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133/144

133話

登場する国は、モデルはありますが架空の国です

笹塚駅から徒歩2分。駅前の小さな路地にある定食屋の暖簾をくぐった。

 昼時を外して来たから、客はカウンターに一人だけ。奥の厨房から、白い割烹着を着た女性が顔を出す。


 年の頃は五十代くらいか。雰囲気からして、ここのおかみさんだろう。


「いらっしゃい。ご飯?」


「いえ、あの……すみませーん。僕、高校生で、ここらへんで翻訳のボランティアをしてるんです」


「はあ?」と、ちょっと首をかしげるおかみさん。


「それで、ここのメニューを英語に翻訳してもいいですか? 外国人のお客さんに見せる用です」


 その瞬間、ぱっと顔が明るくなった。


「まあ! やってくれるの? ちょっと前にアメリカ人の人が来てね、私、『ミート・フィッシュ・ライス』しか言えなくて困ってたのよ」


「確かにそれじゃメニュー説明はキツいですよね。じゃあ、メニューを見せてもらってもいいですか?」


「はいはい、これよ」


 手書きのメニュー表を渡され、俺はデジカメを取り出してパシャリ。


ケータイのは画像が悪かったから、今回はきちんと用意してきた。


「ありがとうございます。来週、英語訳をプリントして持ってきますね」


「助かるわあ。お礼にコロッケでも食べてく?」


「いや、今日はまだ回る店が多いんで……気持ちだけで!」


 店を出て腕時計を見る。午後2時ちょうど。

 これで今日5件目だ。目標は10件。今のところ、まだ一つも断られていない。順調すぎて、逆に少し怖いくらいだった 。


 このプロジェクト(と勝手に呼んでいる)は、先週のそば屋から始まった。

 ホテル周辺を見渡せば、飲食店のほとんどが英語表記ゼロ。


 観光客が店先でメニューを見て、『……無理だ』と諦める姿が目に浮かぶ。

 それは観光地としてもったいないし、ホテルとしても損失だ。


 駅前からホテルまでの通りに、ざっと100件近い飲食店がある。

 定食屋、ラーメン屋、居酒屋、カフェ……ジャンルも規模もバラバラだが、英語メニューがあるのは1割以下。


週10件のペースなら、数カ月で笹塚グルメの英語化は完成するはずだ。


 自分でもちょっとワクワクしている。

 将来の観光ガイドに「笹塚は外国人に優しい街」なんて書かれたら、ホテルの株も上がるだろう。


 次の店は、駅近の喫茶店にしよう。

 マスターが渋くてちょっと怖そうだから、断られる可能性はあるけど、そこを突破できれば勢いがつく。


 ――よし、チャレンジだ。



 * * *


 裏手の路地を通ると、見慣れない光景が目に入った。


「あれ、工事してる?」


 近づいてみると、店舗のシャッターが半分開いていて、中からガンガンと工具の音が響いてくる。

 のぞき込むと、壁紙をはがしている作業員さんが数人。


 なるほど、前に言っていたあの空きテナントか。

 施設側がスケルトン状態にするために工事をしている。 


ここはホテルの真横だし、観光客も使いやすいだろう。


裏手から事務所に入ると、エアコンの冷気が心地よくて思わず深呼吸した。

 向かうのはいつもの総務部。


「こんにちはー」


「お、オーナー来たよ」

 

 さて、今日撮った10件分のメニュー画像をパソコンに取り込む。


 サイズを整えてテキスト化、英語に翻訳……ここまでは完全にルーチン作業。

 作業は慣れたもので、あっという間に片づく。5件分でも1時間かからない。


 実は当日に持って行こうと思えば行けるんだけど、それだと「え、こんなに早く?」って逆に適当感が出そうだ。


 だから、来週持っていくことにしている。

 印刷用のレイアウトまで整えたら、本日の翻訳作業は終了。




「そういや、オーナー。エスティニアの件、聞きました?」


 総務部の一人が、雑談ついでにそんな話を振ってきた。


「エスティニア? いや、なんですか?」


エスティニアってバルト三国の1つだったよな。


「この前、外務省の人がうちのホテルを視察に来たじゃないですか」


「ああ、あれ」


「あれ、エスティニアの外務大臣が泊まるからだったらしいですよ」


「えっ……そんな大物が?」


 思わず声が裏返った。


「そうなんですよ。外務大臣クラスって、普通は千代田区とか港区の高級ホテルを選ぶんですけどね」


「確かに。なのに、なんでうちなんですか?」


 俺の頭の中で疑問符がぐるぐる回る。

 そちらの方が永田町にも近いし、空港アクセスも悪くない。それでも、あえて笹塚のホテルを選ぶ理由なんて……。


「詳しい事情はこっちにも来てませんけど、何なんでしょうね」


「ふーん……」


エスティニアはIT立国として有名だ。

俺の予想としては、猫型掃除ロボットや、配膳ロボットを見に来たいんだろう。


「期間は2泊3日だそうです」


「へえ……じゃあ、その間はSPとかも来るんですね」


「そうですね。エレベーターも一部制限する予定です」


 ふむ。これはホテル全体の雰囲気がガラッと変わるかもしれないな。

 俺もオーナーの立場として、下手なことはできない。


 ――それにしても、エスティニアか……


 なぜ、わざわざここを選んだのか。その理由を知りたいような、知りたくないような……



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― 新着の感想 ―
学生らしい行動で金の絡まないボランティアは良いですね
近隣飲食店のメニュー英語化、これまでやってきた中では規模は小さいけど日常に近い事柄だからか読んでて楽しいや。
アメリカに売ったシステムでエティニアが大打撃受けたからそれの報復で
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