77話 技術顧問?
「……え? 俺が行くの?」
朝食のトーストをかじっていた俺は、危うくパンくずを吹き出すところだった。
口の中がカラカラになって、牛乳を慌てて一口流し込む。
「どうする?」
新聞を読んでいた叔父さんが、ふっと目線を上げた。
手には経済欄を開いたまま、落ち着いた声で続ける。
「桐原自動車が、お前に会いたいそうだ」
……桐原自動車
日本で一番有名な車のメーカーだ。
名前を聞いただけで、小学生でも知ってるレベルの“あの”企業。
今の時代はもちろん、俺がいた2025年でも世界的なブランドで、海外でもシェアは1、2位を争う。
「え、それ……まさか、“その”桐原?」
「うん。トラックもバスも作ってる、あの桐原だ」
思わず、椅子からずり落ちそうになった。
父さんの車だって桐原製だし、そもそも今食べてるトーストのパンを買いに行ったスーパーの配送車もたぶん桐原のトラックだ。
そんな企業が――俺に会いたい?
「……ちょ、待って。なんで俺?」
「“技術者として、話を聞きたい”ってさ。商談ってわけじゃないらしい。念のため、直接の取引は避けるって線で向こうも動いてる」
「いや、でも俺……中学生だよ?」
「そのへんは“若手の技術顧問候補”ってことで通してる。年齢はぼかしてるが、向こうもある程度は把握してるみたいだ」
思わず、スプーンで食べていたヨーグルトのカップの中をカチャカチャ鳴らしてしまう。
夢か現実か、ちょっと判断がつかなかった。
「そんな、名だたる企業から呼ばれても……何を話せばいいのか分かんないよ」
正直な気持ちだった。
今まではネットでお小遣い稼ぎをしてきた。
顔も出さず、匿名で。
でも、今回は違う。俺という“人間”を見て、話を聞きたいと――それも、日本トップの企業が言ってきてる。
「……断るって選択肢もあるよな?」
「もちろん。お前が嫌ならそれでいい」
叔父の声は、あくまで冷静だった。
けれど、その目にはうっすらと期待がにじんでいた気がする。
怖さがなかったわけじゃない。
正体がバレるリスクだってあるし、下手にしゃべれば技術を持っていかれる可能性もある。
けど――それ以上に、気持ちがざわついていた。
(桐原自動車って、俺のことをどう見てるんだ?)
(Verdandy KKを見て、どこまで気づいてるんだろう)
(……どんな質問をされるんだ?)
不安と好奇心が綱引きして、最終的に勝ったのは――やっぱり、好奇心だった。
「……わかった。行ってみる」
叔父が、口元をほんの少しだけ緩めた。
* * *
約束の日。
叔父さんと一緒に桐原自動車に行く。
場所は、桐原自動車の東京オフィス、近未来的なビルディング。
「……でけぇ……」
思わず声に出た。
ガラス張りのエントランス。広すぎるロビー。スーツの人たちが、静かに行き交っている。
俺は、ワイシャツに地味めのジャケット。これでも精一杯“中学生なりのフォーマル”だ。
「場違い感すごいな……」
そう思っていたら、受付の人が丁寧に声をかけてきた。
「葛城様ですね。ご案内いたします」
エレベーターで十数階あがり、通されたのは――
とんでもなく静かで洗練された会議室だった。
大きな窓からは、東京の街が一望できる。
テーブルの上にはペットボトルの水が整然と並び、壁には最新式のモニター。
すぐに、6人ほどの男性が入ってきた。
「お待たせしました。桐原自動車・技術研究部長の橋本です」
40代前半くらいだろうか。スーツはキッチリ、でも笑顔は穏やか。
「今日はお時間いただきありがとうございます。ぜひ、葛城さんのお話をお聞かせください」
「いえ、こちらこそ……。ただ、俺、本当に“普通の中学生”なんで、あまり期待されると困ります」
「それでも構いませんよ。我々は、“普通ではない成果”を目の当たりにしているので」
……やっぱり、Verdandy KKのことだ。
「先に伺っておきたいのですが……あのソフトは、完全に葛城さんが一人で作られたものですか?」
「はい。一部、公開されていた情報を元にしていますが、組み合わせと構造は、オリジナルです」
橋本さんは、少し驚いたように目を見開いてから、感心したように頷いた。
「なるほど……」
そして、こう続けた。
「今日は、技術の詳細というより、葛城さんがどういう人なのか、少しでも知りたくてお時間をいただきました」
「どういう人、ですか……?」
「はい。というのも――弊社では、今後のAI戦略の一環として、外部からの技術支援や連携を強化していく方針がありまして」
橋本さんの目が、真剣な色になる。
「葛城さんに、弊社の“技術顧問”として協力いただけないかという検討をしております」
「……技術顧問?」
その言葉に、思わず声が裏返った。
(技術顧問……俺が……?)
「もちろん、契約形態や報酬面については、正式な打診の段階ではありませんが……」
その時点で、俺の頭は軽くパンクしかけていた。
(ちょ、ちょっと待てよ。技術顧問って、あれだろ? 大学教授とか、特許いっぱい持ってる人がなるやつじゃん!?)
