134話 文化祭だーーー
文化祭まで、あと一週間。
放課後の校舎はカオスだ。
ペンキの匂いが漂い、廊下には段ボールが積み上がり、模擬店用の机やイスが無造作に転がっている。
俺と柴田は、帰り道に昇降口へ向かっていただけなのに、何度も「ちょっとどいて!」と走ってくる上級生に道を譲らされた。
「なあ恭一、ここ、戦場だな」
「だな」
そんなとき、廊下の向こうから声が飛んできた。
「――あっ、恭くん!」
振り向くと、澪が手を振っている。エプロンに三角巾、髪を後ろでまとめていて、普段より真面目な雰囲気だ。
「ちょうどよかった! 二人とも手、貸して!」
「え? なんで俺ら?」柴田が首をかしげる。
「机運ぶの! 男手が足りないの!」
有無を言わさぬテンションに押され、俺と柴田は澪の教室へついていく。
途中、段ボールを抱えた女子がすれ違いざまに「そこ通る!」と叫び、俺たちは壁に張り付いた。
「やっぱ戦場だな……」柴田がぼそっとつぶやく。
澪のクラスは「メイド喫茶」をやるらしい。
「へー、メイド喫茶か」柴田が興味深そうに教室を覗き込む。
「そう。だから今日は机とイスをカフェ風に並べ替えてるの」
「でもエプロンと三角巾って……」俺が言いかけると、澪は「本番はちゃんとメイド服だから!」と先にツッコんできた。
教室に入ると、黒板には「Welcome!!」とチョークで大きく書かれ、壁際では女子たちが看板を塗っていた。机の半分はまだ普通の配置だ。
「この二つを廊下側まで運んで」
「おう」
俺と柴田は机の両端を持って移動開始。
……が、入り口付近で模造紙の山に足を取られ、危うく机ごと転びそうになった。
「おっとっと!」
「危ない!」澪が慌てて支えてくれる。
机を置き終えると、今度は段ボールの山を運ぶことに。
「中身は何?」俺が聞くと、澪は「紙コップとか、ストローとか」と答えた。
思ったより重い。
「これ、運んだら筋トレいらないな」柴田が苦笑いしながら廊下を進む。
その後は飾り付けの手伝いだ。
「これ、逆だってば」
柴田は器用に画びょうでポスターを貼っていくが、俺は上下を間違えて澪に直される。
「あ、マジか」
「ほら、貸して」
澪がサッと直すのを見て、柴田が「お前、不器用だなー」と笑う。
机や段ボールの運搬やポスターを終えたら、今度は教室後ろに積まれた資材を「廊下側から見えないように布で隠す」という作業が待っていた。
俺と柴田は、背の高い仕切り板を持ち上げながら、壁際に沿って移動する。
「よいしょ……って、重っ!」
「なあ恭一、これ絶対一人じゃ無理だろ」
「だから俺らが呼ばれたんだろ」
仕切り板を設置していると、澪が布を抱えて近づいてきた。
「これを上から掛けるの。はい、そっち端持って」
「了解」
俺が布を広げていると、近くで看板を塗っていた女子二人が、にやにやしてこちらを見ている。澪の同じクラスの友達だ。
さらに、その少し後ろで筆を持っていた女子が一人。澪の友達らしく、控えめに作業している姿が見えた。
「なあ、それ、俺と一緒にやった方が早いんじゃね?」
気づけば柴田が自然に隣へ行き、声をかけていた。
「……え? あ、でも……」
「いいって。ほら、貸してみ」
そう言って自然に筆を受け取り、女子の隣で一緒に塗り始めていた。
(……ん? なんで柴田、澪の友達と妙に息合ってんだ?)
