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67話 情報処理推進機構②

「じゃあ……今、使ってるソフトの中身、見せます」


その一言で、部屋の空気が変わった。

叔父さんが眉を上げ、佐川さんが前のめりになる。

中園さんは無言のまま、小さく頷いた。

俺はノートPCを開き、Verdandy KKの管理画面からコード表示モードを起動する。

黒い画面にずらっとソースコードが流れ出した。


「……関数名、か? これ」


後ろにいた宮下さんが呟いた。


「S-boxに自己書き換え処理……これ、本当に現実で動いてるのか?」


「全く分からない、構造が複雑すぎる」


中園さんがスクロールを止めながら言った。

職員たちは食い入るように画面を見つめている。


その沈黙が、逆に“本物”であることを証明している気がした。


まあXChaCha20暗号 、コード全体の難読化(Obfuscation) をしてるから準備なしなら読めないだろう。

コードを見せてるのは本当だし、これで何とか乗り切れるかな??


「……これ、MITのような海外の先進的研究機関 のプロジェクトとかじゃないのか? 一人で書いたって信じろってほうが無理があるぞ」


「市販の暗号ソフトは使ってないんですよね?」


「はい。一人で作りました」


中園さんが、ふっと笑って首を振った。


「マジかよ……しかも中学生でこれか」


宮下さんが息を吐いた。


「これ、うちの研究室じゃ誰も読めないかもしれん……」


中園さんが画面を閉じそうになったところで、叔父さんがぼそっと言った。


「……私も、コードは初めて見たよ。想像以上だ」


「難読化されてるから何が何だか分からんけど、“触っちゃいけない”っていう空気だけはビシビシ伝わってくる」


「セキュリティ意識もえげつない。これ、企業に売ったら逆に“開発者が特定できない”って意味で怖がられるレベルだよ……」


佐川さんがゆっくりと深呼吸した。


「……なるほど。これが、君の“答え”ってわけですね」


「はい」


「分かりました。コードの詳細は見せられない。でも、これだけの仕組みがある」


俺は静かにウィンドウを閉じた。

画面が真っ暗になると、リビングに再び現実が戻ってきたようだった。


「コードについて、一部はネット上の資料を参考にしました。暗号理論や、AIの仕組みなどは、本や記事で調べました」


(もちろん“2005年には出回ってない情報”も含まれてるけど……)


宮下さんが思案顔で言う。


「でも、それだけじゃ、無理がある。理論を知ってても、ここまでの完成度は……」


ここまで来たなら、最後の強引な手段だ。


「まあ、信じるかどうかはお任せします。でも、俺が言いたいのはひとつだけ」


「なんでしょう?」


「このソフトの仕組みについては先ほど解説をしましたよね。それで暗号化されたとはいえコードも見せました。しかも暗号化後もコードの一部は読めます。」


佐川さんが息を呑む。


「コードが見たいと言われたのは、機能しているかの確認ですよね?コードが目の前にあり、それを基にこのソフトが動いているってことだけでいいんではないでしょうか?」


中園さんはうつむいて、わずかに笑った。


「ふっ確かに、コードを見たいと言ったのは個人的な知的好奇心もあったのも事実だ」


(……でも、この先はもっと突っ込まれるかもしれないな)



宮下さんが、こちらを見ながらぽつりと話す。


「さっきのは……難読化処理だと思いますが、もし差し支えなければ、他にどんな技術を使っているのか教えていただけますか?」


(うーん……教えたい気持ちはあるけどな……)


