137話 誰のチョコパンだ??
作中の外国人との会話は、読みやすさを優先して日本語で記しています
(一部、雰囲気を出すために英語表現を残す場合があります)
昼休みのチャイムが鳴ると、俺と澪は人の波に混ざりながら食堂に行く。
いつもはそれぞれ友達と食べるが多いんだけど、たまにこうして二人で一緒に昼食をとる。
食堂の隅っこの席に座り、トレーを置いた。俺はカレー、澪は唐揚げ定食。
2人で向かい合って座る。
「いただきまーす」
「いただきます」
スプーンですくったカレーを口に運びながら、ふと澪が笑顔でこっちを見てきた。
「ねえ、聞いたんだけどさ」
「ん?」
「……外務大臣が来ている日は、笹塚と学校を行き来するの?」
俺はスプーンを止める。
「まあ、そうなるな」
「え、ほんとに?」
「きつかったら学校休むかも」
冗談半分で言ったつもりだったけど、澪の顔は真剣そのものだった。
「うーん……ムリしないでね」
箸を持つ手を少し止めて、心配そうに眉を寄せる澪。
そんな顔を見せられると、こっちまで妙に落ち着かなくなる。
「大丈夫だって。別に一人で全部抱え込むわけじゃないし。支配人もスタッフみんなもいるから」
「でも、恭くんは、なんだかんだで“自分でやらなきゃ”って思っちゃうタイプでしょ」
図星を突かれて、苦笑いが漏れた。
「まあ、そうなんだけどさ」
俺は水を一口飲んでから、声を潜めるように話を続ける。
「……外務大臣がうちのホテルに泊まる理由、分かったんだ」
「え、そうなの?」
そう、安藤さんが桐原関係から聞いた話だった。
――ホクシン自動車の買収前、あの会社はエスティニアに大規模工場を建てる計画を立てていた。
雇用創出、税収アップ、インフラ整備。人口二百万人に満たない小国にとっては、まさに国家プロジェクトだったらしい。
だけどその直前、桐原がホクシンをまるごと買収した。計画は白紙に戻り、エスティニアとしては期待していたものが宙に浮いたまま。
「だから、外務大臣自らが日本に来て、直接アピールするんだって」
「ふーん……なるほどね」
澪は箸を止め、納得したようにうなずいた。
「それで、桐原自動車側も夕食会に招待されてるわけ。で、うちのホテルはホクシン系列だったから、そのまま宿泊先に選ばれたって流れ」
「……へぇ。そう考えると、すごい話だね」
「まあな。思惑はいろいろあるだろうけど、ウチとしては泊まってもらえるのはありがたい。あとは全力でおもてなしするだけかな」
カレーを食べ進めながらそう言うと、澪は小さく笑った。
「なんか、国のこととか外交とか、難しい話なのに……結局“ホテルに泊まってくれる”っていうことになるんだね」
「確かに。ホテルとしては泊まって楽しんでくれるくらいしか出来ないし」
口にした瞬間、自分でも少しだけ誇らしくなった。
去年の俺だったら、こんな台詞、絶対言えなかっただろう。
「……そういうとこ、ちょっといいね」
澪がぽつりとつぶやいて、唐揚げを口に運ぶ。
ほんの一瞬、視線がかち合って、俺は思わずスプーンを握り直した。
「そういやさ」
食後のデザート代わりに、購買で買ったチョコパンを半分にちぎりながら、俺はふと切り出した。
「ホテル、今はもう完璧に黒字になってるぞ」
「え、本当?」
澪がぱっと顔を上げた。大きな目が驚きで丸くなる。
「うん。稼働率も安定してる。おまけに子会社(掃除ロボット)の利益も入ってるから、収支は完全にプラス」
「そっかぁ……よかった」
澪はホッとしたように笑った。
「これも、澪が“掃除が大変そう”って言ってくれたからだよ」
「え? 私そんなこと言ったっけ?」
首をかしげる澪。覚えてないらしい。
でも俺の中では、あの一言がすべての始まりだった。
「言った。ほら、ホテルでバイト初めてすぐくらい。”廊下のカーペット掃除するの大変だった”って」
「あ……言ったかも」
「そのとき、楽にする方法ないかなって考えた。それがなきゃ、掃除ロボットなんて絶対思いつかなかった」
「えー、そんな大げさだよ」
澪は苦笑いしつつ、俺から半分うばったチョコパンをかじる。
でも俺は本気だった。
猫型の掃除ロボットが生まれたのも、それがホテルの売りになったのも、さらに子会社を作って外部にリースしたのも――ぜんぶ、最初の小さなきっかけがあったから。
転生してるから分かる。
未来を知っているはずの俺でも、“一押し”がなければ動けないことがある。
バタフライ理論みたいに、ほんの一言が大きな渦を作っていく。
「だからさ、なんかお礼したい」
「お礼?」
「うん。澪がいなかったら、このホテルの改善はなかったし。だから、なにか欲しいものあれば言って」
真正面からそう言うと、澪は一瞬ぽかんとして、それから顔を赤くして俯いた。
「うーん……すぐには思いつかないかな」
「そっか。じゃあ、思いついたらでいいよ」
俺が軽く笑って返すと、澪は箸の袋をくるくる指で丸めながら考え込む。
数秒の沈黙のあと、ぱっと顔を上げた。
「あ、じゃあ――家族でホテルに泊まりたい!!!」
「……え?」
一瞬、脳が追いつかなかった。
「ほら、私たちが働いてるところ!」
「……あ、そっちか」
まったく予想外だった。キャラ物のバッグとか、欲しいお菓子とか、そういう小さな願いかと思っていたのに。
「だってさ、私と恭くんが普段どんな場所で頑張ってるのか、パパとママにも見てほしいんだもん。きっと驚くよ!」
澪は嬉しそうに身を乗り出してくる。
「……そりゃ、いいな」
思わず笑ってしまった。ほんと、予想外すぎて。
「でしょ! ちょっと豪華なプランとかにしてさ。あのパンケーキも食べたいし!」
「またパンケーキかよ」
「だって美味しかったんだもん!」
澪の無邪気な笑顔に、俺もつられて笑った。
――そうだよな。
黒字とか赤字とか、株主配当とか、特許の利益とか。
そういう数字より、泊まった人がホテルを楽しんでくれたら嬉しい。
その中に澪の家族も加わるなら格別だ。
俺は残りのチョコパンをかじりながら、心の中でそっと決めた。
今度、澪の家族用に特別プランを組んでもらおう。