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72話 side 13  暗躍する策謀

「またIPA絡みか。最近あそこ、動きが早いな」


社長室のガラス越しに、霞んだ秋の空を眺めながら、高宮圭介は独りごとのように呟いた。


Nexulithネクスリス。社員数50名のAI系ベンチャー。

彼が4年前に立ち上げ、技術畑出身の強みを生かして官公庁案件に食い込み、現在は自然言語処理系ソフトウェアで一定の地位を築いている。

順風満帆――のはずだった。


「Verdandy……? なんだこれは」


大学の研究者の間たちから、軽く漏れた名前。

大学研究室で導入が始まっているとか、企業で開発に使っているとか、断片的にだが噂が流れてきていた。


最初は鼻で笑った。

「開発者は中学生です」などという冗談みたいな前置きつきで。


だが、その名を聞く頻度が徐々に増え――ある日、ついに耳を疑う話が飛び込んできた。


「IPAの一部局が、そのVerdandy KKに“興味を持っている”らしい」


それはつまり、政府の技術審査ラインに乗ったということだ。

となれば、間違いなく国家予算が絡む話になる。

技術の優位性があり、しかも実績がつけば――市場が根こそぎ持っていかれる可能性すらある。


「……面白いじゃないか」


高宮はすぐに動いた。

知り合いのIPAと懇意にしている人物に連絡を取り、4台の契約をしてVerdandy KKを入手。


そして、その夜――


「……なんだこれ……」


わずか5分の操作で、高宮は笑いを失った。

UIは質素だ。だが、文章の構成、語彙の精度、入力に対する反応速度――

いずれも、自社開発ソフトの「未来版」と言ってもいいほどの完成度だった。


自動でスピーチ構成を立て、コラムのリード文を生成し、校正まで施す。

しかも、あらかじめ定められたテンプレではなく、文脈に応じて調整が入っている。


――どこの機関が作ったんだ……?


眉間に皺が寄った。


「よし。分解するか」


その場で内線を取り、信頼している3人のエンジニアを呼び出した。


「悪いな、朝から。でも急ぎだ。これを見てくれ」


「……これって、Verdandyってやつじゃ?」


「知ってるのか」


「ええ、噂では。まさかもう手に入れてたとは……」


高宮はニヤリと笑った。


「中身を解析する。構造を把握して、自社技術に応用する。それが今回のタスクだ」


3人のエンジニアたちは目を見合わせるが、逆らう者はいない。

Nexulithは、成果主義の会社だ。黙って実行し、成果を出せば報酬も増える。


「ファイル構造から攻めてくれ。exeか、dllか、リソースは何を使ってるか、まずはそこからだ」


高宮は一歩、ガラスの外を見て呟いた。


「無名のとこが出したソフトだ、どうせどこかに甘さがあるはずだ」


その予想が、のちに完全に打ち砕かれるとは、このときの高宮はまだ知らなかった。




「まずは中身の構造から確認しよう」


高宮の一声で、深夜のNexulith会議室に集まった技術者たちが、それぞれノートPCを開いた。

彼らの前には、高宮がIPA経由で手に入れた、謎のAIソフト『Verdandy KK』のファイル群が並んでいる。


「メインの実行ファイルは1個……拡張子は“.exe”、要はソフト本体だな。それに付随して“.dll”が2個、たぶん追加機能の部品。けど……サイズがでかすぎない?」


「このファイル名、意味不明ですね。『a4t9.exe』……これ、ただの文字の羅列ですよ。まともに管理されてるソフトじゃ見ない名前です」


「やっべ。こいつ、クセ強そうだな」


椅子にふんぞり返っていた男――真壁が、ニヤリと笑った。

元ゲームクラッカーで、Nexulith随一の“コード破り”だ。今はなんとか更生して社内にいる。


「真壁、お前、こーいうの専門だろ。頼む」


「社長ぉ……こっちは合法でやってんスからね、今は。まあ、見るだけ見ますけど」


真壁が舌打ちしながらキーボードを叩き、ソフトを“バラして”中身を覗くツールを起動する。

だが、わずか十数秒後――眉をひそめた。


「……おいおい。やってくれるじゃねぇか。……mainすら見当たりません。“xjq9!r”とか、見たことない記号列ばかり。これは……たぶん、難読化です。しかも、普通のとはレベルが違う 」


