75話 解析ログ
いつものようにID設定のチェックをしていたとき、違和感のあるアラートがログに残っているのに気づいた。
新たな契約先にVerdandy KKのインストール準備をしていたときだ。
誰かがこのソフトを解析しようとしたのだろう。
「念のため」と思って詳しく見ていくと、アクセス元の情報がちゃんと残っていた。
どうやら、Verdandy KKが自動で“怪しい動き”を記録してくれていたらしい。
送信先――Nexulith
(この会社、聞いたことある……たしかIPA経由で申し込みしてきたところだよな)
俺はすぐにIPAへ連絡を入れた。詳細なログとともに、「一度話をしたい」と。
――そして、今日。
俺と叔父さんは、都内にあるIPAのオフィスにいた。
* * *
「ご足労いただき、恐縮です。本当に申し訳ありません」
佐川さんが、いつになく丁寧に頭を下げた。
「Nexulith様は、我々IPAを通じて正式に契約された企業ですので……その……我々としても、申し訳が立たないといいますか……」
佐川さんが平身低頭になっている理由は一つ。
今回の“解析未遂”の当事者が、IPAの仲介でVerdandy KKを契約していた企業だったからだ。
IPAの名に傷がつきかねない。
だからこそ、佐川さんは俺たちをここに呼んでくれたのだろう。
「こちらです」
会議室の扉が開くと、グレーのスーツを身にまとった男が立っていた。
鋭い目つきに、額の皺。少しだけ皮肉めいた笑みを浮かべている。
「Nexulith代表、高宮圭介です」
叔父さんが軽くうなずく。俺は無言で高宮を見つめた。
彼は俺のことを一瞬だけ見て、口元を緩めた。
「まさか開発者がこの年齢だとは……いや、正直、信じられないですね」
「それ、誉め言葉で受け取っておきます」
俺が皮肉っぽく返すと、高宮は少しだけ笑った。
「まあ、疑ってるわけじゃないんですよ。事実として、我々が受け取ったVerdandy KKは、驚異的なソフトウェアでしたから。……ただ、あれだけの精度と応答速度を持ちながら、説明書ひとつないってのは困る」
佐川さんが空気を読んだのか、慌てて割って入る。
「高宮様、今回はご足労いただきありがとうございます。契約上の詳細確認ということで、お時間をいただき――」
「ええ、構いませんよ。こちらとしても、開発者様と直接お話できる機会を得られたのは幸いです」
高宮はまるで“交渉の場”に来たかのような口ぶりだった。
謝罪でも、反省でもない。むしろ、相手を値踏みする目だった。
叔父さんが、静かに口を開いた。
「高宮さん。今回の件、こちらで不審なログが検出されています」
高宮は肩をすくめて笑った。
「ログ? ああ、うちのエンジニアが“ちょっとした挙動の確認”をしたかもしれませんね。解析って言われると、大げさな気もしますが」
「契約書には、“内部構造への干渉を禁ず”とあります」
俺が低く言うと、高宮はわざとらしく頷いてみせた。
「ええ、拝見しました。うちの法務も確認済みです。……ただ、説明もマニュアルもないソフトなので、多少の確認作業はやむを得ないかと」
(……こいつ)
言い訳のつもりかもしれないが、完全に開き直っている。
まるで「見せない方が悪い」と言わんばかりの口ぶりだった。
それでも、俺は感情を抑えて口を開く。
「だったら、最初から使わなきゃよかったんじゃないですか」
高宮は、そこでほんのわずかに口元を吊り上げた。
「……それでも、欲しかったんですよ。その技術が」
その視線が、一瞬だけ鋭くなる。
Verdandy KKの奥にある何かを見透かすような、そんな目だった。
俺は、静かに一呼吸おいて、切り札を出す。
「8000回、ですね」
高宮の表情が、初めてわずかに揺れた。
「……え?」
「総当たり。パスワードの試行が、合計で8000回。そのログが、はっきり残っています。」
一瞬、空気が凍った気がした。
俺は、高宮の目をまっすぐに見たまま、問いを投げた。
「……それでも、“ただの検証”ですか?」
高宮は一瞬だけ目を伏せたが、すぐにいつものような薄笑いを浮かべた。
「……なるほど、そこまで知っているとは。まったく、油断なりませんね」
「感心してる場合じゃないですよ」
俺は静かに言い返す。
「ログには、使用時間や接続環境、試行タイミングまで、全部残っています」
その言葉に、高宮の頬がわずかに引きつった。
「……それを、公にするつもりですか?」
「契約違反ですから。IPA経由で“信頼できる法人”と認定されたからこそ、正式に提供したんです」
佐川さんが、半ば立ちかけた姿勢のまま慌てて割って入る。
「お、落ち着きましょう、皆さん……! IPAとしても、今回の件は重大に受け止めております」
高宮は何も言わず、机の上に出した手を揉むように動かしていた。
