62話 side 11 Verdandy KK
「本当に、こんな場で話すつもりなかったんですけどね……」
思わずマイクの前で自嘲気味にそう口にした。
会場は都内の私立大学で行われている、言語処理研究会。年に一度の中規模な集まりで、全国の大学から研究者や大学院生が集まり、口頭発表やポスターセッションを行う、いわば“情報共有の場”だ。
本来なら今日は他の講師が登壇するはずだったのだが、急な欠席で空きが出た。
「枠が空いちゃってさ、もし時間あるなら代わりに何か話してくれないか?」
先日、運営スタッフからそう頼まれた俺は、仕方なく「研究補助ツールの紹介でよければ」と引き受けた。
予定になかった即席の講演――だが、それがこの日、最大の騒ぎを生むとは、このとき想像もしていなかった。
演台にノートパソコンを設置し、プロジェクターに画面をつなぐ。
最初の数分は、ごく普通の話をした。
「言語処理分野での支援ツール」「過去に自作した対話コーパスの話」など。
場が温まったところで、俺は何気なく言った。
「さて、ここでちょっとだけ、実験的に使っているツールを紹介します。厳密には私の開発物ではないのですが、非常に興味深い挙動を示しますので、簡単なデモをお見せします」
画面に映るのは、見慣れない黒いUI。
名前も出さず、ソフトの設計元も伏せた。
「例えば、“外来語の定着過程に関する論文構成”を尋ねた場合――」
数秒の入力。出力。
構成案が理路整然と並び、しかもそれが的確で、洗練されていた。
「おお……?」
静かなざわめきが走る。
「では、“「『ワーキングメモリと集中力』について 論じてください――」
またもや、2秒程度の処理時間で、仮説と参考文献案が提示される。
「えっ、今打ち込んだばかりですよね?」
「この反応速度……マクロじゃなくて、処理してる?」
ざわめきが一気に広がる。
「テンプレじゃなくて、リアルタイム生成なんですか?」
「はい。あらかじめ用意した出力ではなく、入力内容に応じて、その場で構成を組み立てています」
一人の若い助教が思わず立ち上がる。
「でもそれ、単純なパターンマッチじゃ無理ですよね? 関連論点も自動で引っ張ってる……」
「つまり、内部に何らかの自然言語処理モデルが組まれている?」
俺が返答する前に、別の教授が手を上げた。
「では……ここで誰かが質問を出して、それをそのまま打ち込んでもらえますか? 生成されるのか見てみたい」
会場が静まり返る中、後列から穏やかな声が響いた。
「僭越ながら……“空はなぜ青く見えるか”、という問いをお願いできますか」
声の主は、物理畑の重鎮・植松名誉教授。
あえて専門外の分野を出すとは、さすがだ。
俺は指示を入力した。
>空はなぜ青く見えるのか、子どもにも分かるように説明してください。
1秒、2秒――
【出力】
「空が青く見えるのは、“光の散乱”という現象が関係しています。太陽の光には色々な色が混ざっていますが、その中で青い光は特に空気中の小さな粒に……」
会場が一瞬静まり――
「おお……」
「え、これも今生成……?」
「子ども向けって言ったから、この語彙で返してるのか!?」
「この処理速度、サーバー経由でも難しいレベルだ……」
「いや、そもそもこのUI、見たことないぞ」
どよめきが、一気に広がった。
客席の最前列にいた、他大学の助教授が立ち上がった。
「大変失礼ですが、そのツール……どこの企業製ですか?」
俺は一呼吸おいて、静かに答える。
「いえ、企業製ではありません。開発者は知人です。詳細は非公開とさせてください。あくまで、研究支援目的で一時的に借りている試作ツールです」
一瞬、会場が沈黙した。
「……え、企業製じゃないんですか? あのレスポンスで?」
「たった今の“空の色の理由”の出力、あれ、検索ベースでもテンプレでもないですよね……」
「マジかよ……完全に自動生成か……」
驚きと戸惑いの混じった声が飛び交う。
あくまで静かな口調だが、そのどれもが妙に真剣だった。
「えっと、あの……このツール、何ベースなんですか? 統計処理? それともルールベースですか?」
「いえ、それも非公開とさせてください。中身の仕様については、私も把握していない部分が多くて」
「でも、処理が速すぎます。クラウドでもないのに……」
「コーパス、何使ってるんだ……いや、そこも非公開か……」
俺は淡々と対応しつつも、内心では汗がにじんでいた。
質問は止むどころか、むしろ加速していた。
正直――俺自身が、一番驚いているのだ。
――――――
講演が終わると、前列の数人が一斉に詰め寄ってきた。
「もう一度見せていただけますか?」
「このテーマでやってみてほしいのですが」