「つまり……?」


「わざと読めなくしてるってことッスよ。しかも、処理の順番までグチャグチャに組み替えてやがる。いわゆる“解析妨害”。やべぇ、プロの犯行だわ」


「静的解析は?」


「できませんね。動かさずに中身を調べるやり方だけど、こりゃ完全に迷路っス。しかも、自動で構造を整理するツールまで弾かれてる」


別の技術者・井原が、画面から顔を上げた。


「僕も別のファイル見てますけど……通常、こういうのって“どこかで見た”部品があるんですよ。オープンソースとか、市販のパーツとか。でもこれは――全く見たことない。全部、オリジナルっぽい」


「嘘だろ……」


高宮は腕を組んだまま沈黙していたが、心の中ではざわざわと不安が膨らんでいく。


(……対策が厳重すぎないか?)


彼の中で、ちょっとした“情報商材の延長線”のように思っていたVerdandy KKが、急に化け物に見えてきた。


真壁がもう一度、肩をすくめて言う。


「社長、マジで言いますけど……このソフト、たぶん“解析されることを前提に設計されてます”」


「は?」


「俺らみたいな連中がぜったい解析するだろって予想して、ガチガチに守ってる。最初からやられる前提の作りですよ、これ」


(これは米国政府とかが作ってんのか?導入した会社のPC内部にハッキングするために)


仕方ない次は、起動時のパスワードロックの突破だ。


このソフトは、起動に4桁のパスコード――「1209」の入力が必要だった。

高宮は、腕を組んだまま、画面を睨みつける。

「起動パスは数字4桁だし、内部のロックも同じように単純な数字だけの認証かもしれないな」

「だったら、総当たりでいけるかもしれませんね。0000から9999まで1万通り。理論上、いつかは当たります」

社内の冷静沈着なエンジニア・西田が、淡々とそう言った。

彼はすぐに簡易な自動入力ツールを組み、試行を始める準備を整えた。

しかし、最初の一試行を走らせたところで、眉がピクリと動いた。

「……え?」

「どうした?」

「いや、これ、1回パスコードを試すのに1秒以上かかるんですけど」

「は? なんでだ?」

(くそっ、いい時に……処理、詰まってんのか?)

