130話 ある夏の話
「宅配便でーす!」
インターホン越しの声に、玄関まで行く。
ドアを開けた瞬間、見えたのは腰まである段ボール箱――いや、箱というより、ほぼ壁だ。
配達員さんが汗を拭きながら笑っている。
「ビール缶10ケースでーす」
「……10ケース!?」
そりゃ重いはずだ。よくこんなに来るもんだ。
中身は350mlの缶ビールがぎっしり。これだけあれば、居酒屋を一晩で開けそうだ。
ふと、頭に浮かぶ。
――そういえば、俺が書いたレシピにビール煮込みがあったな。
確か北フランス料理の「カルボナード」。
牛肉をビールで煮込むやつだ。
よし、これは母さんに作ってもらうか。
ちなみに昨日は和牛5kgが届いた。
熨斗には、こう書かれている。
『 Verdandy KK 開発者様へ』
……まあ、そういうことだ。
今は夏休み。お中元シーズン真っ盛り。
これらの品は、俺と叔父さんが作った「Verdandy KK」の会社宛に届けられている。
理由は単純だ。
俺が新規募集を停止したからだ。
Verdandy KKのAIサービスは、月10万円で使えるとは思えないほど高性能。
そんなサービスの新規受付が突然止まった。
既存ユーザーは「次は今使えている分も停止されるんじゃないか」と戦々恐々らしい。
まあ、今のところ停止するつもりはない。
でも、叔父さんは何か聞かれたら「開発者次第」とだけ言って、細かい説明はしていない。
しかも、俺は表に出ない。だから、使っている会社からすれば「開発者が何を考えているか全く分からない」わけだ。
このAIを使っている会社としては、関係維持をしたいんだろう。
その結果――こうなる。
プリン、ゼリー、洋菓子、フルーツ、肉、海鮮、ハム。
うまそうなものが、山のように届く。
会社に届いたものを、俺の家に転送してもらってる。
しかも個人のお中元と違って、企業は膨大な予算を使うからケチらない。
下手すると、高級メロンが10玉まとめて入ってたりする。
「送る側は、開発者が1人とは思わず複数人でシェアすると思ってるかもしれないが。
……とはいえ、うちだけじゃ食べきれない。
というわけで、俺はおすそ分け作戦を決行することにした。
家にあった台車を引っ張り出し、ビール1ケース、ゼリー詰め合わせ、プリンセット、缶ジュースのギフト、冷凍のうなぎ、ハム、そして肉の塊を積み込む。
積み上げたら、ちょっとした屋台の荷台みたいになった。
そのまま台車を押して澪の家へ向かう。
澪の家に着き、インターホンを押す。
玄関から出てきたのは、エプロン姿の澪のお母さんだった。
「あら、恭一くん? ……まあまあ、何これ!」
「お中元のおすそ分けです。食べきれなくて」
お母さんの視線が台車の山に吸い寄せられる。
ビール、ハム、うなぎ……と一通り見たあと、ぱっと笑顔になった。
「まあ、なんて豪華なの! ありがとう、助かるわ」
「冷凍もあるんで、すぐ冷凍庫に入れてください。あとビールは重いので気をつけて」
「うちの冷蔵庫、こんなに入るかしら」
玄関先に1つずつ置いていく。
「はい、これで全部ですね」
「ねえ、今日はうちで食べていかない? こんなにもらっても、お礼できないから」
澪のお母さんがそう言ってくれたのは、荷物を運び込んで一息ついたときだった。
……まあ、断る理由もない。何より、さっき台車から下ろしたうなぎやハムのが旨そうだ。
* * *
夕方、改めて澪の家に向かう。
玄関を開けると、奥から低めの笑い声が聞こえてきた。澪のお父さんだ。
「おお、恭一くん! 今日はありがとうなあ。ビールまで!」
手にはすでに冷えた缶ビール。まだ開けてはいないが、明らかに上機嫌だ。
「いえ、うちだけじゃ食べきれないので……」
「いやいや、こんな豪華なもの、滅多にもらえないぞ」
そう言いながら、居間に案内される。テーブルの上にはハムの盛り合わせ、鰻の蒲焼き、ステーキ用の分厚い肉が鎮座していた。
どう考えても三人家族+俺一人で食べきれる量じゃない。
椅子に腰を下ろすと、お父さんがグラスを手にこちらを見た。
「いやあ、これは飲まずにいられん」
お父さんの笑い声が響き、澪とお母さんもつられて笑う。
「お父さん飲みすぎないでね」
それから、4人で雑談をしながらご馳走を食べていく。
だが、缶ビールが3本目に差し掛かった頃、お父さんの表情が少し変わった。
冗談混じりだった口調が、ふと落ち着きを帯びる。
「それで、恭一くんは将来、どうしようと思ってるんだ?」
……急な質問だな。
確かに、ちゃんと考えたことはなかった。1年前までは「普通に大学に行く」つもりだったけど、この1年で状況は激変した。
ホテルのオーナー、桐原と作った掃除ロボの会社の役員候補、技術者……正直、進路はもう一般的なルートから外れている。
