63話 あの夏の、その後
補足
IPA ー 経済産業省 情報処理推進機構
IT人材の育成やサイバーセキュリティ対策を通じて、日本のデジタル社会を支える経済産業省所管の独立行政法人。
9月18日、日曜日。
夏休みは、暑さと戦いながらも“俺史上もっとも生産的な日々”になったと思う。
ゲーム制作、AIソフト「Verdandy KK」の完成、サイト更新、税務署対応――中学生がやるにはキャパオーバー気味なイベントが目白押しだったけど、やりきった感はある。
作ったゲームは、毎日200アクセス前後。まだ口コミ頼みだけど、コメント欄に「まさか中学生がこれ作ったの?」と驚いてる人がいた。正体は秘密だけど、バレてないかちょっとドキドキした。
収益はというと……まあ、ほぼゼロだ。
広告収入の申請は通ったけど、1クリック数円の世界じゃ、ジュース代にもならない。
でも、それでいい。
誰かが「面白かった!」って笑ってくれたなら、それで十分だ。
8月の収益は合計30万円くらい。広告とレシピサイトのアフィリエイト、それにちょっとした原稿料。手元に残るのは半分の15万円ってところだ。
使い道は、すでに決めてある。
――そう、澪との「遊園地デート」だ。
7月の中頃、AIソフトの開発が佳境を迎えていたせいで、澪を遊園地に誘う機会を完全に逃した。
夏が終わるころにはもう、「今さら誘っても遅いかな」なんて思ったりもした。
でも、最近の澪は、ちょっと違う。
9月の2学期開始直後にあった実力テスト。俺は9割超え。まあ、そこは予定通り。驚いたのは澪の方だ。いつもは平均ちょい前後だったのに、今回はB高の合格圏内に余裕で届く点数を叩き出してきた。
本人も驚いてたけど、一番喜んでいたのは澪のお母さんだった。
「本当にありがとうね、恭一くん! 澪がこんなに頑張れるなんて……!」
その日の夕方、突然家に電話がかかってきて、俺はなんと“カニ鍋”に招待された。
理由は、「ご褒美として澪の大好物を食べさせてあげたいから、是非恭一くんも」らしい。
まさか中三の秋に“義母ポジ”からカニ鍋で釣られるとは思わなかった。
でも、澪の照れ笑いと、お母さんの感謝の言葉は、なんだか胸にじんわり染みた。
遊園地に行く、9月25日はカレンダーで赤く〇をしている
少し涼しくなって来てるし、きっとちょうどいい。
「べ、別に……付き合ってるわけじゃないけど、行くなら友達として……みたいな……」
とか言われても、全然OKだ。
むしろ、そういうやりとりをしてみたい自分がいる。やばい。中3にして青春謳歌しかけてる。
それとは別に、AIソフトの件はすごい反響があるみたい。
叔父さんが大学の研究室で使ったところ、なんかすごい反応だったらしい。
学会の欠員枠で急遽発表することになり、そこで軽くデモしただけで、“問い合わせが殺到した”とのこと。
まだ表には出てないけど、大学の上層部や外部団体、そして――
叔父さんの元に届いたメールには、経済産業省所管の情報処理推進機構(IPA)からの“ヒアリング希望”という文字があった。
まだ断ってもいないし、もちろん中学生だとは言っていない。
叔父さんには「知人が開発したソフト」ってことで通してある。まさか俺が14歳の中坊とは誰も思うまい。
午後。
日曜ののんびりとした空気のなか、玄関のチャイムが鳴った。
「おーい、恭一くん。いるかー?」
声の主は、例の叔父さん。大学で言語処理を専門に教えてる、あの人だ。
母さんが迎えに出て、すぐにリビングへ通された。
「で、今日は何の用?」
俺がアイスティーを出すと、叔父は受け取りつつ、さっそく切り出してきた。
「例のソフトの件だ。Verdandy KK」
「うん」
「実はな……ここ最近、研究室や教育関係者の10個くらいから『正式に使わせてもらえないか』って話が増えてきてな。月10万円くらいなら予算で組める、って言ってるところが結構あるんだ」