俺は内心でため息をついた。

本当の技術の中身を全部説明してしまうと、確実に“2005年の人間が知らない単語”を連発することになる。


XChaCha20なんて言った日には、間違いなく「何それ? 論文は?」と突っ込まれる。

それに、あれは2016年リリース。どうやっても時代にそぐわない。


「暗号については……Salsa20をベースに、少し改良したものです」


でも、Salsa20なら2005年発表だ。ギリギリOK。

しかも、"改良した"と言えば、未来的な部分はごまかせる。


そう答えた瞬間、場の空気が微妙に変わった。


「……あの、ストリーム型の軽量暗号?」


中園さんが眉をひそめる。


「はい。ただ、鍵スケジューリングやナンス生成を少し調整してます。処理の一部をブロック化して、リアルタイム処理に耐えられるようにもしています」


横を見ると、母が膝の上で手を握りしめていた。

場の空気に入り込めずにいるその姿が、なんだか申し訳なくなる。

宮下さんが画面を食い入るように見ながら、ぽつりとつぶやいた。


「Salsa20は少し知っていますが……これは“少し”どころじゃない。構造自体がもはや別物」


「キーとナンスの混ぜ方が規格外だし、暗号文が二段階に分岐してる……しかもリアルタイム処理で?」


「はい。AES並の強度と速度を目指して設計しました」


しばらくの沈黙。


「……この難読化もすごいが、それより暗号の中身のほうが遥かに異常かもな」


中園さんが腕を組んだまま、じっと俺を見る。


「普通なら、“理論上解けない”んじゃなくて、“そもそも理論がない”って言われる構造ですよ、これ」


宮下さんがため息混じりに笑った。


「……俺、今日帰ったら、自分のコード全部消したくなるかも」


宮下さんがため息まじりに笑うと、佐川さんが静かに口を開いた。


「本気を出せば、今後はセキュリティソフトも作れるようになるんじゃないですか?」


「どうですかね。でも、以前私のサイトがウイルスにかかってひどい目にあったので。こういう部分は、最初からきっちりやりたくて」


俺の返答に、宮下さんが小さく頷いた。


それからは、一応和やかに話は進み、細かな事務手続きなどの話を行った。




「では……」と佐川さんが改まって口を開いた。


「今お見せいただいた内容、そして今後の拡張性を含めて、我々としては“正式に”このVerdandy KKの導入を検討させていただきたいと考えています」


「はい」


「まずは、我々の所属する三つの部署――セキュリティ検証班、教育機関連携班、そして政策提言チーム――それぞれに一台ずつ。計三台、それぞれ月額十万円で貸与していただけますか?」


「大丈夫です。条件としては、貸出PCの個体情報をお知らせいただければ、その端末にのみ動くように設定します。逆に、それ以外の環境では動かない仕様です」


「わかりました。先ほど言われていた、MACアドレス、CPUシリアル、そしてHDD IDを後ほどお送りします」


「お願いします」


横で黙って聞いていた父が、静かに頷いた。


「契約書などは必要ですか?」と父が尋ねる。


「今回は研究所名義のテスト導入として非公式扱いですが、念のため簡単な覚書だけでも交わせればと思っています」


「それなら私の方で文案を確認します」と叔父が割って入った。「研究所経由で管理も行うので、契約管理の窓口は私がやろう」


「助かります」と佐川さんが深く頭を下げる。


そこからは、主に細かい話が続いた。

入力文字数の制限について、現状は200文字以内であることなどだ。


中園さんと宮下さんは、それらの機能についても丁寧にメモを取りながら聞いていた。最初に見せたコードの衝撃が大きかったのか、終始、彼らの目は真剣だった。


やがて、佐川さんが立ち上がる。


「本日は本当にありがとうございました。開発者ご本人と直接お話しできたこと、大変光栄です」


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」


母が、最後に小さな菓子を渡してくれた。


「よろしければ、少し甘いものでも」


「恐縮です……ありがとうございます」と佐川さんが頭を下げる。


中園さんと宮下さんも、ようやく緊張を解いたように笑った。


「それにしても」と宮下さんが言った。


「本当に、すごいものを作られましたね。今の日本では、こういった技術を持つ学生がどこかに埋もれているのではと思わせられる出会いでした」


「埋もれている、というより……隠れているのかもしれませんよ」と叔父が肩をすくめた。


「まあ……俺のことは誰にも言わないでくださいね」と俺が冗談めかして言うと、一同が笑った。


リビングの空気が、ようやく柔らかくなる。

会議室のように緊迫した空気の中で進めた会話は、終わってみれば、案外スムーズだった。

帰り際、佐川さんが改めて言った。


「では、3台分の情報を今週中にお送りします。こちらで専用端末の設定が整い次第、月額契約をスタートということで」


「はい。いつでも対応します」


一同が立ち上がる。


「では、本日は失礼いたします」


玄関で見送ると、職員たちはそれぞれ軽く会釈しながら坂を下っていった。


「……ふぅ」


ドアを閉めた瞬間、思わず深いため息がこぼれる。


「頑張ったな」と叔父さんが笑ってくれた。


「……ああ。なんとか」


今日は、技術を“見せる日”だった。

そして、信頼を“得る日”でもあった。

 

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