35話 大きな期待
(1万2000円あるし、少しだけご褒美もいいよな)
俺は、ケータイを取り出した。
メールを開く。
宛先は――白石澪。
(……誘ってみるか)
最近は、前より少しだけ、意識するようになってきた相手。
たまには、こういうのもアリだろう。
俺は、短く打ち込んだ。
【俺】
「来週、ファミレスで勉強しない? 俺、おごる」
送信。
(……どうかな)
ドキドキしながら、携帯を握りしめる。
数分後。
ピロン♪ というシンプルな音。
(きた!)
慌てて開くと――
【澪】
「行きたい!!」
即答だった。
俺は、思わず笑ってしまった。
(よかった……)
* * *
行くのは近所のファミレス――
駅前からちょっと外れたところにある、昔からあるファミレス。
最近、新聞の折込チラシで「スイーツフェア開催中!」って見たばかりだった。
パフェだの、ワッフルだの、写真を眺めているだけで、なんとなくテンションが上がる。
(ドリンクバーで数時間粘りながら、勉強して、ついでにパフェ食って帰るか……)
そんな、なんとも平和で最高な計画を立てていた。
ふと、脳裏に浮かんだのは――
前に澪が言っていたこと。
「ここのチーズハンバーグ、めっちゃ美味しいんだよ!」
あのとき、澪は本当に嬉しそうに話していた。
目をきらきらさせて、手をぶんぶん振りながら、「肉汁じゅわ~だし、チーズとろっとろだし、ほんっと最高!」って、力説してたっけ。
(……あのときの顔、めっちゃ嬉しそうだったもんな)
思い出すだけで、つい口元が緩む。
――別に、変な意味じゃない。
ほんとに。
たぶん。
いや、まあ、そこは深く考えないでおこう。
ただ。
少しだけでも、あの「嬉しい」って顔がまた見られたら、それだけでいい。
別に、特別なサプライズとか、大それたことをしたいわけじゃない。
一緒にファミレス行って、美味しいもの食べて、ちょっと笑い合って、「また頑張ろうね」って、軽く励まし合って――
まあ、単純に俺が澪と会いたいだけなんだが。
* * *
週末。
駅前のファミレス前で、澪と待ち合わせた。
夏が近づく空気の中、私服姿の澪は、いつもより少しだけ、大人びて見えた。
「恭一、お待たせ~!」
にこっと笑う顔は、変わらず明るい。
(……やっぱ可愛いよな)
そんなことを思ってしまった自分に、内心でツッコミを入れながら、手を軽く挙げた。
ファミレスに入り、俺たちは店員さんに案内されて、窓際の二人席に腰を下ろした。
大きなガラス窓の向こうでは、夏の陽射しがまだ名残惜しそうに地面を照らしている。
店内はほどよく涼しくて、ポップなBGMが流れていた。
周りは、買い物帰りの家族連れや、友達同士の高校生たち。
それぞれのテーブルに、ワイワイした空気が広がっている。
(……まあ、今日は"勉強メイン"ってことになってるしな)
一応、建前は。
テーブルに並んだのは、英語の参考書と、数学の問題集。
あと、俺のリュックからは、なぜか澪が「持ってきて!」と頼んだ単語カードだ。
(どんだけやる気あるんだ、こいつ……)
そんなことを思いつつ、とりあえずドリンクバーだけ注文して、席を立った。
俺はウーロン茶。
澪は、カラフルなフルーツソーダみたいなのを取ってきた。
カップをテーブルに置きながら、澪はきらきらした目で宣言した。
「最初はドリンクバーだけ! 1時間くらい勉強したら、パフェ食べて糖分補給作戦ね!」
「……ああ、了解」
作戦、というほどの大それたものでもないが、一応、目標は共有した。
(まあ、頑張った後のパフェは最高だしな……)
注文も終わったし、とりあえず英語から始めることにした。
テーブルに肘をつきながら、俺は参考書をぱらぱらめくる。
澪は、持ってきたノートを広げ、ペンをくるくる回しながら、じっとページを見つめていた。
「ここ、わかんないんだよね……」
澪がノートを指差す。
仮定法。
中学英語の中でも、引っかかりやすいところだ。
「えっと、これはさ――
もし~だったら、っていう“ありえない話”をする表現なんだよ」
「ふーん……」
澪はペンをくるくる回しながら、真剣な顔で聞いていた。
(ちゃんと頑張ってるんだな)
そう思うと、自然と教える手にも熱が入った。
* * *
「ねえ、恭一」
澪が、ふと顔を上げた。
「最近、すっごく変わったよね」
「え、俺?」
「うん。前はさ、もっと『めんどくさい~』とか言ってたのに。今はなんか……すごい頑張ってる感じ?」
(……まあ、そりゃ、人生かかってるからな)