短い沈黙のあと、ふっと息を吐き、小さく頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。……今回の件は、弊社の新人エンジニアが、私の指示なく独断で“検証”を行ったものです」
謝った。
でもそれは、自分の非を認めたというより、“責任の所在をずらした”ような言い方だった。
「勝手に、ですか」
俺は、抑えた声で問い返す。
「ええ。当然、貴社にご迷惑をおかけした以上、最終的な責任は私にあります」
その言葉は丁寧だが――どこか、形だけの響きがあった。
それでも、高宮はさらに言葉を重ねた。
「Verdandy KKの優秀さには、改めて敬意を表します。ですから……できれば、今後も契約を継続させていただけないでしょうか。弊社の技術開発にとって、あのソフトは不可欠です」
俺は、無言で高宮の目を見た。平然と、虫のいいことを言ってくるその態度に、むしろ冷静になれた。
「新人が勝手にやったんですよね?」
「はい。確認のうえ、厳重に注意をいたしました」
「じゃあ、その新人は懲戒免職ですか?」
一瞬、高宮の目が泳いだ。
「……それは、ちょっと。さすがに、そこまでは――」
「でも、業務命令に反して、外部契約ソフトを解析しようとしたんですよね。うちのソフトは、契約上“解析を禁ずる”って明記してます」
「それは理解してます。ただ……彼にも、人生があります。まだ若い技術者で、将来も――」
「だったら、うちのソフトは使わせられません」
言い切った。静かに、はっきりと。
「開発者として、俺の名前で提供しているものです。倫理違反をした人間が処分されないまま使われ続けるなら、それは俺の信頼にも関わります」
「……そこまで感情的になるほどのことですか? こちらとしては、単なる技術的確認の範疇だと思っていたのですが」
「”単なる”、ですか」
高宮の「単なる検証」という言葉に、心の奥で何かが冷たく沈んだ。
「……結局、そのような認識だと言うことは理解しました」
IPAの佐川さんが、再び慌てて間に入ろうとしたが、俺は軽く手を上げて制した。
「もう、構いません。Nexulithさんには、残り3台の利用権も、今月末で打ち切らせていただきます。
ログも保存済みですし、IPAには正式に通達済みです」
高宮は目を細めたが、すぐに諦めたようにうなずいた。
「……わかりました。契約解除、承知しました」
最後まで、真正面からの謝罪はなかった。
ただ、“使えないとわかったから引いた”――それだけの態度だった。
「では、これで失礼します」
そう言って高宮が席を立ち、会議室の扉に手をかけた、そのときだった。
「そういえば――」
俺が声をかけると、高宮の手の動きが一瞬止まる。
「パスワード、数字だけの四桁だと思ってたんですよね?」
高宮は振り返らず、低く答えた。
「……なんのことか、分かりませんが」
「残念ですけど、それじゃ開きませんよ。記号も含めた複雑な形式ですから。数字だけじゃ、どうやっても辿り着けません」
ほんの一瞬、高宮の肩がぴくりと動いた。
だが何も言わず、扉を開けてそのまま出ていった。
ふっと、重たかった空気がわずかに軽くなる。
そのとき、隣にいた叔父がぽつりとつぶやいた。
「しかし……あの手の人間は、どこの業界にもいるな」
その声に、佐川さんが深くうなずく。
「……おっしゃる通りです。ただ、あれほど露骨な態度は、私も久しぶりに見ました」
佐川さんが、どこか申し訳なさそうに俺を見た。
「葛城さん……本当に申し訳ありませんでした」
「いえ。IPAさんは何も悪くありません。悪いのは、“信頼”を裏切った側です」
そのとき、隣にいた叔父がぽつりと言った。
「……今の、パスワードの話。本当に言っちゃってよかったのか?」
「それは、私も思いました。仮に英数字62文字としても、桁数次第では脆弱になりかねません……」
佐川さんも、少し不安そうな顔をする。
俺は肩をすくめた。
「ん? 四桁とは言ってませんよ」
佐川さんが驚いたように目を丸くする。
隣の叔父が、気づいたように苦笑いした。
「まさか……」
「本当は64桁です。辞書にも載ってない組み合わせですし。解析なんて、最初から無理ですよ」
佐川さんは絶句したまま、小さくうなずくしかなかった。
「まあ、解析しようとした人への“お返し”ってことで。途中で諦めてくれたほうが、こっちも助かるんです」
俺は立ち上がり、ドアの方に歩きかけたところで、思い出して振り返った。
「……でも、気になってるんですよね。Nexulithって、AI企業なんですよね?」
佐川さんが少し戸惑いながらも頷く。
「どんなAI作ってるんですか? 気になるなあ。それより高性能なの、作って配りますよ。無料で」
「おいおい……」
隣で叔父が笑った。
けど俺としては、あながち冗談だけでもなかった。
――こっちは未来のAIを知ってる。
できないことなんて、もうそんなに多くない。




