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138話 柴田、あとで感謝しろよ

放課後の校門を出ると、澪と柴田と、澪の友達のミキさんが並んで歩いていた。


今日俺はホテルに行くが、澪はオフの日だ。

澪は「笹塚まで行くんでしょ? 駅までは一緒に行こうよ」と言ってきて、俺も特に断る理由もなく頷いた。


バイトの日は澪とミキさんは普段から一緒に帰ることが多いらしい。そこに柴田が加わっているのは……まあ、自然な流れなんだろう。


「それでさーミキね、国語の時間にぼーっとしてたら先生に指名されちゃってさ!」


「もうっ、その話はやめてよ。柴田君の前で言わなくてもいいでしょ!」


「えー? なんで? 逆に気になるんだけど」


わいわい盛り上がる三人の会話を横で聞きながら、俺は思った。

――この三人って、こんなに仲良かったのか。


俺はほとんど相槌も打たずに歩いていたけれど、三人の間だけで会話が回っていく。

まあ、それはそれでいいんだけど。正直、澪と二人きりの時なら手をつなぐのが普通になってきている。


けれど、さすがに四人のグループで歩いている時に、いきなり手を出すわけにはいかない。

結果、右手がやたらと寂しい。


「じゃあ、またね」


駅に着いたところで、澪は改札の手前で立ち止まった。


「うん、また」


澪は笑顔で手を振り、来た道を戻っていった。俺のためだけに駅まで歩いてきてくれたらしい。


「わざわざお前のために駅まで来るなんて、すげぇな」


隣で柴田がボソッと言う。


「ああ……まあな」


確かにそう思うけど、同時に澪にとっては「柴田やミキさんと話したかったから」って理由もあるんじゃないか、とも感じていた。


「そういや、お前どこまで行くんだっけ?」


「笹塚」


「おお、俺らより遠いな」


電車が来るまで、あと十分ほど。

このまま三人で並んで待っていてもよかったんだけど、ふと気づいた。

――この二人、付き合ってるか、少なくともその手前だろう。


ミキさんは柴田に常に近づきつつ歩いていて、二人の距離感が妙に近い。言葉ではまだはっきりしていないかもしれないけど、空気はもうそれっぽい。


「……あー、俺ちょっと腹痛いから先にトイレ行ってくる」


「え、ここで?」


「ああ、やばいから」


「おいおい」


柴田が驚いた顔をするけど、俺は軽く手を振ってごまかした。


「じゃあな。もし電車に乗り遅れたら、二人で帰っていいから」


そう言い残してトイレに入り、数分間、わざと時間を潰す。ホームに戻った時には、ちょうど電車が滑り込んできていた。


結局、3人そろっては乗らなかったけど、それでいい。

――いちおう、空気を読んで2人にしたつもりだ。

柴田、あとで感謝しろよ。





そして俺は1人で電車に乗り、笹塚駅に降り立ちホテルに向かう。

 今日は会議があるからだ。


 裏手から従業員用スペースに入ると、1人のスタッフがすぐに俺に気づいた。


「オーナー、支配人がお待ちです。すぐに会議室へ」



そのまま案内され、廊下を進む。小会議室のドアを開けた瞬間、ピリッとした空気が全身を包んだ。


 コの字型に並べられた長机。

その周囲には、支配人の久世さんを中心に、総務担当のスーツ姿の男性、がっしりした体格の警備主任、そして安藤さん。それに制服姿の現場スタッフが数人。


 テーブル中央には、外務大臣来日のスケジュール表や、警察からの要請書類が広げられている。


「国家クラスのVIPをお迎えするのは、創業以来初めてです」


久世さんの言葉に、場の緊張がさらに強まった。


 ……え、俺、ここにいて大丈夫なのか?

