142話 ロボットの視察
午後十時。
通常営業を終えたばかりのホテルレストランに、外務大臣と随行員、そしてホテル関係者が入ってきた。
普段は落ち着いた空間だが、スーツや制服姿の人々が大勢入ってきて、場に不釣り合いな感じがする。
副支配人が先導し、姿勢を正して解説を始める。
「これが当ホテル自慢の“猫型配膳ロボット”でございます」
「これが例のロボットですか」
大臣は興味深そうに視線を巡らせ、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ほう……可愛いですね」
「ありがとうございます。どうぞ、こちらのお席へ」
副支配人が丁寧に誘導し、大臣は満足げにうなずいて椅子に腰を下ろす。
随行員たちは控えめに席に着き、SPは壁際に散開して立った。
その光景を少し離れた場所から見守る俺は、場違いなのを自覚しつつも目を離せなかった。
このロボットを形にしたのは俺だ。
大臣がどう反応するのか、どうしても見届けたかった。
副支配人が合図を送る。
厨房に控えていたスタッフがタブレットを操作し、動作ボタンを押した。
店内の空気がふっと動く。
待機位置にいた猫型ロボットが、耳のようなライトを点滅させ、モーター音を響かせながらキャスターを滑らせた。
『いってきます、にゃ~』
”ミケ”の軽やかな電子音とともに進んでいく姿に、大臣の関係者の表情がゆるむ。
トレイには、仮置きとして二枚の空のパフェ容器が置かれている。
”ミケ”は一定の速度で客席を進む。
「……おお」
思わず声を漏らしたのは大臣ではなく随行員の一人だった。
だが大臣も同じように目を見張り、口元には自然な笑みが浮かんでいる。
「見事にスムーズだな」
「席の位置を全部把握しているのか……」
驚き混じりの声が小さく重なり、場の空気が少し柔らかくなる。
大臣の席の前に到達すると、安定した動きでぴたりと停止した。
『着きましたにゃ~』
副支配人が大臣の隣に立ち、恭しくトレイの皿を受け取った。
その後、ボタンを押すと、ロボットは『にゃ~』と鳴き、くるりと方向を変えて厨房へ戻っていく。
減速と加速を繰り返しながら迷いなく進んでいく姿に、今度は随行員たちが身を乗り出す。
「なるほど……」
「ほぼ完全自動なのですね」
大臣が感心したようにうなずく。
俺は心の中でガッツポーズを決めた。自分が作ったロボットが、今まさに大臣の前で評価されている。
外交の舞台に立つ“大臣の目の前で” 、自分が作り上げたものが確かに評価されている――その事実が、どんな言葉よりも強い実感として心に残った。
ひと通りのデモが終わり、ロボットが待機位置に戻ると、自然と拍手が起こった。
緊張で硬直していたスタッフまで、ほっとした笑みを浮かべている。
そのとき、大臣が口を開いた。
「これは、どこの企業が開発したものですか? 桐原でしょうか?」
一瞬で場の空気が変わった。
スタッフの誰もが言葉を飲み込み、互いに視線を交わした。
久世支配人が前に出ようとしたが、言葉を探すようにほんの一拍、迷った。
――そのわずかな間が、なぜか俺の背中を押した。
気づけば、足が勝手に前に出ていた。
「……僕が、メインシステムを開発しました。残りは桐原自動車の技術部の方々に協力していただきました」
自分でも驚くほどはっきりとした声が店内に響く。
「この若さで……?」
大臣の秘書が軽くつぶやいた。
驚きの視線が突き刺さる。頬が熱くなる。
だが、大臣は口元に笑みを浮かべ、目を輝かせた。
「若き才能だな」
その一言で今まで張りつめてたのが嘘みたいに、急に気持ちが軽くなった。
随行員の一人が思わず声を上げた。
「すごい……信じられん」
別の人間が小声で「だからこそ新しい発想が出るのかもしれない」とつぶやく。
スタッフたちの反応もさまざまだった。
俺は視線の波に飲まれそうになりながら、大臣の瞳だけを見据えた。
大げさな言葉ではなく、ただ事実を伝えただけだ。
「……これからが楽しみですね」
大臣はそう言って軽くうなずいた。
その瞬間、張りつめていた空気が解け、場に柔らかなざわめきが戻った。
外務大臣はにこやかに頷き、柔らかな声で言葉を続けた。
「エスティニアは今、IT立国を目指しています。この技術、ぜひ我が国にも紹介したい」
その一言に、場の空気が一段と熱を帯びた。
会議室でもない、ホテルのレストランの片隅で交わされた言葉なのに、誰もがその重さを理解していた。
随行員の一人がすぐにメモ帳を開き、書き込む準備をする。
「関係部署にこの件を回したいです。資料の方をいただけますか?」
低い声で問われ、俺は一瞬言葉を失った。
たった今まで「猫型ロボットのデモ」だった場が、急に外交の現場に変わってしまった気がしたからだ。
だけど、ここで引くわけにはいかない。
「……私としてはもちろん可能です。関連企業と準備いたします」
声が少し上ずったが、それでもはっきりと言い切った。
その瞬間、支配人の久世さんが安心したような笑みを浮かべる。
「若き人材がこうして新しい技術を形にしている。こうした技術交流こそ、我々が求めている未来です」
大臣がそう言うと、称賛の空気が一気に広がった。
「素晴らしい」
「これほど滑らかな動きは初めて見た」
随行員たちから感嘆の声が次々に上がり、自然と拍手が重なる。
硬かった表情を崩し、笑顔でうなずく者もいる。
「素晴らしい視察でした。日本の未来を感じます」
やがて外務大臣は椅子を立ち、随行員とSPに囲まれながらエレベーターへと向かった。
その言葉を残し、柔らかな笑みを浮かべながら退場していく。
扉が閉まった瞬間、スタッフ全員が同時に大きく息を吐いた。
「やりましたね、オーナー」
久世支配人が深々とうなずき、安堵と誇らしさが混じった声をかけてくる。
後ろの方にいたスタッフも、胸を撫で下ろしながら笑顔を見せた。
「完璧でしたよ。心臓が止まるかと思いましたけど」
その輪の中心で、俺は立ち尽くしていた。
視線も声もすべて自分に注がれているのに、頭の中は空っぽで、ただ心臓の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
(これで、ホテルの評価も……ロボットの未来も、一段上のステージに上がったんだ)
自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやく。
実感はまだ遠い。
ただ、今の体験がこれからの自分を動かす力になるのは確かだった。