19話 ソースはマスタードとバーベキュー
土曜日の午後。
駅前のマクドナルドは、いつもより少しだけ混んでいた。
テーブルを確保するために、俺たちは先に席を取ってから、順番にレジに並んだ。
「じゃ、俺、買ってくるから。何がいい?」
澪に声をかけると、彼女はすぐに顔をぱっと明るくした。
「えっと……チーズバーガーセットがいい!」
「オッケー、任せとけ」
軽く手を振って、俺はレジの方へ向かった。
列に並びながら、ふと、奇妙な感覚にとらわれる。
(……14歳のガキが女の子にマック奢るって、なかなかないシチュエーションだよな)
もちろん、今の俺の外見は中学生そのものだ。 制服姿で、財布も子どもっぽいやつ。
でも、中身は30代社会人。
職場の後輩に昼飯を奢ったこともあったけど――
こうやって、微妙な年齢差で、しかも“友達に、しかもマックで”奢るっていうのは、なんだかやけに新鮮だった。
「いらっしゃいませー!」
元気な店員さんに迎えられながら、俺はメニューを確認する。
「えーと、チーズバーガーセット2つ、……それから、ナゲット2つ。ソースは――マスタードと、バーベキューで」
澪の顔が頭に浮かぶ。
そういえば、前に言ってたっけ。
「私、ナゲットは絶対バーベキュー派!」って、やたら力説してた。
ちなみに俺は断然マスタード派だ。 あのちょっと辛いやつがたまらない。
「バーベキューとか甘すぎだろ」って言ったら、「辛いのが無理なんだよー!」って、ぷくっと頬を膨らませてたっけ。
……思い出しただけで、ちょっと笑えてくる。
支払いを済ませ、受け取ったトレイを慎重に持って、澪が待つテーブルへと向かった。
カウンター席の隅っこ。 窓際で、ポテトの匂いにそわそわしている澪の姿が見える。
「はい、チーズバーガーセットとナゲット!」
「ありがとー!」
澪はぱっと顔を輝かせて、トレイから自分の分を受け取る。
その瞬間の嬉しそうな顔を見たら――
なんかもう、全部奢った甲斐があったなって思えた。
「ちゃんとバーベキューソース取っといたからな」
俺が言うと、澪は小さくガッツポーズ。
「さすが恭一、わかってるぅ~!」
「まあ、俺はマスタードだけどな」
「えー、からいの苦手ー」
「辛いっていうほど辛くないだろ、あれ……」
「だって、バーベキューのほうが美味しいもん!」
互いにソースの好みを主張し合いながら、ポテトをつまみ、ハンバーガーにかぶりつく。
ファストフード特有のチープなチーズの匂いが、
どこか懐かしくて、妙に安心する。
「やっぱマックはうまいねー!」
澪がポテトを一本口に入れながら、幸せそうに言った。
「まあな。たまにはこういうジャンクなのもいいよな」
「うんうん!」
テーブルの上に広がる、ちょっとだけ贅沢な休日感。
こんなささいなことで、笑顔になれるのは――
(……いいもんだな)
そう、心の中で思った。
「そういえば、恭一」
澪がストローをくわえながら、思い出したように言った。
「この前のサイト、どうなったの? ほら、天気のやつ!」
「ああ、かんたん天気チェッカー?」
「それそれ!」
俺はポテトをもぐもぐしながら答える。
「一応、完成したよ。いま、地味にアクセス増えてる」
「すごーい!」
「いや、まだホントに小規模だけどな」
(本当にすごくなるのはこれからだ)
「でも、作ったものがちゃんと人に使われるって、嬉しいよな」
「うん、わかるかも!」
澪がうなずきながら、カップをくるくる回す。
「私もさ、小学校の時に絵を描いて、 友達に『かわいい!』って言われたとき、 すっごい嬉しかったもん」
「そういうの、ちゃんと原点だよな」
「うん!」
笑いながら、ふと思った。
たぶん俺たちって、“何かを作る人間”としての、スタート地点に立ってるんだろうな。
大げさかもしれないけど、この「ちょっと嬉しかった」って気持ちが、
きっと何かを続ける原動力になる。
子どもだって、大人だって、それは同じだ。
「恭一、将来ってさ」
澪が、ぽつりと口を開いた。
「なにになりたい?」
俺はチーズバーガーをもう一口かじりながら、
少しだけ考えた。
(将来か――)
中身は大人だから、普通に働く未来は知ってる。
でも、今度の人生は、“作る側”で生きたいと思ってた。
サイトを作ったり、サービスを考えたり、人の役に立つものを世に出したり。
そういう未来に、挑戦してみたい。
「……何かを作る人になりたいかな」
澪は、目をぱちくりさせた。
「作る人?」
「うん。形にする側。 誰かに便利って思ってもらえるものを、作る人」