そんな内心は隠して、俺は肩をすくめてみせた。
「まあ、いろいろ思うところあってな」
「ふーん」
澪は、じっと俺を見たあと、にやっと笑った。
「かっこいいじゃん」
「……っ」
思わず、言葉が詰まった。
かっこいい――
そんなふうに、澪に言われたのは初めてだった。
顔が熱くなるのを感じながら、ごまかすようにドリンクバーのコップを握った。
「べ、別に……普通だって」
「ふふ」
澪は、スプーンをくるくる回しながら、楽しそうに笑った。
(……なんか、ずるいな、ほんと)
1時間ほど、参考書とにらめっこして。
ドリンクバーのカフェインに頼りながら、なんとか勉強モードを維持して。
「そろそろ、いいんじゃない? パフェタイム!」
澪がキラキラした目で訴えてきた。
もちろん、異論なんてあるわけがない。
俺たちはメニューを見て、すぐに意見が一致した。
頼んだのは――フェア限定の特大パフェ。
その名も【メガスイーツ・チョコレートパフェ】
高さ、ざっと30センチ超え。
アイス、バナナ、生クリーム、クッキー、チョコソース――
いろんなものが遠慮なしに盛りまくられている、夢のパフェだった。
運ばれてきた瞬間、澪はテーブル越しに目を見開いた。
「わ、すっごい……!」
だって、ほんとにデカい。
もはやパフェというより、塔。
崩れたら、店員さんに謝らなきゃいけないレベル。
パフェの頂上には、チョコアイスがどーんと鎮座し、その周りを生クリームがぐるぐる取り巻き、間にはバナナスライスとチョコクッキーが飾られている。
さらに、そこに惜しみないチョコソースが滝のようにかけられていて――
(……これ、絶対一人じゃ食いきれねぇな)
だけど。
澪はそんな心配もどこ吹く風で、にっこり笑った。
スプーンを手に取り、わくわくした顔でパフェを見上げる。
「じゃ、いただきまーす!」
元気よく言って、スプーンでそっとすくって――
ぱくっ。
「おいしっ!!」
目を輝かせながら、満面の笑み。
その口元には、白い生クリームがちょこんとついていた。
(……喜んでるな)
口元に生クリームをちょっと付けたまま、無邪気に笑うその姿に、俺は不覚にもドキリとした。
「あっ、クリームついてるぞ」
「あ、ほんと?」
澪はあわてて、指先でぺろっと拭ってごまかした。
なんだかそれも可笑しくて、俺はつい、くすっと笑った。
「……こんなの、よくひとりで食べられるな」
そもそも、このサイズ、普通の胃袋じゃ無理ゲーだ。
写真映え重視にもほどがあるだろ、とスプーンを握ったまま思わず嘆息する。
すると。
「なに言ってんの!」
澪がぷくっと頬を膨らませた。
「恭一も一緒に食べるんだよ!」
ぴしっとスプーンを向けられる。
あたかも「共犯者決定!」みたいな勢いだった。
「……わ、わかってるって」
俺は小さく笑ってごまかしながら、スプーンを手に取った。
でも、なんだろう。
改めて、意識してしまった。
ふたりで、ひとつのパフェを食べてる。
ひとつのパフェに、ふたりでスプーンを突っ込んでる。
(……これ、なんか……カップルみたいじゃね?)
そんな考えがふっと頭をよぎった瞬間、顔が一気に熱くなるのを感じた。
やばい。やばい。
変に意識したら、もうダメなやつだ。
スプーンを動かす手も、ちょっとぎこちなくなる。
「そ、そうだな……」
クリームをすくう動作すら、急に慎重になる。
澪が食べたところに当たっちゃだめ、とか、変なところで神経を使い始めている自分がいる。
そんな俺の様子に、澪もふと気づいたらしい。
ちらっとこっちを見て、一瞬だけ、はにかんだように笑った。
「……なに、そんなに緊張してんの?」
小声で、からかうように言う。
「べ、別に緊張なんかしてねーし」
必死で取り繕う俺。
(今ぜったい、顔が赤い)
澪もつられるように、頬をほんのり赤らめた。
「……なんか、へんなの」
二人でのんびりとパフェを食べていく。
勉強の参考書も、問題集も、テーブルの隅に追いやられ、今はもう、そんなことどうでもよかった。
* * *
夕方近く。
ファミレスを出る頃には、
空がオレンジ色に染まり始めていた。
駅まで並んで歩く道。
澪は、さっき買ったガチャガチャの小さなキーホルダーを揺らしながら、楽しそうに話していた。
「いやーパフェ美味しかった!!」
澪は満面の笑みで言った。
口調も足取りも、妙に軽い。
「恭一、ありがとねっ!」
「そうだなー。あそこのパフェ、うまいよな」
俺も自然と笑みがこぼれた。