俺は少しだけ首をかしげたが、本人は気にも留めず淡々と作業を続けている。
「おー、お手伝いしてくれるんだ、さすが彼氏くん」
さっきの笑っていた友達か。
不意打ちに、俺は一瞬手を止める。
「……お、おう」
「なにその反応。もっと自信持ちなよ。毎日手つないで登校する熱々カップルでしょ」
「いや、別に熱々というわけじゃ――」と言いかけて、横で澪が「はいはい、その話は後でするから」と流してくれた。
「えっ、あ、うん……」
「私の友達は無視していいから」澪はそっけなく言う。
向こうを向いてるけどちょっと顔が赤い。
女子二人は「やっぱお似合いだわ~」「うんうん、これで準備も捗るね」と楽しそうに笑いながら去っていった。
「もうっ!!はいまじめにやろっ!!」
澪が顔を赤くしながら怒っている。
その後もからかいつつ、まじめにやるところはやりつつ、作業は続いた。
教室前方では、ポスター用の写真撮影が始まり、メイド服姿の試着係が数名登場。男子生徒が「おお~」と声を上げている。
「おい柴田、あれ本番の衣装か?」
「多分な。……お前、見すぎ」
「見てねーし」
澪が俺たちの横を通りながら、ちらっと視線を送ってきた。
なんとなく睨まれた気がして、慌てて布の端を直すふりをする。
ひと段落つくと、今度は「廊下に置いてある机を全部教室内に戻す」という重労働が待っていた。
「マジで文化祭準備って筋トレだな」
「でもさ、こういうの面白いな」
柴田が笑う。
確かに、なんだかんだでこういう雰囲気は嫌いじゃない。
クラスの空気がバタバタしてるけど、どこか楽しそうで、みんなが同じ方向を向いてる感じがする。
机を運び終えたころには、時計はもう午後六時を回っていた。
「今日はここまでにしよっか」澪が腕時計を見て言う。
「お、やっと終わったか」
「二人とも本当にありがとう。おかげでだいぶ進んだよ」
「まあ、澪の頼みだからな」と軽口を叩く。
「……何それ」澪はちょっと笑いながらも、視線を俺に向ける。
「いや、別に……大したことじゃない」
なんとなく目を逸らした。
片付けを終えて廊下に出ると、もう夕方になっていた。
廊下にオレンジ色が差し込んでいる。
残っているクラスからは笑い声や椅子を引く音が漏れてくる。
澪が教室の鍵を閉め、くるりとこちらを向いた。
「手伝ってくれてありがとうね」
「いや、それほどでもないよ」
「いやいや人が足りなかったし助かったよ。男子は部活で抜ける人多かったし」
澪は肩にかかった髪を直しながら、ふっと笑った。
その笑顔に少し照れつつ、俺は「そりゃよかった」とだけ答える。
「柴田くんもありがとね」
「おう、手伝ったし本番も食べに行くから」
「ホント?嬉しい!!待ってるね」
澪はくすっと笑い、俺の方をちらりと見る。
(てか、こいつらいつからこんなに仲良くなってんだ)
校門に向かって三人で歩く途中、昇降口の前を通ると、他のクラスの生徒たちがまだ作業を続けていた。壁には色とりどりのポスターが貼られ、廊下の端には段ボール製のアーチが組まれつつある。
文化祭まで、あと一週間。準備の熱気はますます高まっている。
昇降口を出ると、柴田が「じゃ、俺こっちだから」と手を振り、商店街の方へ歩いていった。
残ったのは、俺と澪の二人。
夕暮れの道を並んで歩く。校門から続く細い歩道には、同じように帰る生徒たちがぽつぽつといて、みんな何やら楽しそうに話している。
「……そういえば、あの友達、すごいからかってきたな」
「別に悪気はないよ。ああいう子たちだから」
「いや、まあ、俺が変に動揺しただけだ」
澪は横目でこちらを見て、「動揺してるの、分かった」と笑った。
「……あーばれてたか。」
「ははっ、動揺してる恭くん可愛かったよ」
少し歩くと、前方の電柱に夕陽が遮られ、影が長く伸びた。風が吹き抜け、澪の髪がふわりと揺れる。
「文化祭、楽しみ?」
「まあ、楽しみ……かな」
「私は楽しみだよ。クラスのみんなも張り切ってるし、恭くんも見に来るでしょ?」
「もちろん」
「じゃあ、ちゃんとお客さんとしても接客するから」
「いや、客扱いされるのはなんか変な感じだな」
「いいの。仕事モードの私、ちゃんと見て」
そう言って、澪は少しだけ歩幅を早めた。
俺も慌てて歩調を合わせる。夕陽の中で、彼女の横顔がどこか楽しげで、普段より大人びて見えた。
やがて分かれ道に差し掛かる。
「じゃあ、また明日」
「おう。……あ、準備で手が足りなかったら、また呼んでくれ」
「ふふ、頼りにしてる」
軽く手を振って、澪は住宅街の方へと歩いていった。