「一応、このまま大学に行こうかなとは思ってます」
そう答えると、お父さんは「ほう」とうなずいた。
「いいな。どこに行きたいんだ?」
「今の高校はMARCHへの指定校推薦枠があるので、そのどこかに」
「おお、それは立派だ。……ちなみにだな、澪とも話したんだが、澪は恭一くんの行くような大学へは行けないと思うぞ」
「はあ……」
まあ、それはなんとなく分かっていた。
澪は今の高校にも、合格ラインの半分くらいで滑り込んでいる。
定期テストも平均点に届かないことが多いし、放課後はバイト漬けだ。
俺としてはちょっと申し訳ない気持ちになる。
「そこでだ」
お父さんが真剣な顔になった。
「一緒の高校にいるからこそ、今の二人の関係があるのも分かる。もちろん、俺も君たちが付き合ってるのは知っている」
バレてる……
「ちょっ……お父さん!」
澪が横から抗議するが、お父さんはさらっと受け流す。
「澪が不安に思ってることがあるのは分かるか? ここ八王子は東京とはいえ、山に近い田舎だ。だが、MARCHに行けば全国からいろんな子が集まってくる。金髪で都会育ちの子だって珍しくない」
「は、はい」
軽く横目で澪を見たら、少し下をみた。
本当にそう思ってたのか……
「それで恭一くんが、そういう子たちの方になびかないか――ってことだよ」
……確かに。俺が逆の立場なら、同じことを考えるだろう。
高校までは同じ教室で過ごせても、大学に進めば生活は別。環境が変われば、人間関係も変わる。
「親としてもな、君みたいな子は澪の周りに――いや、全国探してもなかなかいない。桐原に技術提供して何億も稼ぐような秀才なんて」
やけに直球で褒められて、こっちが照れる。
「笹塚の近くにアパートを借りたのは知っている。MARCHなら基本は都内にあるし、それに使う予定なんだろう?」
あ、そういえば……そこまで深く考えてなかった。
「あ、いや……ホテルに通いやすくするためで、大学用とは考えてませんでしたけど」
「ふむ……じゃあ冗談半分だが――澪もそこに住まわせてくれたら安心だな」
……え?
今、この人、「澪と同棲」って言った?
「お父さん何言ってんの!!! バカ!!」
隣で澪が真っ赤になって叫ぶ。
「あなた……」
お母さんも呆れ顔で夫を見る。
でも、正直――それ、悪くない話じゃないか?
通学も楽になるし、ホテルにも近い。何より……いや、そこはあえて口に出さないでおこう。
「はい、もちろん。その時はこちらから正式にお願いします」
俺は姿勢を正して頭を下げた。
「おお、いい! 良かったな、澪!!」
お父さん、完全に乗り気だ。
この人、勢いで全部決めそうで怖い。
「よし、景気づけにビールもう一本いっとくか!」
そう言って、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出し、プシュッと開ける。
ゴクリと一口飲んだあと――
「ついでに高校卒業したら、澪と結婚したらいい。うん、実際もう結婚できるしな」
……いや、確かに法律上は可能だけど!
何その急展開。
「お父さん!!!!!!もうあっち行ってて! 恥ずかしい!」
澪は耳まで真っ赤になって、ほぼ悲鳴。
お母さんも「あなた、もうやめなさいよ」と背中を押す。
お父さんは食事の途中だったが、渋々自室へ退散。
どうやら、この場に残っていたら更なる失言を繰り返すと判断されたらしい。
リビングに残ったのは、俺と澪、それにお母さん。
さっきまで賑やかだった空気が、少し落ち着く。
「……ごめんね、恭一くん。あの人、お酒が入るとああなのよ」
お母さんが申し訳なさそうに笑う。
「いえ、むしろ面白かったです。なんていうか……勢いがあって……」
「勢いって……あんなの困るに決まってるでしょ」
澪はまだ頬を赤くしたまま、ハムをフォークで突き刺している。
「でもさ、もし大学行くなら、笹塚のアパートから通うのは普通にアリだと思うぞ」
「……そうかもしれないけど。同棲とか結婚とかは、まだ早いからね!」
「分かってるって」
心の中では「ちょっとくらい考えてもいいのでは」と思っているが、さすがに口には出さない。
お母さんがうなぎの皿を差し出してきた。
「これ、温かいうちに食べちゃって。お父さんが言ったことはさておき、私も恭一くんのことは信頼してるわ。あの人、ああ見えて家族思いだから」
「ありがとうございます」
そう言って一口食べる。甘辛いタレの香りが鼻に抜け、口の中でふわっとほぐれる。
「……美味しいな」
思わず漏れた感想に、澪も少しだけ笑った。
その笑顔を見て、俺はふと「将来」の二文字を頭に浮かべる。
――まあ、今はまだ先のことだ。
でも、今夜のこのやりとりは、たぶん忘れない。




