49話 描けないという絶望
戦車が動いた。
弾が発射された。
敵が現れて、撃ったら倒れた。
素材も手に入った。
ここまで、すべて順調だった。
「よっしゃ……これはいけるぞ……!」
自分の作ったゲームが、ちゃんと遊べる形になってきたのが嬉しくて、
俺は意味もなく背伸びをした。
戦車のスピード、弾の速さ、敵の出現タイミング――
いろいろ調整して、ようやく“ゲームっぽさ”が出てきたところだった。
しかし。
最大の敵は、ここで姿を現した。
イラスト問題である。
「……絵、どうすんの?」
ここまで、戦車も敵も、素材アイコンも、仮の画像か、色のついた四角形とか丸とか、いわゆる“プレースホルダー”で代用してきた。
でもそれじゃ、ゲームとしてリリースするには見た目がショボすぎる。
「いや、わかってたよ。見た目って大事だもんな……でも……」
そう、俺は絵が描けない。
もうね、ほんとびっくりするくらい描けない。
「小学校の頃、カービィ描いたら先生に“犬?”って言われた男だぞ……?」
しかもフラッシュゲームに使うってことは、
ある程度は“動き”に耐えられるように、パーツごとに分けたりしなきゃいけない。
雑に描いた戦車に雑に描いた砲塔が乗ってたら、動いた瞬間にギャグになる。
「だめだ……ここで詰んだ……」
せっかくここまで順調だったのに。
コードも動いて、仕組みもできて、楽しくなってきたのに――
絵が描けないという、圧倒的な才能の壁にぶち当たって、俺は椅子にもたれた。
「絵師ってすごいな……」
改めて思う。
普段SNSで見かけた“なんか描いてみた”みたいな投稿。
あれ、ほんとにすごいやつなんだって、今なら分かる。
(誰か、描いてくれねえかな……)
そんな他力本願な思考も浮かぶが、ここでひとりの人物が思い浮かぶ。
澪。
天気予報サイトの時、一緒に手伝ってくれた、あの澪。
確か、紙に描くイラストはめちゃくちゃ上手だった。
(いやでも、澪って……パソコンで描けるか?)
たぶん、やってない。
(仮にデジタル絵が描けたとしても……受験生だし……)
そう。夏だ。中3だ。
そんなときに、「なあ、ちょっとゲームに使う戦車の絵、描いてくんない?」とか言ったら、
どの口が言ってんだって話になる。
「うん、無理だわ」
椅子の背にもたれて、天井を見つめた。
この一週間、ずっと夢中でやってきた。
新しいゲームの仕組みを考えて、少しずつ形にして、笑って、悩んで、バグと戦って。
「みんなが楽しんでくれるようなバカゲー、作りたい」って本気で思ってた。
それが――
“絵が描けない”という事実ひとつで、全部止まる。
これが現実。
「絵って、描ける人からしたら当たり前なんだろうな……」
羨ましさと、情けなさと、ほんのちょっとの絶望。
これが、大人なら“外注”とか“クラウドソーシング”とか、そういう逃げ道があるかもしれない。
でも中学生には無理。
金もない。人脈もない。信用もない。
あるのは、ちょっとばかり未来を知ってるってことと、パソコンに向かってカタカタできるってスキルだけ。
「俺って、しょせん“動かす側”であって、“描く側”じゃなかったんだな」
つぶやいた言葉が、部屋の空気に溶けていく。
机の上に置いてあるメモ帳を見た。
そこには、昨日までの熱量が詰まったアイデアがびっしり書き込まれている。
“タンクくん超合体!”
“敵戦車にブラック上司とか出す?”
“強化時に謎のBGM流すと燃えるかも”
読み返すだけで、ちょっと笑える。
でも、今はそれを動かす手段が、ない。
完成させたくても、“見た目”が整わなきゃ、公開なんてできない。
やる気が、すぅーっと引いていくのが分かった。
「一回、寝るか……」
立ち上がって、ベッドに倒れ込んだ。
クーラーの音と、外の蝉の声。
夏の昼の、だるくて、ちょっとだけ哀しい空気。
「描けるようになりてぇ……」
* * *
数日が経った。
ゲーム制作は、いったんストップ中。
気持ちが冷めたわけじゃないけど、描けない絵の壁は想像以上に分厚かった。
だから今日は、気分を切り替えて、ちゃんと“中学生らしい予定”を入れていた。
澪と一緒に、図書館の予約制の自習室へ行く。
図書館の奥、静かなガラス扉の向こう。
中には机がふたつ。ふたりだけの、静かな空間。
「おはよう」
「あ、来た。おはよ」
すでにノートを広げていた澪が、顔を上げて笑う。
勉強モードらしく、前髪を留めるピンでおでこが少し見えていた。
「早いな。俺より先に着いてるとか、珍しくない?」
「恭一が遅いだけ」
「ぐぅの音も出ねぇ」
軽く言い合いながら、席についた。
机の上に、数学の問題集とノート。今日はちゃんと勉強するつもりだった。
とはいえ、自分の分はそこそこ余裕がある。だから、今日の本番は――
「……ねえ、ここちょっと見て」
澪がすっとノートを差し出す。開かれていたのは、2次関数の問題だった。
「このグラフの式、どうしてこうなるのかピンとこなくて」
「なるほど……これは、aがマイナスだからさ」
「うん?」
「つまり、下に開く放物線になるわけよ。それを踏まえて――」
俺はペンを取って、ノートの余白に小さなグラフを描きながら説明した。
x=0のとき、yがどうなるか。頂点の位置はどこか。交点はどこで、対称性はどう表れるか。
澪は、黙ってうなずきながら聞いていた。
