76話 家族でデパート
初めて触った札束は、意外なほど静かだった。
銀行の封筒に入っていた、五百万円。重さはないのに、ずっしりと“現実”を感じた。
家に帰って机の上に並べて、俺はひとりでじーっと見つめていた。
「これ……本当に、俺の?」
いや、正確には“会社”の売り上げの一部。
でも、社員第一号(つまり叔父)との話し合いで、今後の活動資金と称して先に一部を渡してもらったものだ。
契約件数は132件。月額10万円で、つまり月商1320万円。
そのうちの“中学生にしては多すぎる分け前”として、500万。
「まさか、中学3年でこんなことになるとは……」
前世でも、500万の現金なんて手にしたことなかった。
封筒を閉じ、それを片手に持ち俺はリビングに向かった。
「ねえ、ちょっと家族会議してもいい?」
晩ご飯のあと、父さんがスポーツニュースを観てる横で、そう切り出した。
「……なんだ、また新しいことか?」
「それよりもうちょっと、スケール大きい話」
俺は、できるだけ平静を装って言った。
「会社の売り上げが結構出たから、報酬もらったんだ。……500万」
「……ん?」
最初に反応したのは母さんだった。
食器を片付けかけた手が、ぴたりと止まる。
「500円じゃなくて?」
「うん。万。ゼロ4つのほう」
父さんの手元のリモコンが落ちた。
「ご、ごひゃ……え? な、なんでそんなに!?」
「ソフト、売れまくってるからね。月132件契約だし」
家族全員が沈黙した。
テレビの中でアナウンサーが「今週のハイライトです!」と爽やかに言ってるけど、現実のこの部屋のほうがよっぽどハイライトだ。
「うそでしょ……えっ、え? そんなに? ほんとに?」
「ほんとほんと。で、使い道なんだけど――」
俺は、ポケットからメモ帳を取り出した。
今日一日、ニヤニヤしながら考えた“プレゼント案”だ。
「父さんにはロレックス。母さんには、シャネルのバッグとエステ。
おじいちゃん、おばあちゃんには、温泉旅行をプレゼントしようと思って」
「えっ!? えええっ!?」
母さんが完全に混乱してる。
「ちょ、ちょっと待って、それ本気で言ってるの?」
「うん。俺、中学生だしブランド買いに行けないから、今度家族でデパート行こうよ。俺が払うからさ!」
「おいおい、そんなにポンポン使っていいのか?」
父さんが苦笑いするけど、顔は完全にほころんでいた。
「だって使い道ないし。どうせなら家族に恩返ししたいんだよね」
「……恭一……」
母さんが、ちょっとウルっとした顔で俺を見た。
「あなた、ほんとにすごい子に育ったのね」
「やめてよ、恥ずかしいってば!」
それでも、心の中ではちょっと嬉しかった。
次の週末、家族で百貨店に行くことになった。
中学生にしてロレックスとシャネルを買うなんて、人生で一回くらいあってもいいでしょ?
週末。
いつもならゲーム屋か本屋にしか行かない俺が、まさか百貨店に足を踏み入れることになるとは――。
「うわ、なんか……天井、高くね?」
「恭一、それ言っちゃダメ」
母さんが笑いながら注意してきたけど、俺の言いたいことも分かってほしい。
だって、入口からして“場違い感”がすごいんだもん。照明はやたらキラキラしてるし、床なんか鏡かってくらいピカピカ。
でもまあ、今日は“俺のおごり”だ。
「じゃあ、まずは父さんからだね。ロレックス見に行こう」
「マジで買う気か? 恭一」
「うん、買う。約束したし」
父さんはちょっと照れくさそうにしながらも、「じゃあ……」と時計売り場へ向かった。
ショーケースの中には、ギラギラした腕時計たちがずらりと並んでいる。
その前に立つだけで、なんとなく背筋が伸びるような空気があった。
そこへ、スーツを着た店員さんがすっと近づいてきた。
「いらっしゃいませ。ご希望のモデルなどございますか?」
「ああ、ロレックスを買いたくてね」
父さんがゆっくりと言う。
「かしこまりました。こちらがロレックスの人気モデルでして――」
自然な流れで応対が始まる。どこにも違和感はなかった。
父さんが選んだのは、シンプルな黒の文字盤に、銀のベルトが映えるモデルだった。
