70話 ”ゆめ”のくに
「……というわけで、例の法人、正式に登記終わったぞ」
叔父からの電話は、夜のニュース記事を書き終えた直後だった。
「法人って……会社ってこと? 前に作るって言ってたやつだよね」
「うん、だから代表は俺だよ。君は“技術提供者”って扱いにしてある。まあ、肩書きは“特別顧問”ってことにしておいた」
「いや、そんなパワーワードある?」
「法人名は《Verdandyラボ》。表向きは自然言語処理ツールの研究開発ってことにしてある」
そのテンポ感で言われると、あれこれ考える隙すらなかった。
「で、税務、契約、収益処理もぜんぶこっちでやるから安心してくれ」
とはいえ、ありがたいのは事実だった。
依頼が急増している今の状況で、もし一人で帳簿まで見ろとか言われてたら、間違いなく過労で倒れていた。
叔父さんは今までボランティアだったが、株式の配当による収入をもらえる。
叔父さんをタダ働きさせるのは気が引けたからな。
俺がやるべきことは、ひとつ。
「MACアドレス、CPUシリアル、HDDのIDを読み取って、ソフトを端末に紐づける」
要は、不正コピーを防ぐためのIDロックだ。
これは外注が効かない作業。手作業で、1台ずつやる必要がある。
でも、コツをつかめば1台につき5分もかからない。
コンソールを叩いて、情報を抜き取って、パラメータファイルに反映して、暗号化パッケージを生成。ルーチンは単純で、ほぼ流れ作業。
……なのに、終わらない。
「なあ恭一。あの教育系の研究所、6台目の申請きたよ」
「え、あそこ1台だけで“十分すぎる”って言ってなかった?」
「現場が“取り合いになってる”らしい。他のスタッフからも“欲しい、欲しい”って問い合わせが来てるってさ」
嬉しいけど、困る。
だって、毎日毎日「ID設定」「認証ファイル作成」「納品データ暗号化」の繰り返し。
5分とはいえ、数が多くなればその分、時間と集中力を持っていかれる。
おまけに、最近は企業からの問い合わせまで来るようになった。
それも、誰でも聞いたことがある会社ばかりだ。
「ミドリ家電」「ONNネット」「アクソンゲームズ」――どれもテレビCMで見たことあるような名前がズラリ。しかも、“ちょっと興味あります”じゃなくて、“いますぐ契約したい”の勢いで連絡がくる。
「そういや、4日前に山芝電機から1台の契約入ってただろ?」
「ああ、あれは初回用の試験導入って言ってたやつだよね」
「それが、今日になって“30台契約したい”って来てるぞ」
「は? 30台? いや、さすがに多すぎじゃない?」
よくそんなに導入するものだ。
「30台!? 月300万……年で3600万……! 俺、もう老後安泰かもしれない……」
……いや、喜んでる場合じゃない。
俺は机に突っ伏しそうになった。
1台5分なら、150分。つまり2時間半。やればできるけど、学校終わってからやるにはギリギリのボリュームだ。
「さすがに量が大すぎて、ペース落とさないとヤバいかも」
「じゃあ、1日10台ペースで分納していこう。うちの研究室から納品ってことにするから、納期の調整は任せて」
「……ありがとう。マジで頼りにしてます」
気づけば、ID設定もニュース記事も、レシピ構成も、全部“仕事”になっていた。
バイトのつもりだったはずが、いつの間にか中学生起業家みたいなぽくなってきた。
でも、不思議と居心地が悪くない。
「でも本当に、俺って何やってるんだろうな……」
口の中でつぶやきながら、次の納品用IDを打ち込む。
4月の頃は、ただChatGPTの性能を試したくて、いろんなサイトを立ち上げて、お小遣いを稼ごうと張り切っていた。
でも――
今はもう、そんな“数値”に追われる毎日は、十分すぎるくらいやった気がする。
もういいや、って思えるほどに。
月に何十万も稼げるようになって、企業との契約も次々に決まって――なんなら、来年の政府案件まで見えてる。
ここまで来たら、さすがに「もうちょっと楽にやってもいいんじゃないか」って思えてきた。
(2020年になれば、本物のChatGPTが世に出る。それまでは、俺だけが独占できる)
そう考えると、焦る必要なんてない。
むしろ、今しかできない生活を楽しんだほうがいい。
俺は、パソコンの前でルーチンを整理した。
ニュース記事とレシピ投稿は、もう完全に生活の一部。
趣味と実益を兼ねた“朝のルーチン”だ。
・1日1レシピ投稿
・2本のニュース記事作成
・ID設定10台分
この3つをこなせば、だいたい1時間半くらいで終わる。
朝か夜、どちらかの時間帯でまとめて作業することにして、あとは完全に自由時間。
ちょっと前までなら、1PVでも多く稼ごうと、毎晩アクセス解析とにらめっこしてた。
でも、もう違う。
俺は、もう“成果”にしがみつかなくていい。
必要な分は、もう稼いだ。
(さて、今日は何しようか)
カレンダーを眺めて目を留める。
そういえば、ディズニーに新しいアトラクションができたんだった。
俺の中で、ある名前が自然と浮かんだ。
――澪。
この2週間ほど、勉強も一緒にしてないし、のんびり話す機会もなかった。
最後に会ったのは、あのA5ランクのステーキを澪の家でごちそうになった日。
あれから、互いに忙しくなったこともあって、ちょっと距離が空いたままだ。
(……たまには、息抜きってことで)
それだけのつもりで誘えばいい。
“勉強のお礼”でも、“夏休みの思い出づくり”でも、なんでも理由は後からつけられる。
――でも。
誘ったら、どんな顔をするだろうか。
新アトラクションの話をしたら、目を輝かせるんじゃないだろうか。
「いいの? 本当に行くの?」なんて、嬉しそうに訊いてくる姿が、なぜかやたらと鮮明に想像できた。
(……よし、誘ってみるか)
【To:澪】
件名:ちょっと相談(っていうか提案)
本文:
お疲れさま! 最近お互い忙しかったし、ちょっと息抜きしない?
今度ディズニー行かない? 新アトラクションもできたらしいし!
5分後に返ってきた。
【From:澪】
件名:え、いいの!?
本文:行きたい!行きたい!行きたい!
よし、10月からはスローライフをはじめるか!!




