108話 この猫の名前は……
「この猫型掃除ロボットの名前ですね。……実は、もう考えてきました」
俺がそう言うと、研究所の打ち合わせスペースにいた技術者たちの視線が一斉に集まる。
「おおっ、葛城君は仕事が早いなあ」
ひとりが笑いながらそう言ってくれた。
「いえいえ、ただ名前を考えるのが好きなんです。……僕が決めていいんですか?」
「そりゃそうだよ。君のプログラムがなかったら、このロボットは存在してなかったんだから。製作者の特権ってやつだ」
嬉しい言葉だ。実はこの日のために、数日間、名前を必死に考えてきた。検索もしたし、いろんな神話も調べた。
「では……名前は『アマルテア』にしようと思います。かっこよくないですか?」
言った瞬間、数秒の沈黙が流れた。
「え、うん……」
技術チームの一人が、微妙な表情でぽかんととする。
「アマ……なんて?」
「アマルテアです。ギリシャ神話に登場する森の精霊で、家庭の守護のような存在だそうです。
柔らかくて、母性的なイメージがあって、掃除ロボットにはぴったりかなって……」
「……へぇ~」
空気が妙に冷めていく。
「ちなみに、他にも候補はあって……たとえば『メティス』。これは知恵を司る女神で、スマートロボットには合ってると思うんですよね。あと『アドラステア』っていうのもあって、これは……」
話している途中で、背後から澪の声が飛んできた。
「ねえ、恭くん。それ、正直ダサい。てか、変な名前」
ズバッと一刀両断。心に刺さる。
「お、おぅ。そうか……?」
「みんなの反応見てよ。さっきまで“かわいい~”って言ってたのに、今ちょっとフリーズしてる」
みんな目を伏せつつゆっくりと話す。
「ああ……」
「……たしかに。なんかカッコいいけど、身近じゃないというか……」
技術の人たちも困ったようにうなずいていた。たぶん「否定はしたくないけど、推せない」って空気。
「もっと可愛いのにしてよ。たとえば『クッキー』とかさ。 恭くんが“かわいい”って思うものの名前を付ければいいじゃん」
クッキー。
……たしかに、うちの猫っぽい掃除ロボットには、それくらい親しみのある名前のほうが似合うかもしれない。
でも、あんなに考えたのに「ダサい」って言われるの、結構ショックだぞ……。
「いや、ギリシャ神話って、おしゃれだと思ったんだけど……」
「いや、たぶん“ギリシャ神話が悪い”ってわけじゃないの。ただ、かわいくないの」
「かわいくない……」
「うん……」
しょんぼりしている俺に、技術の一人が苦笑しながら助け舟を出してくれた。
「まあ、名前を付けるのって難しいよね。でも葛城君が製作者だし名付けるってことに変わりはないよ。」
現実的な話だ。頭では分かってるんだけど、ちょっとだけ、悔しい。
「恭くんが可愛いと思う名前にすればいいよ」
澪がぽん、と軽く俺の肩を叩きながら、そんなことを言ってくる。
可愛い名前、か――。
正直、ギリシャ神話系ならいくつも出てくる。エウロパ、カリスト、イオ、ガニメデ……でも、それ全部さっき却下されたやつじゃん。
全部木星の衛星から候補を考えたんだけどな……
「うーん……可愛いの……」
俺は少し考えてから、ちらっと澪を見た。
「……じゃあ、澪かな。この猫の名前、澪にしよう」
その瞬間、風が止まったかと思うほどの沈黙。
「ば、ばかっ!! なに言ってんのよ!」
澪が真っ赤になった顔で、こっちに詰め寄ってきて、ぺしっと俺の肩をはたく。
痛くはない。むしろ、照れてるのが伝わってきて、ちょっと嬉しい。
「いや、“可愛いと思う名前にしろ”って言ったのは澪だし」
「そ、そうだけどっ……でも、私の名前つけるなんて、バカじゃないの?」
「でも、可愛いと思うのはほんとだしな」
「~~~~っ!!」
澪がさらに赤くなって、黙り込んだ。
「おおー、青春だなぁ……」
後ろで技術者たちがクスクス笑っている。完全にからかわれてる。だがまあ、こういうのも悪くない。
すると澪が、ぷいっとそっぽを向いて宣言した。
「……もういい! 私が決める!!」