「これ、いいな。会社の会議でも浮かないし、フォーマルにもいける」
「似合ってるよ」
俺の一言に、父さんがちょっとだけ頬をかいた。
会計は……税込みで90万円。人生で一番汗かいた決済だった。
続いて、母さん。
「シャネルって……ここで合ってるの?」
「エレベーターで7階って言ってたよ」
案内されたフロアは、また別世界だった。
バッグが10万円台からズラリ。香水の香りがフロア全体に広がってる。
さっきまで「ほんとにいいの?」って言ってた母さんが、ショーケースを見つけた途端、完全に目が変わった。
「あ……これ可愛い……」
「じゃあ、それにしなよ」
「だ、ダメダメ! これは20万するわよ!? 」
「俺が買いたいんだから、いいの」
母さんが選んだのは、シャネルの定番マトラッセ。黒のレザーに金のチェーンがついたタイプで、見るからに「高級感!」って感じのやつ。
レジで精算してる間、母さんはずっと「いいのかしら……」って言ってたけど、手にした瞬間は完全に乙女の顔だった。
母さんはバッグを抱きしめるように持って、目元を少し赤くしていた。
「ありがとう、恭一……一生大事にする」
「エステもつけてあるから、今度行ってきてね」
「ホントにエステまで……」
一気に母さんのテンションが爆上がりした。
……俺、今人生で一番“親孝行ポイント”貯めてるかもしれない。
2人が持っているのはロレックスとシャネルの袋。
それらが並んでて、なんかちょっとした“勝ち組感”が漂っていた。
「なあ、恭一。……ほんとに、すごいな。お前」
父さんがポツリとつぶやく。
「いや、俺じゃなくてVerdandy KKがすごいんだよ」
「でも、それを動かしてるのはお前だろ?」
たしかに。
今は実感ないけど、人生の一ページとして、今日のこの買い物はずっと記憶に残ると思う。
「さて……最後に、行ってみるか」
百貨店の地下1階。通称“デパ地下”。
食品売り場のこのフロアは、まるで別世界だ。煌びやかなショーケースに、見たこともないような惣菜やスイーツが並んでいて、香りだけで空腹になる。
「デパ地下でチーズを買いまくって、家で食べ比べする」っていう、ささやかだけど贅沢な夢。
「お、あったな。チーズコーナー」
父さんが先に見つけて指差すと、俺は「おぉぉ……」と小声で感嘆した。
キラキラしたパッケージに包まれたチーズたちが、まるでジュエリーみたいに並んでいる。
それぞれに国旗がついていて、棚全体が“食べられる世界地図”みたいだった。
「いらっしゃいませ。お探しのチーズがあればご案内しますよ」
声をかけてきたのは、やさしそうなエプロン姿の販売員さん。
「えっと……いろんな種類を少しずつ買って、家で食べ比べしたいんです。初心者でも食べやすいやつ、ありますか?」
「素敵ですね! よろしければ、お好みに合わせてお選びしますよ」
母さんも「へぇ〜楽しそう」と隣で興味津々。
店員さんの案内で、フランスのカマンベール、オランダのエダム、イタリアのパルミジャーノ……気になったものを8種類ほどセレクト。
「これ、ブルーチーズ……ちょっと匂いキツいかも?」と母さんが顔をしかめたり、
「これ名前カッコイイな」と父さんがふざけていたり。
家族で一緒に選ぶだけでも、なんだか楽しかった。
「すごいですねぇ、チーズパーティーでしょうか?」
販売員さんが笑いかけてくれた。
「ええ、まぁ……ちょっとした夢だったんです」
そう言ったら、店員さんは「素敵な夢ですね」と優しく微笑んだ。
会計を済ませて、紙袋をぶら下げながらエスカレーターへ向かう。
「チーズ買いに来て、こんなテンション上がるの、恭一くらいだよね」
母さんが笑う。俺もつられて笑った。
紙袋のずっしりした重みが、なんだか誇らしく感じた。
前世では、値札とにらめっこしては諦めてた。
けど今は違う。好きなものを、好きなように選べる。
なんてことない買い物かもしれない。
でも、自分の稼いだお金で、家族と一緒に選んで、好きなものを好きなだけ買える――
それが、すごく自由で、誇らしくて。
「……楽しいな」
自然と、そんな言葉がこぼれていた。