「このツールを正式に借りることはできませんか?」
他の聴講者も遠巻きに集まり、USBポートやウィンドウの挙動まで食い入るように見ていた。
これは“プレゼンの成功”ではない。
明らかに、何か異質なものに対するリアクションだった。
「……すみませんが、今日はここまでです。あとは個別に対応させてください」
そう言ってパソコンを閉じた瞬間、掌の中にじっとりと汗がにじんでいるのに気づいた。
控室に戻ると、すでに数件のメールが届いていた。
件名:『本日の発表内容について』
件名:『ツールの試用希望』
件名:『開発者に繋いでいただけませんか』
それらのメール一覧を見た瞬間、俺の喉がごくりと鳴った。
(……本当に“波紋”になってしまったな)
椅子に深く腰掛けながら、俺は胸ポケットのUSBメモリをそっと握りしめた。
* * *
「とにかく、一度見せてほしいんだ。君の昨日の発表、今朝から話題になってる」
週明けの昼下がり。研究室に戻っていた俺のもとに、学部長から直接電話が入った。
「わかりました。15時からなら空いてます」
そう答えて受話器を置いたものの、正直、胃の奥が少し重くなるのを感じていた。
あれは軽いデモのつもりだった。
たしかに驚かれるとは思ったが、まさか大学の上層部まで動くとは。
学部長室に入ると、そこには学部長の他に、教務主任とシステム担当の教授が座っていた。
会議室ほどではないが、確かに“呼ばれた感”がある。
俺はノートPCを取り出し、挨拶だけ済ませて椅子に座る。
「それで――例のツールを見せてもらえるかな?」
教務主任が、やや慎重な口調で続けた。
「まず確認したいのは、そのツールが情報漏洩や不正入手によるものではないのかことだ」
システム担当の教授も頷く。
「大学としてリスクになるものではないということを、きちんと把握しておきたい」
「……承知しています。その点も含めて、今日は動作だけ確認いただければと」
学部長が本題に入る。
俺はのんびりとVerdandy KKを立ち上げた。
「開発元は?」
「知り合いから、個人的に借りたものです。商用のものではありません」
「知り合い、か。……ふむ。じゃあ、いくつか指示を入力してみてくれるかな」
「わかりました」
俺はまず、軽めのテーマで指示を入れる。
>“戦後日本におけるカタカナ語の増加傾向”について、論文構成案を提示せよ
2秒後に出力。
構成案は5章立てで、時代ごとの言語変遷、メディアの影響、教育制度との関連まで言及していた。
主任教授が眉をひそめた。
「早いな……まるで、用意されてたかのように」
「プリセットはありません。入力に応じて毎回生成されます」
次に、学部長が提案してきたテーマで打ち込む。
>“ケータイ小説と現代文体の接続”についての仮説を提示してください
【仮説案】
「ケータイ小説における短文・改行主体の構成は、話し言葉のリズムを文字に移植する文化的実験であり、SNS前夜の表現革新の一形態とみなせる――」
「……」
三人とも、しばらく沈黙した。
「これは……“ツール”の範疇を超えているな」
主任教授が呟いた。
「知的補助、というよりも“生成そのもの”じゃないか」
「いや、それでも、統計処理でやってるなら説明はつく。ただ、今の仮説……定性的な飛躍がありすぎる」
「開発者に会って話すことはできるのか?」
学部長がそう訊いてきた。
「……検討します。ただ、現時点ではツールの精度と特性を示すだけに留めたいと思っています」
俺はきっぱりと答えた。
恭一のことを話す気はなかった。
中学生が作ったなどと伝えたら、逆に事態が暴走しかねない。
「なるほど。慎重にいくべきかもしれんな。だが、この性能……放っておくには惜しすぎる」
学部長の声には、やはり一種の“興奮”が滲んでいた。
見せ終わったあとも、形式的な会話は続いたが、これ以上の詮索はなかった。
俺はパソコンを回収し、頭を下げて部屋を出た。
廊下に出て、ふぅと息をついたそのとき――
エレベーター脇の事務室から、ひょっこり顔を出した職員に呼び止められた。
「あ、先生。ひとつ伝言です」
「はい?」
「先ほど、経済産業省の情報処理推進機構――IPAの方からお電話がありました。
先生に関して“技術ヒアリングの打診をしたい”とのことで、今週中にメールをお送りします、とのことです」
……ついに来たか。
俺は短く礼を言い、研究室に戻る。
(これはもう、完全に動き出してしまったな)
第9章までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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