても良かったんだけどな)
少しだけ、手ごたえのない達成感が残った。
でも、次の会議にはこれで十分すぎる。きっと相手は目を丸くするはずだ。
(あとで印刷して、桐原自動車に資料送っておこう)
そう決めて、俺はゆっくりと椅子の背にもたれた。
第2部については、13章で終わりになります。(現在11章)
ここら辺から、起承転結でいうところの”転”になります。
これからの違和感も伏線だと捉えていただけたら幸いです。
ちなみに第3部もあります。




