31話 はじめての打ち合わせ
レシピ本出版とは別に、俺はプログラミング教室にもちゃんと通っていた。
授業は週一回、2時間。
最初はHTMLとCSSの基礎から。
「ここでこうタグを使って、文字の大きさを変えたり、色を変えたり――」
インストラクターが説明する内容は、既に知っていたこと2割、初見の内容8割という感じか。
(まあ、難しすぎないから良いか)
一から自分の力でコードを書く練習をしていくうちに、手ごたえみたいなものも少しずつ感じられるようになった。
レシピ本を出版するにあたって、俺たちはルールを決めた。
【出版に関する取り決め】
• レシピを考えたのは「母親」ということにする
• AI(ChatGPT)を使ったことは一切言わない
• 実際のサイト運営やレシピ入力・管理は「息子(俺)」がやっている
• 本では、家族で協力してレシピを作った、というストーリーにする
ここまでは、母さんとちゃんと話し合って、納得して決めた。
嘘をつくわけじゃない。
でも、AIがどうとか、中学生がどうとか――
余計な説明をしすぎると、話がこじれる。
大事なのは、「きちんとした本を出す」ことだ。
それを胸に刻んで、俺たちは、出版社との打ち合わせに向かった。
* * *
春の日差しが少し暖かくなってきた頃。
駅前で待ち合わせた俺と母さんは、少しだけ緊張しながら出版社のビルに向かった。
白いビルの前に立ったとき、俺は、じんわり手のひらが汗ばんでいるのを感じた。
(マジか……俺、こんなに緊張してんのか)
エレベーターで5階へ。
編集部のドアを開けると、にこやかな女性が出迎えてくれた。
「ヤマダ出版社編集部の田中です。本日はお越しいただきありがとうございます!」
俺は会釈して、隣の母さんも「こちらこそ」と微笑む。
案内された小さな会議室は、白いテーブルと、椅子が四脚。
壁際には、料理本や趣味の本がぎっしり並んでいた。
(うわ、ほんとに出版社って感じ……)
心の中で軽く震えながら、席に着く。
テーブルの上には、すでに資料が何枚か用意されていた。
編集者の田中さんは、にこにこと笑いながら話し始めた。
「まず、レシピサイトを拝見して……本当に素晴らしいと感じました!
手軽で親しみやすくて、なおかつ実用的。このコンセプトをそのまま書籍にしたいと考えています」
母さんが軽く微笑む。
俺も、黙って頷いた。
「今回お願いしたいのは、既存のレシピをベースにして、そこに数点、新作レシピを追加する形です。
大体、60〜70レシピぐらいを収録予定です」
(……なるほど)
既存のものを使えるのはありがたい。
ただ、新作も追加するとなると、少し作業量が増えるな。
編集者さんは、さらに言葉を続けた。
「あと、レシピだけじゃなく、ちょっとした料理のコツや、家事の合間に作れる時短術なんかも、コラムとして挟めればと考えています」
母さんが「それなら、私も何か考えてみます」と答えた。
(……さすが)
編集者さんが、さらに具体的な話を続けた。
「ちなみに、初版は5,000部を予定しています」
「ご、5,000……」
思わず小さな声が漏れた。
母さんも、ちょっと驚いた顔をしている。
(すげえ……俺が関わった本が、5,000冊も世の中に出るのか)
じわじわと、実感が湧いてきた。
「それと、レシピに使う料理写真なんですが、こちらでプロのカメラマンを手配しますのでご安心ください。レシピに合わせて、きれいな写真を撮影します」
「へえ……!」
母さんが感心したように声を上げる。
(どんどん、本当に"出版"って感じになってきたな……)
俺が喋りすぎると、どうしても違和感が出る。
まだ14歳の中学生のはずなのに、ビジネスライクな返答をしたら、絶対に「ん?」って思われるに決まってる。
