124話 新エレベーター
カードキーのシステム改修は、すべて完了した。
書き込み処理テスト、読み込み動作の確認、各言語の音声ファイルとの連携。ひとつずつ、丁寧に検証していく。
ChatGPTの力を借りながら組み上げたコードは、予想以上に安定していた。
さすがに日本語や英語は問題なかったが、他の言語では音声の切り替えやタイミングにクセがあり、微調整に少し手間取った。それでも、3日かけてすべてのテスト項目をクリアした。
すると、総務部の人たちの見る目が明らかに変わっていった。
最初は「オーナーの息子? 高校生? なんかちょっと見学?」くらいの扱いだったのが、今や「この人がいれば外注いらないのでは?」という空気に。
まあ、それも無理はない。普通ならシステム会社に数百万円かけて依頼するレベルの改修を、1人でやってのけたのだから。
そして、空気が変わると話も早い。
エレベーター会社への連絡も、音声依頼も、総務部がすべて手配してくれた。言語は全部で20か国語。
フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語、チェコ語、ポーランド語、スウェーデン語……。
「葛城さん、ヨーロッパ主要20言語でのボイスの依頼、すべて完了しました」
資料を持ってきてくれた一ノ瀬さんが、嬉しそうに報告してくれる。
「ありがとうございます」
「まさか……本当にこれ、実現できるんですね」
「はい。もう本体用のスクリプトも組み終えてます」
俺はノートパソコンを開いて、エレベーター設置用のコードを確認する。タッチ式のカードキーシステムと連動する音声出力用スクリプトだ。
部屋番号を起点に、宿泊者情報から言語設定を呼び出し、その国の挨拶を自動で再生する仕組み。
本体設置用の制御スクリプトは、すでに完成している。
あとは、エレベーター会社から取り寄せたカードキーリーダーの模擬機材と、このコードを繋ぐだけだ。
「では、テストやりますね」
会議室の片隅で、臨時に組み上げた小型の実験ブースに機材をセット。
今回は観光客の国籍を「イタリア」に設定したカードキーを用意した。
読み取り機にそのカードをタッチすると――
「Benvenuti all'Hotel Granvia Sasazuka.」
(ようこそ、ホテルグランヴィア笹塚へ)
音声が、きれいに流れた。女性の優しい声が、空間に自然に馴染む。
「おぉ〜……!」
「すごい、本当にできたんだ」
「これは感動しますね……」
総務部の社員たちが口々に驚きの声を上げ、中には拍手をしてくれる人もいた。
ちょっと照れる。
でも実際、この仕組みは見た目以上に革新的だ。
これまで日本のホテルでは「英語対応」が基本とされていた。
しかし、非英語圏の観光客も増えつつあるいま、「母国語での挨拶」は小さな感動を生む要素になり得る。
しかも、予算的には非常にコンパクトだ。
今回かかったコストは、音声ファイルの収録費用と、エレベーターへの設置費用くらい。
費用対効果、抜群。
「……やったな」
* * *
昼を少し回った頃、作業を一段落させて席に戻っていると、総務部長の宮地さんがトレイを手に現れた。
「葛城さん、お昼ごはんどうぞ」
笑顔とともに差し出されたのは、ホテルのクラブハウスサンドイッチだった。2階にあるレストランで出している人気メニューで、パンがふっくらしていて、厚切りベーコンとトマトがしっかり挟まっているやつだ。
「あっ、これ……ウチのレストランのやつですよね。ありがとうございます。あの、お金は……?」
「いえ、これは私のおごりです」
宮地さんはにこやかに言った。
「えっ、本当に?」
思わず聞き返してしまう。おごりなんて初めてだった。
(やっと……受け入れてもらえた、のかな)
「支配人やレストランスタッフが言っていたのを聞きましたよ。葛城さんが、あの“ミケ”や機械コンシェルジュのプログラムを開発されたって」
「あ、はい。一応は……」
思わず謙遜気味に返す。
レストランスタッフには、前に配膳ロボットのテストをしてるときに顔を合わせていた。その時にいた桐原の関係者からも、俺のことを聞いたのかもしれない。
「実はですね……私たち、ホテルが桐原自動車に買収されたと聞いたとき、かなり不安だったんですよ」
宮地さんの口調が少しだけ真面目になる。
「ホクシン本社が移転して、稼働率が落ちる。そうなったら、ホテルの業績もガタガタになるんじゃないかって。支配人も含めて、みんな戦々恐々としてました」
「……そうだったんですか」
「それに追い打ちをかけるように、“個人が6割の株式を取得した”って聞いて。もう、桐原はホテルなんて二の次で、株だけ売って放置するつもりかと……」
そりゃ、そう思うだろうな。
ホテルの運営にまったく関わってこなかった企業の株主が、突然いなくなり、代わりに“高校生の個人オーナー”が6割を持っている――なんて、普通に考えれば不安でしかない。
「でも、葛城さんでよかったです」
宮地さんが少しだけ、言葉を選びながら続ける。
「ミケも、すごく評判がいいですし、何より……聞きましたよ。世界でもまだ開発段階だったSLAM技術っていうのをオーナーが開発したって」
「あ、はい。まあ……」
SLAM技術。
要するに、センサーを使ってリアルタイムに地図を作り、自分の位置を把握しながら動くための技術だ。
ミケには、そこに超音波センサーと簡易カメラ、QRコード識別を掛け合わせたナビゲーションシステムを搭載している。
「すごいですよ。本当に。このホテルに、新しい風が入ったな、って感じました」
「ありがとうございます」
少し感慨深げに話す宮地さんを見ながら、サンドイッチにかぶりつく。
……うん、うまい。
食べながらふと思う。このホテルを買ってから、まだ数か月しか経っていないのに、少しずつ空気が変わってきた。
AI、ロボット、外国人観光客への対応――1つひとつは小さな改善だけど、それを“誰かがやってくれてる”んじゃなくて、“自分が動かしてる”という実感がある。
この感覚は、初めてだった。
「それに、ホテルを買う資金も、桐原に技術を提供して、その対価で得たと聞きました」
宮地さんが、サンドイッチの紙包みを丁寧に畳みながら言った。
「え、ええ……まあ」
この部分はちょっと触れられて欲しくないが、話を合わせるしかない。
「素晴らしいですね。葛城さんが動いてくださったおかげで、我々のホテルにも次々と利益が入ってきています」
──こうしてみると、宮地さんの俺に対する印象は、最初と比べてずいぶん変わったなと思う。
お金だけ出してるのではなく、自分の手で物を作って、改善している。
それが“理解されること”が、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
「あとで、レストランにも顔を出してみてください。スタッフが葛城さんにお礼を言いたがってましたよ」
「あっ……はい、行きます」
食器を返しに立ち上がったとき、宮地さんが少しだけトーンを落として言った。
「葛城さんが、このホテルの未来を変えてくれると、私は思っています。……でも、無理はなさらずに」
その言葉に、少し胸が温かくなった。
ホテルを買ったとき、「これは投資の一環だ」と思ってた。
でも今は、違う。
ちゃんとここで働いてる人たちがいて、お客さんがいて、現場の空気がある。
俺はホテル、スタッフ、利用客そのすべてのために仕事をしていく。




