129話 やったね父さん
朝からスーツを着ている。
今日は父さんの勤務先に向かっている。東栄商事で副部長を務める葛城誠――俺の父さんだ。
東栄商事は上場企業で、時価総額はおよそ百億円。配当利回りは二%台。
俺がこの会社の株を4%持つことになったせいで、「一度会社に来てください」と呼ばれたらしい。
株主総会でもないのに呼び出されるって、普通じゃないよな。
でも、父さん曰く「お前も立派な大株主なんだから、一度は挨拶しないと」だそうだ。
それと、父さんが最近『来期は人事が動く』なんて意味深なことを言っていた。
笹塚から電車で二駅。駅前の大通りを歩くと、ガラス張りのビルが見えてきた。
エントランス前には会社のロゴがドンと掲げられていて、なんとなく圧がある。
「おお……これが東栄商事か」
思わず声が漏れる。父さんがここで毎日働いてると思うと、ちょっと感慨深い。
「こちらです」
案内された部屋に入ると、長いテーブルと革張りの椅子、壁には油絵と世界地図。
すでに数人のスーツ姿の男性が座っていた。
「初めまして、葛城恭一です。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
自分でも驚くくらい、声がかしこまっていた。
父さんが横でうなずく。
役員の一人が笑顔で言った。
「君が四%の株主か。いやあ、若いのにすごいなあ」
「いえ、たまたまのご縁で……」
そこから名刺交換(俺は持ってないので受け取るだけ)をし、軽い自己紹介が続く。
どうやら今日は「顔合わせと雑談」が目的らしい。
それでも、俺の心臓はドクドクと忙しい。
ホテルの会議室なら慣れているのに、こういう「本物の会社の役員室」は、空気の密度が違う。
「お父さんのために株を買ったんだってね」
役員席の一人が、にこやかに切り出した。
「え、あ……はい」
本当はそれだけじゃない。ChatGPTに会社の決算資料を読み込ませたら「将来性もある」との診断が出たからだ。
……まあ、AIを株の理由にするのもどうかと思って、今は黙っておく。
「それで、これからもウチの株式を買い続けると言っていたそうですが、本当ですか?」
「はい、買っていこうかなと思います」
「ほう……そうですか。これからも大量の株式を買う、ということですが、知らない人ではなくて良かったです」
あ、これ絶対、敵対的買収とか思われたやつだ。
確かに、正体不明の株主が数%単位で株を集め始めたら、普通は警戒するよな。
「それで、買う目的とかを聞いてもよろしいでしょうか」
「配当が良いのと、将来性があるからです。父もこの会社で誇りを持って働いています。その会社を応援したくなりました」
これは事実だ。
例えば有名な五大商社は、売上や利益は莫大だが、その分、利益が2倍3倍になるのは難しい構造だ。
でも、この東栄商事は中堅どころ。今後の展開次第では、利益が一気に数倍になる可能性がある。
成長株で配当二%台――なかなかの掘り出し物だと思う。
「そうですか……では、具体的にこれからどれくらいの株を買われる予定ですか?」
「年間、約二億です」
……途端に、周囲の空気が変わった。
さっきまで温かかった部屋が、一瞬ひやりとする。
役員たちが顔を見合わせ、小さなざわめきが走った。
「2億!? 時価総額の2%弱を毎年積み増すつもりかね? 」
「個人で……?」
小声が飛び交う。
いや、そんなに驚くことか? 俺としては、ただ計画を正直に言っただけなんだが。
「それは……なかなか、ですね」
笑顔を保とうとしているが、役員の頬が少し引きつっている。
「えっと、もちろん長期で保有するつもりですし、経営に口出しするつもりはありません」
「いえいえ、そこまで疑ってはいませんよ」
――いや、絶対ちょっと疑ってたよな。
場を和ませようと、父さんが横から口を挟む。
「息子はホテルの経営にも関わってましてね。そちらで得た利益を投資に回してるんです」
「ああ、なるほど……ホテル経営?……」
そういう説明になるのか。
まあ、実際そうだし、余計な深掘りをされなくて済むから助かる。実際はVerdandy KKの利益なんだけどね。
とはいえ、二億円って金額はやっぱりインパクトがあるらしい。
「はっ、はっ、はっ。それは凄い」
副社長が腹の底から笑い声をあげた。
「さすが、葛城副部長の息子さんだ。聞いてるよ。うちのホームページを作るのに四十万かかるって言われたのを、無料で一日で作ったそうじゃないか」
あー……そんなこともあったな。
父さんから頼まれて、暇つぶし感覚で作っただけなんだけど。
まさか会社中に話が広まってるとは思わなかった。
「いえ、それほどでも……」
とりあえず、謙遜しておく。下手に「まあ余裕ですけど」なんて言ったら、自分の首を絞める未来が見える。
「これから株を買ってくれるなら、恭一くんの意向も聞いていかないとな」
副社長がニヤリと笑う。いや、その笑顔、ちょっと怖い。
「葛城副部長は、来年度から正式に取締役になる。それでいいかな?」
「ありがとうございます」
先に父さんがぺこりと頭を下げた。
あ、そういう流れか。
今が八月だから……四月からか。
父さん、良かったな。まあ、あんまり態度は変わらないだろうけど。
「もちろん、これは取締役会ですでに決定してることだよ」
副社長は軽く言ったが、俺は心の中で「そうなんだ」と安堵した。
余計なひと言で決定を覆す、なんてコントみたいな展開は避けたい。
部屋の空気はさっきまでより柔らかくなって、役員たちも笑顔でうなずいている。
……ただ、その笑顔の裏に「この高校生、何者だ」という文字が見える気がするのは気のせいか。
「そういえば恭一くん、ホテルの事業にも関わってるんだって?」
「はい。ちょっとだけですけど」
あんま触れられたくないから誤魔化そう。
「若いうちから事業をやってると、株主としての目線も変わるだろう」
「ええ、はい……」
話はそのまま、東栄商事の今後の展望に移っていった。
卸売業者らしい専門用語も多いので、静かに聞いていく。
でも、なんとなく「この会社、まだまだ伸びるな」という感覚はある。