「え、そんな急に……」
「“ミケ”はどう? 三毛猫のミケ。可愛いじゃん?」
「ミケ、か……」
悪くない。シンプルで親しみやすい。ファミレスの配膳ロボットだって、たしか“猫型”で通してたけど、ちゃんとした名前はついてなかった気がする。
「じゃあ、猫型掃除ロボットの名前は“ミケ”に決定、ってことで」
「うん、決定!!」
澪がニッと笑った。
さっきまでの照れ顔から一転、子どものように嬉しそうに笑った 。
それが、なんか癒される。
結局“ミケ”は、澪が考えた名前ということになった。
たぶん、ホテルの客も“猫のミケちゃん”って覚えやすいはずだ。
「ふふっ、お二人は本当に面白いですね」
後ろから聞こえたのは、安藤さんの落ち着いた声。
「いやいや、すみません……子どもみたいなやりとりで」
俺が頭をかくと、安藤さんはやわらかく笑った。
「いいえ。名前に“物語”があるのは、すごくいいことですよ。
お客様もスタッフも、愛着を持って呼んでくれるようになる。
“ただの機械”じゃなくて、“ちょっとした仲間”みたいに感じてもらえるかもしれません」
「なるほど……そうかもしれませんね」
実際、ロボットに名前をつけることで、急に“命”が吹き込まれた気がする。
ミケ。
うん、いい名前だ。
* * *
「じゃあ、あとはよろしくお願いします」
俺がそう言うと、岡村さんが親指を立てて答えた。
「おう、ホテルでの諸々は、こっちでやっとくよ。配線まわりも、エレベーターの調整も任せとけ」
「ありがとうございます」
ようやく肩の荷が下りた感じだ。これで俺の作業は一旦終了。来週あたりには、バックヤードと地下フロア間の移動データが届くだろう。それを元に、制御アルゴリズムを書けばいい。
まだやることは残ってるけど、一区切りついた気がする。
「お疲れさまでした」
安藤さんが、落ち着いた口調で俺に頭を下げてきた。
「お疲れ様です」
「やっぱり葛城さんはすごいですね。うちの技術部も優秀ですが、あの発想やスピード感には驚かされました。
あの猫ロボ、絶対話題になりますよ」
「いえ……僕ひとりじゃ無理でしたし、いろんな人に助けてもらったので」
彼女の「廊下そうじが大変」というひと言がなかったら、“ミケ”は生まれていなかった。
俺の隣で、澪は何も言わずに静かに立っていた。
普段ならちゃちゃを入れてくるところだけど、今はなぜか黙っている。
口元だけが、ちょっと誇らしげに笑っているように見えた。
「それでは、ここで失礼します」
「じゃあ、恭くん、帰ろ~」
澪が俺の腕を引っ張るようにして、出口の方へ歩き出す。
「あ、正面にタクシーをお呼びしますので、少々お待ちくださ──」
安藤さんが声をかけようとしたとき、澪が振り返って笑顔で言った。
「いえ、大丈夫です。駅まで歩きますから」
(え、歩くの?)
来るときはタクシーで来たのに。徒歩だとたぶん二、三十分はかかる。
そう言って、澪が俺の袖を軽く引っ張る。もう決めた、というような顔だ。
安藤さんも少し驚いたようだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「それでは、お気をつけて」
「はい。失礼します」
そうして、俺たちは研究拠点の敷地を出て、夕暮れの道を並んで歩き始めた。
夕陽がちょうど沈みかけていて、オレンジと藍色の境界が空に滲んでいた。
住宅街を抜けて、駅へと向かう道。
澪が何も言わず、ただ俺と並んで歩いている。
けれど、沈黙が嫌じゃなかった。
むしろ、どこか心地いい。
ふと、澪が口を開いた。
「……すごかったね、今日。ミケ、ちゃんと動いてたし、みんなも驚いてた」
「うん、思ったよりスムーズだった。あと一週間でバックヤードの分を仕上げたら、完成かな」
「ふふ。名前、“ミケ”でよかったでしょ?」
「まあ、可愛いし、分かりやすいしな」
「でしょ? 変な神話の名前とかにしなくて正解だったんだから」
「……返す言葉もありません」
ふたりで笑った。