心臓がバクバクしてる。だが、それと同時に、胸の奥からふつふつと湧き上がるものがあった。
――ワクワク。
まさか、こんな大企業と、こんな形で関わる日が来るなんて。
「……そうなんですか」
そう答えるのが精一杯だった。
橋本さんは微笑みながら、頷いてくれた。
「ええ、本当にそう思いますよ」
橋本さんがそう言って軽く息を整えると、自然と会議室に静けさが戻った。
誰もが次の言葉を待っている――そんな空気だった。
その間を受け取るように、橋本さんの左に座っていた男性が口を開いた。
「はじめまして、私、IT戦略室・牧原です」
牧原さんが、パワーポイントのリモコンをそっと置きながら口を開いた。
「Verdandy KKの文章、非常に優れています。自然で、正確で、整っている」
牧原さんが静かに言った。
「ただ……妙に、感情の揺れがない。プロのビジネス文章でも、ここまで冷静すぎるものは珍しい」
(……そりゃAIだからな)
思わず心の中でつぶやく。
「この文体、唯一見覚えがある場所があります」
牧原さんは俺をまっすぐに見て言った。
「『ニュースまとめてみた』。ご存じですか?」
(……!)
肩がほんの少し動いたのを自覚して、慌てて表情を戻す。
「わかりやすく、整理も丁寧。でも、どこか“人間のにおい”が薄い。以前から『中学生が運営している』という噂もありました」
そして今日——ようやく答え合わせができました、と目が語っていた。
「それだけではありません」
牧原さんは手元のタブレットを操作しながら続ける。
「フッターから辿れる他のサイト、翻訳、レシピ、文章作成……全部確認しました。
スタイルは違っても、根底のロジックが、Verdandy KKと酷似している」
俺は何も言えず、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「葛城さん。あなたがこれらすべての開発者だと、我々は見ています」
(この人……まさか、そこまで調べ上げてきたのか?)
――さすがは日本のトップ企業。人材も尋常じゃない。
「もちろん、それを暴こうとしているのではありません。葛城さんの今までの功績を再確認しているのです」
牧原さんは、淡く微笑んだ。
(やばい……ごまかせる気がしない)
「もう一つ、聞かせてください。Verdandy KKは、出力上限が1回200文字までになっていますよね」
「はい……そうです」
「でも、あなたの文章作成サイトは、2000文字近い依頼が可能だった」
(……バレてる)
「つまり――その制限、意図的なものですね?」
喉が、ごくりと鳴った。
「……ええ。安全性と品質を担保するために、あえて制限を設けています」
できる限り冷静を装って返すと、牧原さんは静かにうなずいた。
「それが、正しい判断です。ただ、我々としては……その“本来の性能”にも、大きな関心があります」
そこまで言ってから、牧原さんはふっと笑った。
「といっても、無理強いはしません。正直に言っていただければ、それで十分です」
(……バレバレだな)
でも、仕方ない。ここで下手に嘘をつけば信用を失う。
牧原さんは、静かに言葉を継いだ。
「ですので、改めて正式に、技術顧問としてご協力いただけないかと考えています」
重ねての提案だったが、その声音は一層真剣だった。
「もちろん、葛城さんがまだ学生であることは理解しています。ですから、勤務時間や関わり方については、最大限の配慮をいたします」
周囲の誰もが、その言葉を肯定するようにうなずいていた。
一つひとつの所作から、この提案が“本気の申し出”であることが伝わってくる。
「でも、俺……ただの中学生ですよ? パソコンの画面と向き合ってるだけの……」
小さく呟いたその言葉に、牧原さんは首を横に振った。
「そんなことありません。Verdandy KKの構造も暗号技術も――あれは、既存のどんな専門家にも作れません」
「……」
言葉が出なかった。
まっすぐに向けられたその眼差しに、俺は視線を落とすしかなかった。
「それで……その顧問って、どんな感じになるんですか?」
「顧問としての役割ですが、月に一度、弊社の技術会議にご同席いただく形を考えております」
牧原さんは淡々と説明を続ける。
「難しい場合は、事前にご意見を文書で共有いただくだけでも構いません。葛城さんの視点が、我々の開発方針の羅針盤になると考えています」
作業の依頼ではなく、あくまで“相談役”――。
技術の方向性を確認し、危険な道に進まないための「ブレーキ」としての役割。
……それなら、なんとかやれるかもしれない。
学校もあるし、生活のリズムを大きく崩すこともできないけど、それなら――
その時、再び橋本さんが話し出し、真っ直ぐこちらを見つめたまま言った。
「なお、顧問料とVerdandy KKの法人ライセンス契約料を合わせて――年間七億円を想定しています」
「…………え?」
一瞬、空気が止まった。
言葉は理解できるのに、脳がそれを弾いてしまう。
鼓動が一拍、ズレるような感覚。
現実の音が、少しだけ遠のいた。
(……七、億……)
「な、なんて言いました……?」
自分でも、情けないほどの震え声だった。
橋本さんは、はっきりと繰り返した。
「七億円です」
その瞬間、体の中で何かがバグった。
第2部については、13章で終わりになります。(現在11章)
ここら辺から、起承転結でいうところの”転”になります。
これからの違和感も伏線だと捉えていただけたら幸いです。
ちなみに第3部もあります。