 高校の帰りに寄っただけのはずが、気づけばスーツ姿の大人たちに囲まれて同席している。


「……」


 何をすればいいのか分からず、端に座り配られた資料に目を落とすと、次の議題は「宿泊フロアの取り扱い」だった。


 外務大臣が泊まる部屋はすでに確定している。最上階十四階のスイートルーム。眺望も広さも、ホテルの顔となる部屋だ。


「日本警察からの要請は、最低限として“隣接部屋を空室にすること”です。隣室は大臣のお付きの方々の部屋とします。また14階の他の部屋は空室にして、大臣関係者のみにします」


 総務担当が淡々と説明する。



警備主任が低い声で口を開いた。


「……できれば、真下の十三階もまるごと空室にしていただきたい」


一瞬、会議室がざわめいた。


「それは……さすがに現実的ではないのでは?」


総務担当が顔をしかめて続ける。


「稼働率との兼ね合いもありますし、一般客のキャンセルが発生するかもしれません」


久世支配人も腕を組んだまま黙り込む。表情は険しいが、すぐに決断できない様子だった。


(安全を取るべきか、経営を取るべきか……)


その沈黙に耐えかねて、俺は口を開いた。


「……えっと、オーナーとして言わせてもらいます。利益よりも安全を優先してください。必要なら、十三階も空けて構いません」


場の空気が一気に変わった。

誰もが驚いた顔でこちらを見ていたが、やがて支配人が深くうなずく。


「承知しました。14階に加え、13階も完全に空室といたします」


会議室に重い覚悟が落ちた。だが同時に、迷いのない方向性が定まったようにも感じられた。




 次の議題は「エレベーターおよび動線制御」。

 警備主任が立ち上がり、フロア図をホワイトボードに貼る。


「VIP移動時は、一般客と完全に動線を分けます。ルールは以下の通りです」

 指先で図を示しながら読み上げる。


「まず、大臣や随行員はメインエレベーターのみ利用。荷物はすべて従業員用エレベーターに回します。エレベーター04(メイン)については、大臣専用とし、通常操作では開かないようにします」



ホワイトボードに貼られた新しい資料には、ロビーから客室階、駐車場に至るまでの見取り図が大きく描かれていた。

 久世支配人がペンを握り、赤と青のマーカーで次々に書き込んでいく。


「大臣のSPは四名。大臣に同行し、ホテル内でも常に行動を共にします」


「日本警察からは八名。ロビー、非常階段などに常駐とのことです」


 線が引かれ、矢印が伸び、図面が赤と青で埋まっていく。


「そしてホテルの警備についてです。既存人数では足りませんので、臨時に民間警備会社を雇って、拡張します」




 次の議題は「内部スタッフ教育」。

 VIPへの直接対応は最小限にとどめる方針が確認される。基本的にはフロントと支配人のみ。


「ただし、廊下ですれ違う可能性もあります。その場合は――立ち止まって軽く会釈だけ。絶対に声をかけないこと」


久世さんが言い切る。


普段は笑顔で接客しているスタッフたちにとって、「声をかけない」というのはむしろ不自然な行為だ。

そして、久世さんが続けていく。


「もちろん握手を求めるのもNGです。写真撮影も、もちろん禁止。相手から話しかけられた場合のみ、必要最低限で応答してください」


その後、副支配人がノートPCを操作し、画面に資料を映し出した。

そこには国際ホテルの事例や、VIP対応のルールが、整理されて並んでいる。


「こちらを各部署に配布します。細かいケースも書いてあります。――それらの対応もすべてマニュアル化しました」


副支配人の落ち着いた声が会議室に響く。

スタッフたちは真剣な面持ちで資料に目を走らせ、一斉にメモを取る音がカリカリと重なった。




 会議が終わる頃、スタッフたちの顔には疲れと緊張が混ざっていた。

 ホテル始まって以来の大仕事。もし失敗すれば、単なるクレームでは済まない。

国際問題になる。



会議を終えて総務部に顔を出し、ひと通り挨拶を済ませた。

帰宅するために外に出ると、夜風がひんやりして気持ちよかった。


緊張の糸が切れた途端、胃の奥がズキッと痛む。


「……やば、胃にきた」


小さくぼやきながらも、駅前のコンビニで角煮まんを買ってしまう。



いつもは肉まんだけど、ちょっと贅沢に角煮まんだ。


「熱っつ!」



この角煮の肉は肉まんに合うな。



「胃が痛いのにこんなの食ってる場合じゃないよな……でも、うまい」



湯気と一緒に張りつめていた緊張が、少しだけ溶けていく気がした。


それでも頭の中には、今日の会議の余韻が残っている。


「何とかなればいいなぁ」


俺はぼやきながら家へと帰った。


第3部はこの章でラストになります。

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