「……まじで!?」
思わず声が上ずる。
「やったー!」
口元は笑顔をキープしつつ、内心では電卓を叩いていた。
10万円×10施設で、月100万。年収1200万。中三にしては意味がわからない数字。
(いよいよ俺、やばいかも……)
「そこで提案なんだが、うちの研究室は法人格がある。つまり、名義上“会社として”契約をまとめられる。開発者が表に出なくても、うちが代理販売元としてやれるぞ」
「うん、それでいいよ」
即答だった。信用できる大人が間に入ってくれるのはありがたいし、正体がバレるリスクも下がる。
「ただし、私の取り分は不要だ」
「え、いいの?」
「君が本当に“これ”を作ったなら、私はただの橋渡しにすぎない。研究者として、それが未来にどうつながるか見ていたいだけだ」
その言葉に、なんかちょっと胸が熱くなった。
「それからもう一つ、ちょっと厄介な話だが――」
「……IPAの件?」
叔父は少し驚いた顔で、頷いた。
メールで軽く聞いていたから、これだろうとは何となく思っていた。
「そうIPA、聞いたことないだろうが説明した通り、政府のIT技術を支援してる機関だ」
名前の漢字の並びで想像していたが、やっぱそんな感じのとこか。
「経済産業省の所管で、情報処理推進機構という団体がある。そこの担当者が、“ぜひ開発者本人と直接話がしたい”と、何度も私に連絡をよこしていてな」
「ふーん……」
「どうする? このままだと、正式に文書が届くかもしれない」
俺は少しだけ考えて――首を振った。
「断っといて。今は、表に出る気ないから」
「……了解した。ただ、そう長くは隠し通せんぞ。世の中の動きは思ったより早いからな」
「うん、わかってる。でも、もうちょっとだけ、“中学生の夏”を続けさせて」
叔父はふっと笑って、アイスティーを飲み干した。
「なあ、叔父さん」
一息ついたところで、俺は聞いてみた。
「IPAって、何でそんなに俺……じゃなくて“開発者”と話したがってるの?」
叔父さんはグラスをテーブルに置いて、静かに言った。
「理由はシンプルだ。あのソフトのすばらしさに、彼らも気づいたんだろう」
「ふむふむ」
「構成力、応答速度、応用性――現行のどんな日本語処理システムよりも上。そう判断してる。
それで、政府系機関として正式に“お墨付き”を出したいらしい」
「え、お墨付きって……何それ、カッコいいじゃん」
「つまり、今後“政府系プロジェクトや機関”で正式採用される可能性がある、ということだ。名前は出なくても、機能単位でシステムに組み込まれるかもしれん」
「お、おお……」
(なんかすごいぞこれ。思ってたよりスケールでかい)
「それに、IPAは他の企業にも紹介する立場にある。“これは有望な国産技術です”と彼らが推せば、企業が自然と興味を持つ。おそらく、産業応用や教育向けに広がるだろうな」
「え、それ、めっちゃありがたいやつじゃん……!」
(政府、企業、教育……三方向から攻められるってこと!?)
「……ってことはさ」
「ん?」
「それ、会って話した方が良くない!? むしろ、話す話す! 話させて!!」
さっきまで「断っといて」なんて言ってた俺はどこへやら。
前のめりで食い気味に答えると、叔父さんが噴き出した。
「気が変わるの、早すぎるぞ」
「いやいや、そりゃ変わるって。だって、お客さん増えるかもしれないんだろ?」
「まあ、そうなる可能性は高いな。うまくいけば、数十倍になるかも」
「数十倍……!?」
俺の頭の中はもう事業計画でいっぱいだ。
来月の収益予測グラフが、脳内で勝手に右肩上がりになっていく。
「じゃあ、準備だけしておいてくれる? 名刺とか作ったほうがいい?」
「いやいや、そこはまだ俺が表に出ておく。
IPAと会う以外は俺がやる。いいな?」
「うん、それでお願い」
俺は、思わず笑ってしまった。




