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39話 side 07 とある税務署職員

七月の終わり、午前十時。

窓口の空気は、少しだけゆるい。繁忙期を過ぎ、来訪者もまばらで、ようやく一息つける頃合いだった。


「……さて、次の方どうぞー」


呼びかけに応じて、受付に現れたのは――

……おいおい、学生じゃないか?中学生?


「こんにちは。開業届を出したいんですけど」


そう言った少年は、妙に落ち着いた雰囲気で、語尾もはっきりしていた。


「開業届……ですか?」


思わず、語尾が上がった。

こんな少年が開業届を持ってくるなんて、そうそうある話じゃない。


「ええ、書き方とか教えてもらえたら……」


どうやら初めてらしい。いや、そりゃそうか。

手にした紙は、税務署のウェブサイトからプリントしたもののようで、項目は空欄ばかり。


「……失礼ですが、今、おいくつですか?」


「14歳です。中三です」


正直、冗談かと思った。でもその目は本気だった。

目つきがいい。普通の中学生と、ちょっとだけ何かが違う。


「なるほど。では、一緒に確認しながら書きましょう」


俺は自分でも驚くほど自然に、開業届の記入方法を説明し始めていた。


「まず、“屋号”はありますか?」


「屋号は特にないですけど、5つのサイトを作っているので、そのサイト名とか……」


「……ほう、サイト名をそのまま。なるほど、問題ありません」


ん? Webサイト……

思わず手を止めた。14歳が……ウェブサイト?


「失礼ですが、具体的にはどんなサイトなんですか?」


「レシピサイト、翻訳サイト、ニュースサイト、天気予報サイト…などです」


なんだ……”屋号”の意味が分からず、自分がよく見ているサイトを話しているのか??

まあ、中学生ならよくあることだ。


「えっと、それを自分で作っていると言うことですか?」


「はい、HTMLとCSSでコードを書いて、デザインもレイアウトも自分で組みました 」


なるほど……正直そのアルファベットの意味は分からないが、ウェブサイトを作っているのか。

――今どきの中学生はすごいな。



だが、ここまで話が進むと、やはり気になるのは――“それで本当に収益になるのか”という点だ。


「差し支えなければ、収益のことも伺っていいですか? つまり、その……実際にお金が入ってくる形で運営されているのでしょうか」


少年は、一瞬だけ考える素振りを見せたあと、素直にうなずいた。


「はい。レシピサイト、天気予報、ニュースサイトには広告を貼っていて、そこから収益が出ています。Google AdSenseというサービスを使ってます」


「アドセンス……?」


初めて聞く単語に首を傾げると、彼は簡潔に説明を加えてくれた。


「サイトに表示される広告をユーザーがクリックすると、数円~数十円の報酬が発生する仕組みです。PV――ページビューが多いほど、収益も増えます」


「はぁ、つまり全部広告収益で稼いでいるってことですね」


「いや、翻訳サイトと、文章代行サイトはクレジットカード払いをしています」


「……クレジットカード?」


思わずオウム返しのように声が出た。

カード決済。

それも、個人の中学生が提供するサイトで、だ。


「はい。親の協力を得て、決済サービスを通してクレカ払いができるようにしました。ゼウス っていう海外のサービスを使っています。」


「……ちょっと、待ってくださいね」


ボールペンを置いて、俺は一度深呼吸をした。

収益があると聞いただけでも驚きだったが、クレカ決済、月額制、そして翻訳と文章代行。もはや“副業”の域を超えている。


「わかりました。それらで収益を得ているのですね」


今どきはそんなものなのか。

俺にはついていけない世界だ……


そこで本来は聞かなくてもいいが、知的好奇心から質問が口から出てきた。


「ちなみに今月はどれくらいの収益が出たんでしょうか……?」


「正確には分かりませんが、20万は超えています」


「20万……?」


思わず聞き返した声に、自分でも動揺がにじんでいるのが分かった。

中学生が、ひと月で20万円。

しかもそれを一人で、パソコンで。しかも合法的に。


理屈としては理解できる。

説明された通り、サイトに広告を貼れば収益は出る。クレカ決済も、今の時代なら親の協力で成り立つ。

……成り立つのだが――


「そ、それは……あくまで今月の一時的なものでしょうか?」


「はい。ニュースサイトが一部バズった影響もあって、いつもより多めです。普段はもっと少ないですが、最近少しずつ安定してきました」


冷静な返答。きちんとした自己分析。

その言葉に虚飾は感じられなかった。けれど――


(バズった? ニュースサイトが……?)


俺は、ふと、ボールペンを止めた。

バズる、という言葉に慣れていないわけじゃない。


けれど「ニュースサイト」と聞くと、やはり少し引っかかる。

ニュースは著作権や情報元の信頼性に関わるデリケートな領域だ。


まさか、他のメディアの記事を無断転載しているような……?