言葉にしてみたら、思ったよりすとんと胸に落ちた。
「へぇ……かっこいいじゃん!」
澪がにこっと笑う。
ポテトを一本つまみながら、澪がストローをぐるぐる回している。
ふと、思い出したように顔を上げた。
「ねえ、恭一」
「ん?」
「受験勉強、ちゃんとやってる?」
「……それなりに」
俺はちょっと肩をすくめた。
実際、英語や国語は未来知識もあって問題ない。
数学もまあ、昔取った杵柄ってやつだ。
「私、やばいかも」
澪は笑って言ったけど、その笑顔の奥に、ちょっとだけ焦りがにじんでる。
「特に英語と数学。あと国語も」
「いや、全部じゃねえか」
「そうなんだよ~!」
両手を挙げてオーバーに嘆く澪を見て、
俺はふっと笑った。
「じゃあ、一緒にやるか」
ポテトをかじりながら、自然にそんな言葉が口から出た。
澪は目をぱちくりさせたあと、嬉しそうに笑った。
「ほんと? いいの?」
「いいよ。3科目ならほぼ完ぺきだし」
澪はストローをくわえたまま、ちょっと恥ずかしそうにうつむいた。
「……ありがと」
その小さな声に、胸の奥がきゅっとなる。
(……なんだろうな、この感じ)
別に、澪と一緒に勉強するのは、今までも何度かあった。
小学生の頃から、宿題を持ち寄ってダラダラやったりしてた。
だけど、今は――
ちょっとだけ違う。
澪の仕草が。
声のトーンが。
表情の一つ一つが。
なんだか、微妙に――
「女の子」なんだ。
(……まあ、向こうからしたらただの友達なんだろうけど)
そんなことを思いながら、俺はわざと軽く茶化してみせた。
「でもさ、勉強って言って、またダラダラおしゃべりしちゃったら意味ないからな?」
ニヤニヤしながら言うと、澪はむっと頬を膨らませた。
「ちゃんとやるもん!」
「ほんとかよ~?」
「……たぶん!」
最後に小声で付け足すな。
お互いに顔を見合わせて、思わず吹き出す。
こういう他愛ないやり取りが、妙に心地いい。
「あ、でもさ!」
澪が急に思い出したように手を叩いた。
「今度勉強するときに、見たい映画があるんだよね!」
「は?」
「ほら、たまには息抜きも大事じゃん? 映画見ながらちょっとリフレッシュして、そっからまた集中する、みたいな!」
「……映画って、そもそも勉強する気ないだろ」
俺が冷静にツッコミを入れると、澪は慌てて手をぶんぶん振った。
「いやいやいや!! 本気でちゃんとやるから!」
「絶対怪しい……」
「違うのっ! ちゃんと計画立てたの!」
力説する澪を見て、俺は仕方なく続きを聞くことにした。
「えっとね、映画だけど2回に分けて見る作戦!」
「ほう?」
「ちょうど“ハリーポッターとアズカバンの囚人”がさ、GEOで旧作100円レンタルだったの!」
そのタイトルを聞いて、俺は思わず心の中で懐かしさが爆発した。
(うわっ、懐かしいな……ハリポタの3作目か)
初めて観たときのことまで思い出す。
独特な暗い雰囲気と、ディメンターに震えた記憶。
あの頃のハリポタは、まだ子ども向けと大人向けのちょうど中間で、どこか特別な魔法の世界だった。
「あー、それいいな」
俺はニヤッと笑いながら言った。
「なら、見ながらもきちんと勉強しようぜ」
「うん!!」
澪は嬉しそうに小さくガッツポーズを決めた。
「前半見たら英単語小テスト、後半見たら国語の問題集!」
俺が提案すると、澪は「えー!」と露骨に嫌な顔をした。
「息抜きなのに、英単語テストとか鬼!」
「仕方ないだろ。勉強会なんだから。」
店内のざわめきの中で、
このテーブルだけ、ぽかんと温かい空気に包まれているようだった。
カップの底から、氷がカランと鳴る。
ポテトの残りはあと数本。
チーズバーガーの包み紙は、すっかり空になっている。
(こうやって、ちょっとずつ、未来が重なっていくのかな)
ふと、そんなことを思った。
この先、受験があって、それぞれ進路も決まって、新しい生活が始まって。
でも――
今のこの距離感は、できれば、大事にしていきたい。
そんなことを、
14歳の俺と、34歳だった俺の両方が、同時に思っていた。
「ねえ、恭一」
澪が、そっと声を落とした。
「高校生になってもさ――
また一緒に、いろんなこと、頑張ろうね」
「……ああ、もちろん」
自然に、そう答えた。
でも内心では、
少しだけ胸が高鳴っていた。
頑張る。
頑張ろう。
たぶん、それは勉強だけじゃない。
もっと、いろんな意味で。
カップを手に取るふりをして、
そっと、深呼吸した。