説明している間、時折うんうんと頷くのがなんか可愛かった。
いや、可愛いって言ったら変だけど……いや、まあ……可愛いかも。
「なるほどね。なんとなく見えてきたかも」
「見えなかったらもう一回やるよ」
「大丈夫。今日はちゃんと集中してるから」
それからしばらくは、お互い黙って問題を解いたり、たまに質問されたり、答え合わせをしたり。
自習室は静かで、空調の音とページをめくる音しか聞こえなかった。
こんな風に誰かと一緒に勉強するのって、意外と集中できるもんなんだな、と思った。
そして、昼になった。
「はい、今日のお昼」
澪がカバンから取り出したのは、ラップで丁寧に包まれたサンドイッチ。
「え、手作り?」
「うん、簡単なやつだけど。コンビニもちょっと遠いし、なんとなく作ってみた」
「すげぇ……どれどれ……」
ラップを外すと、卵、ツナ、ハムレタスの3種類。
パンの耳までちゃんと切ってあって、断面がきれいにそろってる。
「食べてみて?」
「いただきます」
ひとくちかじると、しっとりしてて、味もちゃんとしみてて、「え、なにこれ、ふつうに売れるじゃん」ってレベルだった。
「……めちゃうまいんだけど」
「ほんと?」
「なんなら俺のサイトに“澪’sサンドイッチレシピ”ってページ作りたくなってるもん」
「やめて。恥ずかしいから」
笑いながらそう言う澪の頬が、少し赤くなっていた気がする。
午後も勉強は続いた。
澪の疑問に答えたり、自分の分を進めたり。
まったく会話がない時間もあったけど、それはそれで落ち着く空気だった。
途中、澪がペンを置いて言った。
「ねえ、最近ゲーム作ってたって言ってたよね。どうなった?」
「……止まってる」
「なんで?」
「絵がさ、描けなくて。素材が必要なんだけど、俺は下手すぎて」
「そっか」
それだけ言って、またノートに視線を戻す。
時計の針の音も聞こえない静けさのなかで、カリカリとペンを走らせる音だけの中で勉強を進める。
顔を上げると、澪は真剣な表情で問題集に向かっていた。
前髪をとめたピンが、光を反射して、小さくきらめいている。
―――――――――
時計を見ると、針はすでに4時半を指していた。
俺は澪の勉強を見て、軽く復讐しているだけだったが、澪は限界そうだ。
「……そろそろ、帰るか」
「だね。頭がカクカクしてきた」
澪も軽く伸びをしながら笑った。
2次関数も英語の長文も、もう今日はお腹いっぱいって顔だった。
「……なんか甘いもの食べたいかも」
「それなら……モスでも寄ってく? この近くだし。おごるし」
「え、いいの? 行きたい!」
言った瞬間、澪の目がぱっと輝いた。
「シェイク飲みたい! ストロベリー!」
「速攻で決まったな」
「いや、だって今日がんばったし?」
「……まあ、そうだな。今日の澪は“特に”がんばってた」
「うわ、珍しく素直に褒められた」
「滅多に出ないやつだから、記録しといて」
そう言いながら、鞄を肩にかけて、俺たちは図書館を出た。
外はすっかり夕方の光に包まれていた。
風がほんのり涼しくて、日差しも柔らかい。
「こういう日って、なんかいいよね」
澪がぽつりとつぶやいた。
「なにが?」
「なんか……静かで、疲れてるけど、それも悪くないっていうか」
「それ、疲れてることをごまかしてるだけじゃ?」
「違うもん。たぶん」
駅前のモスに向かう途中、通りかかった小さな公園の前で、足が止まった。
砂場で、3歳くらいの子が一人でバケツとシャベルで遊んでいた。
お母さんらしき人はベンチに座っていて、子どもは真剣な顔で山を作っていた。
「……いいな、ああいうの」
澪がぽそっと言う。
「何が?」
「砂場って、なんか安心するっていうか。形はすぐ崩れるけど、作ってるあいだが一番楽しいって感じ、しない?」
「深っ」
「そう?」
「いや、なんか今の名言っぽいぞ。“砂場は、崩れるから美しい”みたいな。これは来週の英作文のネタにするべきだな」
「それ絶対、先生に“詩的すぎます”って言われるじゃん」
ふたりでクスクス笑いながら、また歩き出す。
何かに夢中になって、手を止めずに形を作っていく姿。
それは、少し前の自分と重なるようでもあった。
モスに着くと、注文カウンターで澪が迷わず「ストロベリーシェイクのM!」と頼み、俺は無難にテリヤキバーガーとアイスティーを選んだ。
席に座ると、澪はシェイクを両手で持ちながら、嬉しそうにストローを吸う。
「……うまっ。糖分、最高」
「中学生とは思えんコメント」
「いいの、今日は頑張った日だから」
俺はハンバーガーにかぶりつきながら、ぼんやりと窓の外を見た。
人通りの少ない歩道。自転車が横切り、郵便屋さんが遠くを走る。
この何気ない時間が、意外と一番“夏休みらしい”のかもしれないと思った。
「ねえ」
「ん?」
「また勉強、付き合ってくれる?」
「いいよ。また自習室で勉強して、終わたらモスにこようぜ」
「いいね!!やったー」
「うん。ちゃんと復習しとけよ」
「はーい」
これまでChatGPTを使ったサイト作りですべて成功してて、ゲーム作りも簡単に行けるって思ってた。
結局失敗して、ちょっと落ち込んでいたが、澪といる時間は大切だ。
澪の笑顔を見ながら、俺は思った。
(……ま、今はこれでいいか。けど――ゲーム、あきらめたわけじゃない)