「ありがとうございます。参考になります。……いや、本当に、すごいですね」


そう口では言いながら、心のどこかで“職務上の感覚”が静かに警鐘を鳴らし始めていた。

この少年は、確かに礼儀正しく、よく考えている。


説明も丁寧で、本人の努力と工夫の跡がある。

――だが、それゆえに気になった。


この年齢で、ここまでの構築力と収益化を本当に一人で成しているのか?

背後に誰か、協力者や運営支援者はいないのか。

この手のケースは、最初に見逃すと、後で大きな問題になることがある。


「失礼ですが、こういった収益の詳細について、帳簿などで記録を付けていますか?」


「はい。Excelで簡単にまとめています。広告や売上、アクセス数、税金関係も少し勉強していて……青色申告はまだ難しそうなので、白色で提出予定です」


そこまで整えているのか……。やっぱり本物かもしれない。

だけど――それでもやはり、どこか引っかかる。


形式は整っている。説明も明瞭。

でも、この“整いすぎた構成”こそが、逆に怪しく見えてしまうのは、きっと俺が“税務署職員”だからだろう。


「開業届は、これで受付させていただきます。――これで、正式に事業主ですね」


「はい。……なんだか、ちょっと緊張します」


「そうでしょう。でも、何かあればいつでも相談してください。私たちはそのためにいますから」


深々と頭を下げ、静かに去っていくその背中に――

俺は、妙な“期待”と“懸念”を同時に抱えていた。


(本当に一人でやっているのか……)

(……いや、今はまだ何も決めつける必要はない)


だが念のため、彼の開業届に小さく赤字でメモを残しておいた。


「収益額・業務内容に独自性あり。定期的な確認推奨」



 * * *



「おい、お前さっき対応してた中学生、あれ……開業届だったよな?」


昼休憩がてら、資料室で書類整理をしていたところに、隣のデスクの同僚・吉村が声をかけてきた。


「うん。14歳、葛城って子。丁寧だったよ。話し方もしっかりしてた」


「それさ、ちょっと気になってさ。さっき名前で検索かけてみたんだけどさ――あの子のサイト、いくつか出てきたんだわ」


「……え、もう見つかったの?」


「うん。サイト名と屋号がそのままだったからさ。で、リンクたどって他も見てみたんだけど……」

吉村が差し出してきたメモ用紙には、いくつかのURLと、ざっくりした業務内容が書かれていた。


「ニュースサイト、レシピサイト、天気予報、翻訳サイト、あと文章代行も……。全部、あの子が運営してるって書いてあった」


「……まあ、本人はそう言ってたよ。すごい子だと思った」


「いや、それがさ――どう考えても、中学生の手に負える内容じゃないんだよ」


吉村の声が、ほんのわずかに低くなった。


「たとえばニュースサイト。『ニュースまとめてみた』って書いてあるけど、内容がめちゃくちゃ整ってる。見出し、本文、引用元、時系列、全部筋が通ってて、しかも毎日更新されてる」


「ふむ……」


「レシピサイトも、ジャンルごとにカテゴリ分けされてて、アイコンまである。毎日3件ずつ更新されてて、レイアウトも崩れてない。コメント欄に“助かってます!”って主婦っぽい名前がずらっと並んでる」


「……それ、どこかの主婦ブログが手伝ってるとか、じゃなく?」


「にしても、一人の中学生が“すべての運営と更新を行ってます”って断言してるんだよ。んで、極めつけが翻訳サイトだ」


吉村はさらにメモを指差す。


「英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語。……中学生ができるわけないだろ、こんな多言語の翻訳」


「確かに……そこまでは聞いてなかったな」


俺は手元のファイルを閉じ、ゆっくり椅子に背を預けた。


「つまり、どれか一つが怪しいんじゃなくて――全部が、何かおかしいと」


「そう。レシピも、天気予報も、ニュースも、翻訳も。どれか一つならまだ“得意な子”で済む。でも全部やってるとなると話が違う。たぶん、あれは……後ろに誰かいる」


「親か?」


「まあ、親かもしれない。親の税金対策か何かやってるのを息子に任せてんのかも」


「念のため、内部で経過観察としてマークしておく。……場合によっては、査察課に回すことになるかもしれない」


「わかった。俺も調査メモつけておく」


たかが中学生の開業届――

そう思っていたはずだったのに、今では一つの“大きな謎”を前にしている気分だった。

第6章までお読みいただき、本当にありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
chatgptのことを公にするわけにはいかないからどうやってごまかすのかな
四月ではなく夏休みの話では? 4章までの雑感と大同小異。そろそろ把握できない分量になっていることが心配。
非常に面白い作品でした。 特に、ネットを使い始めた人々の生活が便利になったことに対する、利用者の視線での心境やライフスタイルの変化を描いていて非常に面白かったです。 また、最新話の税務署の流れは確かに…
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