「ローカルアプリなら、本来は一瞬で終わる処理なんです。でも、なんか、わざと重くしてる感じがする」

「……いや、違います。これはキー・ストレッチングです」

「キー・ストレッチング ……計算処理をわざと遅くして総当たりを遅らせてんのか」

高宮の顔が曇る。

「アルゴリズムは……SHA系か? まさかまだMD5ってことはないだろうな」

「それが……どれとも違うんです。標準のハッシュ関数じゃない。キーの生成も処理の流れも、全部独自仕様です」

「独自……? なんでそんな面倒なことを……で? 総当たりはできるのか?」

「一応はできます。ですが、1回=1秒以上かかるので、仮に1万通り試すと約3時間近くかかります」

「チッ……やってみろ」

西田はツールを動かし始めた。

【試行回数:0001】

【試行回数:0017】

【試行回数:0480】

ゆっくりと、1秒ずつ数字が進んでいく。

そして、2時間以上たって、8割ほどに達した瞬間――


「……止まりましたね」


「エラーか?」


「……まだわかりません。強制中断された可能性も」


西田が眉をひそめ、モニターに顔を近づけた。

「強制終了も効きません。プロセスは生きてるのに、操作が受け付けられない」

「ログは?」

「……不思議なんですが、特にエラーは出てません。ただ、動作がある地点から一切記録されなくなってます」

真壁が口を挟んだ。

「処理落ちじゃないのか?」

「あり得ないっす。こんな単純な入力でリソースが圧迫されるはずない。何かが……止めてますね。こっち側じゃない何かが」

「……まさか、アクセスの仕方で動作モードが切り替わるとかか?」

「その可能性はあります。明確な痕跡はないですが、たしかに“普通じゃない止まり方”です」

高宮は、じっと画面を見つめた。そこには、冷たく停止した数字の表示が残されたままだ。


「……つまり、どうやっても入れないようにしてあるってことか」

西田が静かにうなずく。


「少なくとも、このルートでは無理です。“解析されること”を前提に、別の動作に切り替わるよう仕掛けられてる」

真壁が息を吐いた。


「……俺らの動きが読まれてる気がしてきました。仕掛けが巧妙すぎて、気味悪いっすよ」

高宮は目を細め、冷たくつぶやいた。


「やってくれるじゃねぇか……」


高宮はしばらく無言で画面を見つめていたが、やがてぼそりと漏らした。


「……何者だ、開発者は」

その問いに、誰も答えられなかった。

井原が静かに言った。

「技術力だけじゃなく、思考の深さが異常です。相当な経験と、執念がなきゃこんな設計はできません」



「でも、事実として目の前にあるんだ。しかも、こっちが何をやっても裏をかかれてる」


高宮はデスクの端を軽く叩き、短く言い放った。


「いいだろう。今日はここまでにしよう。明日、別のルートから入る」


3人の技術者は一瞬、顔を見合わせたが、なにも言わずに席を立った。


高宮は最後に画面の中のVerdandy KKのロゴを見つめた。

意味もなく、未来的なフォントで描かれたその文字列。


(……ここまで翻弄されるとはな)


焦りが、静かに、だが確実に、高宮の背中に忍び寄っていた。




 * * *



「……無理です。すみません」


翌朝、会議室に設けた臨時解析チームは、技術者3人の一言で静まり返った。


「既存のフレームワークや開発環境に、類似例は見当たりません。オリジナルにしては完成度が高すぎます」


「ファイル構造も難読化されているうえ、処理の順番すら意図的にシャッフルされてます。しかも暗号化……おまけに、総当たりを仕掛けたら8000回で自壊。防衛手段が多層構造です」


「昨日から張り付いてますが、これ以上やっても“突破”は厳しいかと。むしろ、ゼロから自社で似た機能を作った方が現実的かと」


「……はあ?」


高宮は目を細めたまま、顎を指先で撫でた。


「じゃあ……“どこの誰かも分からない開発者”に、負けたってことか?」


誰も返事をしなかった。


高宮の声に怒気はなかった。ただ、乾いた笑いが混じっていた。


「ゼロから作る……そんな悠長なことを言ってる暇はねえんだよ」


Verdandy KKが大学を通じて普及し、さらにIPAが動き出している現状。

もし本格的に政府案件に採用されれば、自社の自然言語処理ツールは淘汰される可能性すらある。


「こっちは、命懸けでこの事業やってんだ」


会議室を出た高宮は、自分のオフィスに戻ると椅子に倒れ込んだ。

目の前にはVerdandy KKの起動画面。

黒地にシンプルなUI。ロゴが無言で浮かんでいるだけなのに、まるで嘲笑されているような気がした。


高宮は額に手を当て、天井を仰いだ。


「……このままじゃ、ウチの技術が時代遅れになる」


その言葉が、唇から自然に漏れた。

まるで、敗北を初めて自覚したかのように。


誰もいないオフィスに、パソコンのファン音だけが響く。


(……だったら、違う手段で手に入れるしかない)


高宮はデスクの引き出しから名刺ホルダーを取り出し、パラパラと指でめくる。


「あった……お前、まだIPAの技術支援部に残ってたよな……」


その名刺には、

「田所 幹夫」 ― IPA 技術調査アドバイザーと印字されていた。


彼はかつて、高宮が官公庁案件を受ける際に一度だけ飲みに行った仲だ。

当時は大した会話もしていないが、「裏事情に強い」ことで業界内では知られていた。


高宮は名刺の裏に走り書きされた携帯番号を見つめ、携帯電話を手に取った。


「――おい、田所か? 急にすまん。ちょっと聞きたいことがあってな。最近、大学界隈で話題の“ソフト”、あるだろ?」


受話器の向こうで何かを答える声。

高宮の口元に、微かな笑みが浮かんだ。


「そう、それだ。俺としては、どこの誰が作ったのかが気になっててな……名前でも、出入り先でも、ちょっとした情報でいい。……ん? え? まさか中学生ってのは本当なのか?」


表情が固まる。


「冗談だろ? じゃあ、どの学校の――……いや、いい。悪いな、また今度飯でもおごるから」


通話を切った高宮は、何も言わずに一度目を閉じた。



だとすれば、まだ“突き止める余地”はある。


目を開け、デスク脇に置いてあった外部調査会社の名簿フォルダに手を伸ばす。


「いいさ。こっちはこっちで、調べてやる」


画面の向こうで、Verdandy KKのロゴが静かに回転を続けていた。

その無言の存在が、高宮の中に確かな執念を呼び起こしていた。

第10章までお読みいただき、本当にありがとうございました。

あまりシリアスに考えなくても大丈夫です。


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― 新着の感想 ―
民間だけではなく、各国の諜報機関に狙われるレベルですよね。 主人公の今後が楽しみです!
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