だから――
母さんが自然なテンションで受け答えしてくれるのは、本当にありがたかった。
ちょっとした相槌や、質問へのリアクション。
それがすごく自然で、空気を和らげてくれる。
(マジで助かる……)
内心、何度も手を合わせて拝んでいた。
打ち合わせは、終始和やかな雰囲気で進んだ。
「出版にかかる期間は、大体3~4か月くらいを見込んでいます」
「原稿の最終締め切りは、8月末ですね」
「初版の印税率はこのくらいで――」
編集者さんが、にこやかな笑顔を崩さずに、要点を丁寧に説明してくれる。
母さんも、真剣な顔でメモを取ったり、時々質問を挟んだりしていた。
俺はといえば、隣でおとなしく相槌を打ちながら、
必死で話についていこうと頭をフル回転させていた。
聞いているだけなのに、心臓がじわじわと高鳴る。
「原稿提出」とか、「印税」とか、そんな言葉が、妙にリアルに響いてくる。
(……すげえ。これ、マジで本になるんだ)
漠然とした夢だったものが、現実に形を持ち始める瞬間。
子どもながらに、「大人の世界に一歩踏み込んだ」そんな感覚が、確かにあった。
不安がゼロなわけじゃない。
でも――
(でも……ワクワクするな)
未知の世界に飛び込む怖さと、それを上回る楽しみ。
そんな感情が、胸の中でせめぎ合っていた。
一通りの話がまとまったあと。
編集者さんは、柔らかな笑顔を浮かべながら、言った。
「ぜひ、一緒にいい本を作りましょう!」
俺も、母さんも、深く頷いた。
──帰り道
駅に向かう道すがら、母さんと並んで歩いた。
まだ、少し心臓がドキドキしている。
(出版社って、やっぱすげえな……)
ビルの中も、編集部の雰囲気も、ぜんぶ「プロの世界」って感じがして、胸が高鳴った。
母さんは、そんな俺の様子を見ながら、ふっと笑った。
「緊張した?」
「……まあ、ちょっと」
素直に答えると、母さんはまた笑った。
「でも、大丈夫よ。ちゃんと話せてたわよ」
よし、いい感じに終わってよかった。
* * *
家に戻ったあと、すぐにパソコンを開いて、新作レシピ作りに取りかかった。
まずは、定番だけどちょっとひねったレシピを考える。
【簡単だけど映える系】【疲れてても作れる系】――
サイトでウケた傾向を思い出しながら、
テーマを決めて、ChatGPTに相談する。
【冷蔵庫に卵とベーコンがある。10分で作れる夜ごはんを考えて】
数秒後、出力された案を参考にしながら、
自分なりにアレンジを加えていく。
「ベーコンと卵の和風カルボナーラ」とか、「卵焼き器で作るベーコンエッグサンド」とか。
(うん、悪くない)
一気に3〜4レシピ分くらい、ざっと下書きを作った。
目標がはっきりしていると、不思議とやる気も湧いてくる。
カタカタとキーボードを叩きながら、ふと、リビングから母さんの姿が目に入った。
雑誌をめくりながら、時折、ふっと笑ったりしている。
(……そっか)
改めて思う。
もし、母さんが「そんなのダメだよ」って言ってたら――
俺はここに立てなかった。
本なんて、夢のまた夢だった。
ゆっくり立ち上がって、リビングに向かう。
「母さん」
「ん?」
俺は、素直に言った。
「……代わりにレシピ作ったことにしてくれて、ありがとね」
母さんは、ちょっと驚いた顔をして、すぐに優しく微笑んだ。
「ふふっ。なに改まって」
「いや、ちゃんと、言っときたくて」
「大丈夫よ。あんたが頑張ってるの、ちゃんと分かってるから」
母さんの声は、ふわりと優しかった。
「それに……なんか、私もワクワクしてきたしね」
「そっか」
俺は、少しだけ照れながら笑った。
(絶対、いい本にしよう)
明日は両方ともサイドストーリーのため、2話投稿です




