118話 英語って大事だよな
猫ロボの導入は、予想以上の効果をもたらしていた。
最初は「掃除の人件費を抑えつつ、見られても不快感のないロボットにしよう」という軽い発想だった。
だが、実際に動き出してみると、猫ロボは客にとって“見る価値のある存在”になっていた。
宿泊者だけでなく、TVを見た親子連れ、カップル、さらには一人旅の社会人まで、いろんな層がホテルを訪れ、
「猫ロボが動く時間帯」に合わせてホテルを訪れる。
ホテル売店では猫をモチーフにしたクッキー、ポストカード、缶バッジ、ぬいぐるみなどを販売。
これが予想以上に売れた。特に「掃除ミケ缶バッジ」は発売3日で完売。
おみやげとして大人気だ。東京駅と羽田空港にも置けるか相談中らしい。
レストランでも「ミケちゃんパンケーキ」が定番メニューになり、平日のランチ帯も常に5割以上の客入りがキープできるようになった。
正直、ここまでとは思っていなかった。
そんな中で気づいたのが、「外国人観光客の予約が一定数いる」ということだった。
ヨーロッパや北米が中心で、連泊どころか2週間とかの長期滞在も珍しくない。
「え、笹塚でそんなに? 渋谷とか新宿じゃなくて?」
最初はそう思ったが、どうやらこの“ちょっと外れた立地”が、逆に評価されているようだ。
口コミの翻訳を見ると、「静か」「落ち着く」「ローカルっぽい」「治安がいい」「住宅街だから安心」……そんな言葉が並んでいた。
欧米では、1か月とかの長期休暇に家族で海外でのんびりとする文化もある。
日本人のように朝から晩まで観光に行くわけでなく、丸1日ホテルから出ないでリラックスしたりするなど。
実際、笹塚は新宿にも近く、観光にも便利だが、駅前を離れると住宅街だしどこか庶民的で、都会の喧騒とは無縁の街だ。
渋谷のド真ん中に1ヶ月滞在するのはうるさすぎる。
「なるほど、東京で休暇を過ごしたいだけの外国人には、逆にウケるのか……」
もちろん、猫ロボや配膳ロボも好印象につながっているだろう。
実際、外国人の子ども連れが「ミケと写真を撮りたい」と言ってきたり、レストランでロボットに拍手したりする光景を何度か見かけた。
こうなってくると、もっと外国人観光客に優しいホテルにしていきたい。
(でも、SNSとか使って話題にするって06年じゃ無理だよなぁ……)
Twitterはまだ爆発的人気じゃないし、Instagramなんて存在もしない。
YouTubeも「バズる」という概念が確立されていない。
要するに、“拡散力”に頼る戦略が採れない。
結局は、泊まった人に満足してもらって、リピートしてもらうしかないのだ。
(となると、英語……いや、“言語の壁”を壊すしかないか)
思い立って、ChatGPTに英語対応の改善策を尋ねてみる。
が――出てきたのは、
・英語表記の案内板
・多言語メニューの整備
・スタッフの語学研修
・外国人スタッフの雇用
などなど、いかにも「正解っぽいけど、どれも実践してる」提案ばかりだった。
(うーん、ありがちだな……)
というか結局、俺自身が英語をもっと理解していないと、効果的な改善案も作れない気がする。
技術もAIも使いこなすには、まず“自分が使える人間になる”必要があるのだ。
「……よし、英会話を始めよう」
英語が話せたら、外国人のお客さんとも離せるしホテルの改善につながるだろう。
どうせやるなら、きちんと話せるレベルまで行きたい。自信を持って、お客さんに対応できるくらいに。
今でも週1でプログラミング教室に通っている──
それとは別に、英会話教室にも通うことにした。
* * *
【from澪】
今、駅ついた~
メールが来たので、正面入り口に移動する。
八王子の夜は、思ったよりも涼しくなってきていた。
数分ほど待っていると、澪が来た。
髪をまとめた仕事終わりの姿。白シャツに黒のパンツ姿が、制服のときとは違った大人っぽさを出している。
「お疲れー」
「ありがとう、恭くん」
こうやって、澪がバイトの日には駅まで迎えに行ってる。
夜に1人は危ないし、こうやって二人で話せるからな。
並んで駅前の商店街を歩く。
道端の焼き鳥屋からいい匂いがして、二人とも同時にそっちを見る。
「……食べたくなるね」
「うん、買っちゃう? 一本だけなら太らないでしょ」
「一本だけね」
なんて言いながら、焼き鳥を1本ずつ買って、食べながら歩く。
こうして並んで歩いていると、なんだか自然と気持ちが穏やかになる。
お互いに無理せずにいられる関係。別に何も特別なことはないけれど、それがいい。
途中の横断歩道で信号待ちしていたとき、澪がそっと手を出してきた。
何も言わずに、俺もその手を握る。
細くて、ちょっと冷たい指先。だけど、繋いだ瞬間、すぐにじんわりとぬくもりが伝わってくる。
「へへっ」
澪が照れる。
もう1週間以上、学校に行くときは澪と手をつないで行っている。
最初は周りからの目線を気にしていたが、最近はどうでもよくなった。
クラスでも澪と付き合ってることを伝えると驚かれた。
それでもこれからも続けていく。
「今日ね〜、お皿洗い早くなったねって褒められちゃった!」
澪が、ちょっと自慢げに言う。
「おお、それはすごい」
自然と笑みがこぼれる。
そう言った俺の手を、澪がぎゅっと強く握ってくる。
ほんの少しだけ体を寄せてきて、横を見る。
「……えへへ」
その声が耳元で響いて、鼓動がちょっとだけ跳ねた。
澪がより近づいてきて、ゆっくりと歩く。
駅から離れたあたりで、俺は少し真面目な話を切り出した。
「俺、英会話教室に通おうって思ってるんだ」
焼き鳥の串をゴミ箱に捨てながら、ふと口にした。
「え? なんで?」
澪が驚いたように俺を見た。まだ手はつないだままだ。
「ホテルって、外国人のお客さんも多いじゃん?それに、きちんと相手の言葉が分かってる方がいいのかなって」
「……すごいなぁ、ちゃんと考えてんだね」
澪が本気で感心してくれているのが伝わってくる。目の奥が、少しキラッとした。
「ありがとう。将来的には英語ぺらぺらになりたいし」
「いーね!!英語ぺらぺらなのカッコいいじゃん!」
お、そう言われると俄然やる気が出てくる。
しばらく無言で歩いていたが、澪がふいに言った。
「じゃあさ、私も英会話教室通いたい!」
「え、マジで? バイトとか学校とかあるのに、大丈夫か?」
「大丈夫! 週1回くらいでしょ? バイトの日と重ならないようにすれば行けると思うし。なにより、私も話せるようになりたい!」
「でも、なんでそんなに?」
「恭くんと話したいからかな」
そう言って、にこっと笑った。
「いや、今も話してるじゃん」
「英語で、って意味だよ! 将来、もし外国に行くことがあったとしても、隣にいて一緒に英語で話せたら素敵じゃない?」
……なんだろう、それってすごく面白そう。
「それ、なんか未来っぽくていいな」
「でしょ?」
「じゃあ一緒に探すか。教室」
「うん! できれば、先生が優しいとこがいいな。あと、英語が喋れなくても怒られないところ!」
「確かに重要だな」
また笑い合う。ふと、隣を歩く澪の手をぎゅっと強く握り直した。




